MUSIC TALK

ゴンチチ、結成40周年超えて語る「相棒との関係」(後編)

ゴンチチ、結成40周年超えて語る「相棒との関係」(後編)

撮影/山田秀隆

昨年、結成40年、デビュー35年を迎えたギターデュオ、ゴンチチ。唯一無二のサウンド、世界観を紡ぎ出す二人の間には、出会ったその日から変わらない互いへの信頼と尊敬の思いがある。ゴンザレス三上さん、チチ松村さんに聞く、これまでの道のりと、かけがえのない「相棒」への思い。(文・中津海麻子)

(前編から続く)

デビュー後の試行錯誤

――デビューアルバムは売れなかった?

松村 全然でしたね。

三上 それで終わりかと思いきや、ありがたいことに2枚目も出してくれると。ところが、そのアルバム『脇役であるとも知らずに』はちょっとこりすぎてしまって……。また売れませんでした。

松村 実験的なことをあれこれやってね。

三上 3枚目の『PHYSICS』で僕らがセルフプロデュースすることになり、ファーストアルバムから手伝ってくれていた松浦雅也くん(PSY・S)をフィーチャーする形で少しポップな作風に。そのころから少しずつCMに使われるようになったりして。

松村 4枚目の『Sunday Market』で一気に認知されたという感じはありました。そもそも、レコード会社の方々は僕らの音楽をどうしたらいいのかがわからなかったんやないかな。前例がない、誰もやってない音楽だから、やりようがなかった(笑)。

三上 不安といえば不安でしたが、「ダメやったら元に戻って、また二人でやればいい」という思いは僕らの中に常にありました。わからない、やりようがない、だから自由に作っていい……というのは、ある意味ラッキーだったと思います。

「二つの顔を持つ男」を楽しんでいた

――ところで、デビュー前も後もお二人とも会社員として働きながら音楽をする「兼業ミュージシャン」だったのですよね?

松村 最初は音楽だけで食べていくのは無理やったからね。僕は画材や額縁を売る会社に勤めていました。配達とか集金とかしながら、人前で歌ったり演奏したりもして。「二つの顔を持つ男」みたいな気分で(笑)、結構楽しんでいました。

三上 僕は、のちのNTT、当時の電電公社勤めでした。音楽をやりたいと言ったら、公社に勤めていたおやじから「まずは普通に働いて、そこでちゃんとできなければ何をやってもダメだよ」と言われて。2年に一度ぐらい辞令が出るので、それが3枚ぐらいたまったら自由にしていい、と。最初は仕方なしにだったのですが、働き始めてみたらそれなりに楽しく、職場もあって音楽をやる場もあるというのが割といいなと思うように。さらに調子に乗って家のローンを組んでしまったので(笑)、結局15年ほど勤務しました。

松村 僕は三上さんよりも5年ぐらい早く、平成になったと同時に音楽1本に。二人とも会社員時代は、レコーディングはお盆や正月、ゴールデンウィークといったまとまった休みに、ライブも週末にやっていました。

三上 3枚目のアルバム『PHYSICS』が出たときに転勤になり、神奈川へ。5年間は「遠距離デュオ」でした。レコーディングは東京が多かったから、僕は便利になりました。その後、ようやくローンが終わったので退職を決意。何人かの上司に報告に行くと、誰も引き留めることなく、「僕もこんなことをやりたいんだよ」と若いころからの夢を語ってくれて。えらい人でもそれぞれに夢があるんだなぁと、なんだかうるっとしました。そして皆さん、「やってくれよな」と応援してくださって本当にうれしかった。

――晴れて「専業ミュージシャン」に。活動、創作に変化はありましたか?

松村 何も変わらなかったです(笑)。

三上 むしろ、これまで以上に素人チックに行こうというのはありましたね。僕らの存在意義の一つに「プロ的ではない」というのがあるように思うんです。専業になったからこそ、そこをさらに推し進めていくのもおもしろいかなぁ、と。プロのミュージシャンがやらないこと、バカバカしいこともやってみたい。そんなふうに考えていました。

映画音楽づくりで気づかされること

――竹中直人さんが監督・主演を務めた『無能の人』(1991年)を手始めに、是枝裕和監督の『誰も知らない』(2004年)、『歩いても歩いても』(08年)などの映画音楽や、アニメ音楽なども手がけてきました。オリジナルの楽曲作りと違いはありますか?

松村 結局は同じですね。オリジナルなものしかできてない気がします。

三上 依頼された仕事には制約があるけれど、発想や出てくるものは一緒だと思います。ただ、頼まれた仕事は勉強することが多い。たとえば「この曲は極端にテンポを落としてほしい」と言われ、絶対に不可能だと思いながらやってみると、違う魅力が出てきたりする。音楽って深い。自分で作っても、自分で考えている以上のものが潜んでいると学ぶことができるんです。映画監督は僕らとは視点が違うので、そういう点ではすごいなと思います。

あとは、監督さんたちの「ゴンチチが好きだから作ってほしい」という気持ちがうれしいんです。だから頼まれたのは1曲でも、それぞれ10曲ずつ作ってしまったりするので、結果としてゴンチチとしてのストックが増える。受注仕事は創作のいいきっかけにもなっていると感じます。

松村 僕らは映像を見ながら作ることはなく、「こんな感じで」というお話だけで作っているんです。その曲がどんなシーンで流れるのか知らないので、映画を見ながら「うまいこと当てはめてるなぁ」と感心したり楽しんだり。僕らの音楽は「絶対にこうあるべき」というのがないので、何色にでも染まる。そういう意味では、僕らの音楽でよかったなぁと自画自賛することはありますね(笑)。

今回のアルバムで、打ち止めとも考えていたけれど

――結成40周年、デビューから35年を迎えた昨年、7年ぶりのオリジナルフルアルバム『we are here』をリリースしました。

ゴンチチ、結成40周年超えて語る「相棒との関係」(後編)

結成40周年を記念したオリジナルフルアルバム『we are here』-40 years have passed and we are here-

三上 年も年なので、今回のアルバムで「打ち止め」とも考えていたんです。でも、これまで実験をしてきたこととかをもう1回若い人たちとやってみるのもいいなと思い、実際にやったらどんどん楽しくなってきました。原点回帰する感じがありつつも、40周年から新たに出発するみたいな感覚もあって、これからも新しいものが作れそうだなという感じもしてきました。

松村 若い人と一緒にできたのは楽しかったですね。

三上 彼らのサウンドに触発されるということももちろんありましたし、とにかく彼らはしっかりしてる。活を入れてもらい、僕らもちゃんとしないと、と反省しました(笑)。

松村 いろんな人たちが絶妙なアレンジをしていて、何回も聴いているといろんな音が聴こえてきたり、潜んでいる味が感じられたりする。聴けば聴くほど、嚙(か)めば嚙むほど。そんな風に味わい尽くしてほしいですね。

三上 これまでのアルバムと差別化する点があるとするならば、演奏がすごくいい。うまい下手というのではなく、ちゃんと演奏できている。僕はオリジナルアルバムを作り終えると、しばらく聴けないことが多いんです。ここをやり直したいとか、あそこを録(と)り直したいとか、いっぱい出てくるので。でも今回はそれが全くない。楽曲のある種のスピリットみたいなものを自分の中で咀嚼(そしゃく)した上で演奏できた。そうしたことが初めてちゃんとできたように感じています。だから、すごく自然に聴けるのだ、と。

となりで弾いているだけで楽しいし、うれしいんです

――40年間、変わらないことは?

松村 何も変わりません。演奏については、最初に二人が出会ったとき以上のものはないですね。

三上 あのときの感覚は、今一緒に演奏していてもまったく変わりません。この感覚が一つの母体となって色々派生してくるわけですが、いつでも母体に戻れると思えるから安心しておもしろいことができる。それは40年間、ずっとありますね。

松村 僕は、音楽をやっているときに自分がなくなるみたいなことがあるんです。「無我」みたいな。その瞬間が幸せですね。ライブでもレコーディングでも、隣で三上さんがいいフレーズ弾いているのを聴いてグッとくるとか、音楽から得られる幸せ、喜びはほかのものには代えがたいものがある。そう感じています。

三上 特にライブのとき、完璧なコンディションで完璧な演奏をしたいのですが、そんなことは正直、皆無なんです。思うようにいかなくて重苦しい気分のときもあるけれど、でも、演奏しながらふと隣の松村さんを見ると、すごく楽しそうに幸せそうに演奏している。そこで初めて「ああ、僕らは楽しいんだ」と(笑)。そう再認識すると不思議と演奏もすごくよくなるんです。

松村 どちらかというと三上さんは人前でやるのは苦手なタイプ。僕と出会ったころも、自分で録音したものを聴いて満足していればよかった。でも、せっかくこんなに上手な人を皆さんに見てほしい、聴いてほしいという思いがあって。その気持ちは今も同じ。僕は、三上さんが隣で弾いてくれるだけで楽しいし、うれしいんです。

三上 それが伝わってきて、僕もうれしくて。40年間、一緒にやってきてよかったといつも思っています。

――「これからのゴンチチ」は?

松村 生きてるかどうか(笑)。これからも新しい曲ができて、レコーディングとかできたらいいなとは思います。

三上 今30代ぐらいの好きなミュージシャンがたくさん出てきているので、そういう方々と何か形に残せるようなことができたら、という思いはちょっとあります。インターネットのおかげで、国や時代を超えて色んな音楽を聴けるようになり、僕のおじさんが好きだったようなムード音楽や映画音楽を、幼いころから普通に聴いている若い世代が増えている。音楽の中心から外れた辺境にずっといた僕にとって、それはとてもラッキー。若い人に希望を託しています。

松村 やっぱり生きないとダメですね。

三上 一日一日、大切に(笑)。

GONTITI(ゴンチチ)

1978年結成、1983年デビューのゴンザレス三上とチチ松村によるインストゥルメンタル・アコースティック・ギターデュオ。現在まで制作したアルバムは40枚を超え、10数枚のアルバムは全米、アジア他でも発売されている。竹中直人監督・主演の映画『無能の人』のサウンドプロデュースを手掛け、日本アカデミー賞優秀音楽賞を受賞。是枝裕和監督の映画『誰も知らない』や、同監督作品『歩いても 歩いても』で音楽を担当し、サウンドトラックもリリースされている。代表曲『放課後の音楽室』は音楽の教科書に掲載され、『ぼのぼの』のサウンドトラックを手がけるなど大人から子どもまで幅広い層に音楽が浸透している。2018年12月、結成40周年を記念してオリジナル・アルバム『「we are here」-40 years have passed and we are here-』をリリースした。

オフィシャルサイト:http://www.gontiti.jp/

PROFILE

中津海麻子

執筆テーマは「酒とワンコと男と女」。日本酒とワイン、それらにまつわる旅や食、ペット、人物インタビューなどを中心に取材する。JALカード会員誌「AGORA」、同機内誌「SKYWARD」、ワイン専門誌「ワイン王国」、朝日新聞のブックサイト「好書好日」、同ペットサイト「sippo」などに寄稿。「&w」では「MUSIC TALK」を連載中。

ゴンチチ、運命的な40年前の出会い(前編)

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