鎌倉から、ものがたり。

湘南最後の蔵元で、ビールもハムもパンも。「熊澤酒造」

 春が近づいてきました。今回は鎌倉から山を越えて西へ。湘南・茅ヶ崎からお届けします。

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 茅ヶ崎の内陸部、JR相模線の「香川」駅から歩いて7分。湘南で唯一の蔵元、「熊澤酒造」の建物が、住宅街に溶け込むようにたたずんでいる。

 ミモザがアーチを作る小径(こみち)を進むと、その奥に、中庭を囲んで蔵が並ぶ眺め。裏山に続く敷地には、さまざまな草花が芽吹きのきざしを見せている。日常の中の非日常との出会いは、まるで「秘密の花園」を見つけた気分だ。

 酒造場とクラフトビールの醸造所とともに一画に並ぶのは、蔵元料理「天青」、イタリアン「MOKICHI TRATTORIA(モキチトラットリア)」、自家製ハム・ソーセージ工場を併設した「mokichi wurst cafe(モキチ ヴルストカフェ)」、そして「mokichi baker & sweets(モキチ ベーカー&スウィーツ)」というバラエティー豊かな飲食店。さらに奥には、工芸品や家具、雑貨を扱う「okeba gallery & shop(オケバ ギャラリー&ショップ)」もある。

 築400年の由緒ある古民家や、かつての備蓄蔵などを移築した界隈(かいわい)は、ひとつの店舗の扉を開けた先に、さまざまな部屋が広がり、一日をかけて隅々まで探検したくなる。

「日本酒づくりは冬場だけ。醸造技術を通年でいかせないかと考えて、クラフトビールをはじめて、その醸造過程から出るビール酵母をいかせないかと、パンづくりに発展させました。そんな感じで25年やってきたら、こうなったんです」
 六代目の熊澤茂吉さん(50・茂吉は襲名の名前)が鷹揚(おうよう)な笑顔を見せる。

 しかし、その笑顔の裏側には、衰退産業といわれる日本酒の蔵元を、今につなげる奮闘があった。
 そもそもバブル世代の熊澤さん。新卒採用で、企業が学生をハワイに招待したり、銀座で飲み食いさせたりする風潮に疑問を感じ、大学卒業後は、そんな日本を離れるべく、アメリカに渡ってMBA取得を目指した。が、そのルーティンにも疑問が生じ、学校を辞めて、ノープランの旅まわりに出る。

 その日々の中、アメリカで日本酒づくりのビジネスを成功させていた人に出会った。彼から「日本酒業界は衰退産業で、未来はないから継がない方がいい」といわれたとき、その言葉に憤慨する自分を見つけた。

「自分のルーツを否定された気持ちになったんです。実際、湘南ではもう、うち1軒しかない。だったら残す価値がある。そこで逆に、やる気が湧いてきたんですね」

 熊澤酒造が開業した明治期には、神奈川県下に1070軒の蔵元があったという。しかし、昭和の高度経済成長時代に、日本酒は衰退の一途をたどった。その理由を、「日本酒というモノを工業製品としてとらえ、大量生産・大量消費に向かって、食文化としての面をおろそかにしたからだ」と、熊澤さんは考えた。蔵元には、利益第一ではなく、人と地域を大切にする文化がある。それを自分なりに再構築しようと決めた。

 はじめに手がけたのは、下請け的な立場から抜け出すこと。地元への誇りを込めて、「天青」という日本酒のブランドを立ち上げ、高齢化が進んでいた蔵に若い世代も入れた。

「古くからいた杜氏(とうじ)と酒づくりでぶつかったり、地域の酒販組合の下請け的な取引に反旗を翻したり。いつも大ピンチが来て、それを乗り越えていくことの繰り返し。真っ暗な中を進んできて、振り返ったら、この眺めができていた。それが実感としてあるんですね」

 魅力的な界隈も、自分たちがつくる日本酒やクラフトビールをいかに売るか、知恵をひねった結果だという。
 湘南ボーイの熊澤さんは、苦労を苦労のまま語る人ではないが、蔵元の維持には、相当の覚悟と努力がいったはずだ。でも、それだけではなく、そこにはロマンもあった。

「『天青』は宋時代の故事にちなみ、雨があがった後の空の色、といった意味です。時の皇帝が青磁にこの色を求めたそうですが、今にいたるまで幻とされています。ピーカンではなく、雨上がりに雲の隙間から突き抜けるように見える青空。それこそが僕たちの中にある湘南の空で、そこから名付けたんです」

 平日にもかかわらず、隣接する駐車場はいっぱい。敷地内では、幅広い年代のお客さんたちが、グループで、子ども連れで、ひとりで、思い思いの時間を過ごしている。そこには、都会すぎず、田舎すぎない、まさしく湘南ならではの時間が流れていた。(→後編に続きます

熊澤酒造
神奈川県茅ヶ崎市香川7丁目10-7

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PROFILE

  • 清野由美

    ジャーナリスト。1960年、東京都生まれ。東京女子大学卒。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科修士課程修了。在学中、英ケンブリッジ大学客員研究員。英国留学、出版社勤務を経て、91年にフリー。先端を行く各界の人物インタビューとともに、時代の価値観や感覚、ライフスタイルの変化をとらえる記事を「AERA」「朝日新聞」「日経ビジネスオンライン」などに執筆。著書に『新・都市論 TOKYO』『新・ムラ論 TOKYO』(隈研吾と共著・集英社新書)、『ほんものの日本人』(日経BP社)、&w連載「葉山から、はじまる。」を1冊の本にまとめた『住む場所を選べば、生き方が変わる――葉山からはじまるシフトチェンジ』(講談社)など。

  • 猪俣博史(写真)

    1968年神奈川県横須賀市生まれ。慶応義塾大学商学部卒業。卒業後、カナダを拠点に世界各地を放浪。帰国後、レコード会社、広告制作会社勤務などを経て1999年にフリーに。鎌倉、葉山を拠点に、ライフスタイル系のほか、釣り系媒体なども手がけ、場の空気感をとらえた取材撮影を得意とする。本連載のほか、&travelで「太公望のわくわく 釣ってきました」の執筆と撮影を担当。神奈川県三浦半島の海辺に暮らす。

築131年の蔵で、最先端のものづくり。「ファブラボ鎌倉」

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酒蔵も保育園も、地域を回すエンジン。「熊澤酒造」

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