東京の台所

<182>台所で繕う心の傷。ひとりもふたりも全部楽しい

〈住人プロフィール〉
コラムニスト、アーティスト(女性)・58歳
分譲マンション・3LDK・JR 中央線 武蔵小金井駅(小金井市)
築年数24年・入居13年・息子(24歳/会社員)とのふたり暮らし

恐怖と緊張の食卓に背を向けて

 応募メールに見慣れた名があった。コラムニスト、絵画や造形で知られるアーティストだった。彼女とは面識がある。なぜ、今、応募してくれたのだろうか。

 リビングの窓いっぱいに、青い空と国分寺崖線(がいせん)といわれる丘陵地の緑が広がる。「マンションを買うというより、この風景を買う気持ちでローンを組みました」

 彼女は眩(まぶ)しそうに目を細めた。天気のいい日はあそこに富士山が見えるのだと指をさす。

 15年前、夫との別居後、このマンションを買った。

「『東京の台所』に応募しようと思ったのは、息子が巣立ったある日、ひとりでキッチンに立ち、窓の外の小さな林を眺めながらぼーっともやしのひげをとっていたら、ふと気づいたのです。自分の人生で、食卓が見えるカウンター式のオープンキッチンはこの家が初めてだったなって。でも、そう気づいたときにはもう子どもはいない。人生っておもしろいものだなあと。それで東京の台所を思い出し、このことをお話ししたいなあと思いました」

 オープンキッチンだと、なぜ話したくなるのだろう? 問いかけると、彼女は静かに、まるで他人の人生を振り返るかのような穏やかな口調で答えた。

「父はアルコール中毒で、家庭で暴力を振るう激しい人でした。母が私の中学入学を機に働き出したので、その時から食事の準備と片づけは、ひとり娘の私の役。台所は、父に背を向けて逃げ込める唯一の場所でした。だから実家のリフォームでオープンキッチンにという話が持ち上がったときは母に懇願しました。食卓を見ないですむ独立したキッチンにして、って。私にとってキッチンがどちらを向いているかはとても重要だったのです」

 就職後もひとり暮らしを許されず、父の料理を作り続けた。「恐怖と緊張に満ちた食卓」では、下を向いて一刻も早く食べ終え、食事作りと洗い物をするためにキッチンに逃げ込むことで、「なんとか正気を保っていた」。

 母が夜遅くまで働きに出ていたのは、父のお守りを自分に押し付けるためだったのだろうと推測している。

 朗らかな彼女の意外な思い出話に、私は日が暮れるのも忘れて聞きいった。なぜ、こんなに穏やかに冷静に、苦しい日々を振り返ることができるのだろうと、思いつつ。

ひとり暮らし。彼女は再び台所に背を向けた

 父に殴られて顔に青あざができると、母は言った。

「人に言わないでね、恥ずかしいから」

 子ども心にそういうものかと、外ではあざの理由をごまかした。だが、母への怒りや恨みは、父に比べて小さくみえる。

「母も弱い人で、なにかあると、どうしようっていつも私を頼る。去年、父を看取(みと)ってひとりになり、よけいにそういう側面が強くなっています。どちらがお母さんなの? と思うこともありますが、昔からなのでね。しょうがないです」

 お父さんと別れてほしいと何度も頼んだが、母に聞き流されたのは、「今思えば、共依存だったのでしょう」。

 26歳で、ようやくひとり暮らしを開始。31歳、結婚。34歳、男児を出産。引っ越しが好きで、中野、二子玉川、成城、柿の木坂、信濃町など7~8カ所、転居をした。たまたまだが、住んだ家はみなオープンキッチンではなかった。

 41歳で、7歳の息子を連れて別居をする。

 2年後、実家近くにマンションを購入。シングルの子育てに、母のサポートが必要だったからだ。45歳で、離婚が成立した。

「母ひとり息子ひとりだと必ずいきづまると思ったので、犬を飼ったり、あまり干渉せず、適当な距離感を大事にしました。かまわないようにしようと自分を律していた、というほうが正しいかもしれませんね」

 その彼が、学生時代1年間留学をした。彼女にとって、結婚以来初めての、ひとり暮らしである。

 ところが、「これが重症で、どうしようもなかった」とのこと。

「寂しくて、暗い寝室で寝るのが嫌でね。こたつを買ってリビングに置いて、そこで寝起きしました。どうせひとりだしと、ご飯も作らなくなって。ひとりの部屋に帰るのがいやで、毎晩友達と飲み歩いて。帰りに息子の好きなチョコクロワッサンの店に“買ってあげよ”とふらっと立ち寄っては“あ、いないんだった”と我に返る。そして、余計に寂しくなるの繰り返し。母としての役割の喪失に、心がついていかなかったのです」

 かまわないように「律してきた」という言葉が、あらためてよみがえる。母子家庭の彼女だからではない。これは、母ならきっと誰もが体験する絶対的な喪失の話だ。

ひとりの台所はけっこう楽しい

 息子は帰国後、無事就職を果たし、2年前、ひとり暮らしを始めた。

「今度こそ完全なひとり暮らしです。でももう、あの1年の経験もあるから大丈夫。荒れ果てた生活だけはしたくないと、ひとりのごはんでも、背筋を伸ばして食べよう、料理もちゃんとつくろうと決めてやってきました」

 帰国が約束されている留学と違い、社会人になるということは、家から巣立つということ。息子はもう家に帰ってこないと腹をくくったら、ひとりの自由が初めて楽しく思えてきた。

「あのね、私、豆皿が好きで、何種類ものおかずをちょこっとずつ盛るっていうのがやりたかったんです。子どもがいると、どーんとおかずを作らなきゃだし、そういうのってできないでしょう? あと、自分ひとりだと、味の冒険ができる。このハーブ入れたらどうなるかな、こうしたら? って、思いきったチャレンジができるのが楽しいの」

 八百屋が大好きで、旬の安い野菜があると買い込み、あれこれ保存食を作る。取材した日も「なめこが69円だったから!」と、自家製なめたけが、瓶のなかでつややかな黄金色を放っていた。

「料理は、絵や手芸と同じ。手を動かして何かを作ることが大好きなんです」

 昨年の春の終わり。

「長年付き合っていた恋人と一緒に暮らそうと思う」と、息子から連絡が来た。ひとり暮らしから2人になるのか。いよいよ、本当の巣立ちだなと感慨深い気持ちになった。

 ところが6月14日に状況が一変。ひとりの台所から、三度(みたび)、ふたりの台所に戻ることになる。

 彼から電話が来た。

「彼女と別れたから、家に戻るよ」

 ちょうどその日、本当は話したいことがあったが、あまりに息子の声が落ち込んでいたので、次の言葉をのみ込んだ。

「私ね、市の検診で引っかかって、今日、初期の肺がんってわかった」

台所は巡り、人生は巡る

 息子は、飼い犬の世話を引き受け、病床でよく眠れるよう音の出ない時計を差し入れするなどほぼ毎日見舞いに来ては、陰ひなたとなり母を助けた。

「子どもの頃は不登校も経験し、たくさん悩んだんですけどね。今回は本当に助けられました」

 術後、少しずついつもの生活を取り戻しながら、いまはふたりの料理を作っている。

 彼女は、遠くを見ながら、じつに晴れやかな表情でしみじみと言葉をつないだ。

「台所ってすごい場所ですね。食卓や窓の風景を見ながら、私はまたこの台所で誰かに料理を作っている。人生の長い時間、背を向けてきた食卓でしたが、いま、こんな風に空や緑と一緒に食卓が見えるところに立てている。その一瞬のいとおしさ、ひとりでも楽しいけれど、誰かのことを考えて作り、一緒に食べる時間のかけがえのなさに気づかせてもらった。たまたま息子は帰ってきましたが、やがてすぐ出ていくでしょうし、大事なことに気づいたときには家族がいない。それもまた人生。おもしろいものですね」

 健康について、拭えぬ不安はつねにはりついている。未来に限りがあることがわかったうえで、食卓の見える場所で料理ができるこの1分1秒に感謝している。生きていること。誰かがそこにいること。自分がここにいること。この瞬間を、心の底から慈しんでいるから、彼女はきっとこんなにも穏やかで平静なのだ。

 四たび、ひとりの台所が来ても、彼女は存分に楽しみ抜くだろう。そこは、逃げ込む場所ではない。暮らしを楽しみ、生きていることを楽しむ場所だともう十分にわかっているから。

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PROFILE

大平一枝

長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)ほか。最新刊は『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)。HP「暮らしの柄」。■レンズ協力:SIGMA ART|18-35mm F1.8 DC HSM、SIGMA 17-70mm F2.8-4 DC MACRO HSM/

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