東京の台所

<184>23歳で嫁いで58年。台所は喜びと別れとともに

〈住人プロフィール〉
主婦・81歳
戸建て・5LDK・東西線 葛西駅(江戸川区)
築年数53年・入居53年・夫(83歳・無職)、息子(52歳・在宅投資業)

    ◇

宅配の弁当は苦手

「昭和42年まで東西線が通ってなくてね、このへんは見渡す限り畑と蓮の田でした。近くで海苔(のり)がとれたから、製造加工業もさかんでね。葛西は半農半漁の田舎でしたよ」

 バスで行く新小岩が、最寄り駅だった。81歳の住人は、葛西で生まれ育ち、嫁ぎ先も徒歩圏内だ。実家は春から秋は農家で、冬場は海苔の製造をしていたという。「子ども時分は、藁(わら)と薪を使って料理をしていましたよ」。

 2年前にパーキンソン病を患い、手が震え、立ち仕事がままならなくなったが、今も夫、息子の3食を作っている。

「朝は味噌汁やけんちん汁を作りますが、夜の汁物はインスタントを使う。昼もパン食だし、それほど大変じゃないんです。昔は姑と舅、3人の子どもと7人分作っていましたから。それに比べればね」

 手足の自由があまりきかないといいながら、この日も取材のために赤飯を炊いていた。冷凍庫には、一口大に皮をむいて冷やした甘夏が。湿気を防ぐ一斗缶のなかには、干した鏡餅を揚げたあられ。醤油とみりんがしみた香ばしい仕上がりで、手作りとはにわかに信じがたいほどからりといい塩梅に揚がっていた。いつ、誰が来てもいいようにという心尽くしのもてなしが伝わる。昭和の時代を生き抜いた女性たちは、買うのではなくまずは作るという習いが自然に身についているのだと、旨いあられを頬張りながら思った。

 もちもちのご飯にふかふかした小豆がたっぷりはいった赤飯でもてなされるのはいつ以来だろう。

「私の料理なんてデタラメで、取材で話せるようなことなんてなんにもないの。でも、病気をして、宅配のお弁当をたのんだら味気なくて味気なくて。思うように手足が動かなくても、自分で作ったほうがおいしいって思いましたね」

2児を亡くして

 23歳で結婚した。昭和11年生まれの夫はいまだコンビニに行ったことがないという。家事の一切もできない。男は厨房に立たなくて良いと言われて育った。住人は、責めるわけでも、愚痴でもなく、そういう時代でしたからと淡々と語る。ただ、明治生まれの姑には厳しくされた。感情の起伏の激しい人で、機嫌が悪いと床に手をついて謝り倒して、嵐が去るのを待った。

 夫に愚痴れば、姑との間に立たされて彼が困る。実家の母は泣かせたくない。一切合切を自分の胸にしまい、45年を共に暮らした。うち8年間自宅で介護をし、看取った。
 
 自分の部屋もなく、昼間もずっと義両親と一緒にいる。どこで気を抜くんでしょうかと尋ねると、肩をすくめて笑った。「2階に掃除をしに行くふりをして、ちょっと寝転がるの。そのときは自由だったわね」。

 30歳のとき、一度、用事で近所の実家に戻ったとき、母に気づかれた。

「世間話をしていたんだけど、お姑さんのことが辛くて生返事だったんでしょうね。母になにかあったのか?って聞かれて。ううんって首を振ったんだけど、我慢してたのが吹き出しちゃったのね。むせび泣いてしまいました。母はどれほど切なかったか。泣くんじゃなかったと、今でも後悔しています」

 親の前で泣くことさえ、家でごろんと横になることさえ許されなかった日々が、かつての嫁の立場の普通だとしたら、なんという閉塞感であろう。どんなに聞いても、「ただひたすら我慢するしかない。そういう時代なの」としか言わないその人の横顔が淋しげなのには、他にも理由がある。

 3児のうち2児を早くに亡くしているのだ。病気で長女が33歳、次女が41歳で旅立った。次女はうつ病で離婚をし、娘を婚家に残して実家に舞い戻っていた。突然の死に、悲しむ間もなく彼女は高校生の孫娘のために弁当を作っては、自転車で15分の孫宅まで、夜中に届けに行った。

「お父さん一人じゃ大変だろうから。駐車場にある孫の自転車のかごに、明日のお弁当を入れてそっと帰ってくるんです。そのうち、孫は前の晩の弁当箱をかごに入れておくようになって。私は空のと新しいお弁当箱を交換してくるの」

 カジキのフライ、唐揚げ、エビフライ。おやつのじゃがりこを添えるときもある。時折、遠くからでも孫の顔を見たい一心で、冬の朝、震えながら30分ほど外で待ったりもした。

 弁当を届けて家に戻ると姑の介護が待っている。次女を亡くしてからの数年は、無我夢中であまり記憶が無いと語る。

 試練とは、一人の人間にこんなにもたくさん降りかかるものだろうか?

「神様は、試練を乗り越えられると思った人に与えるんでしょうか。そうだとしても……、乗り越えるものが多すぎですよね」

 この取材は、孫の女性からの応募で実現した。応募文にはこう書かれていた。

『高校のときにお弁当を届けてくれた元気な祖母は、いつまでもいつまでも、元気に料理を作ってい続けてくれるものと思っていました。 しかし、2年前にパーキンソン病になり、もう料理を届けてくれることはありません』

『不自由な体で今もあの狭い台所に立ち、震える手で包丁を握る姿や、重い鍋を持ち上げる姿を見ると、心配になりますが、祖母にとっては誰かに料理をつくることが唯一、元気を取り戻す手段のようにも見えます。凝ったものは作れなくなりましたが、変わらずとてもおいしいのです』

 近所の人に頼まれるほどいなり寿司が上手で、人が来ると大鍋でおでんや天ぷらやうな重をつくる。「人に喜んでたくさんたべてもらうのが好きなの」と彼女は目を細める。赤飯もあられも大盛りで、どんどん勧めてくる。

 だからといって、料理が気分転換であったと言いきれるほど、彼女の人生は簡単ではない。

 今は、器や台所道具を精力的に整理している。

「捨てたり、あげたり、バザーに出したり。生活に必要な器なんてほんの少しでしょ。たくさん持って、残った人に迷惑かけたくないですからね。私、エンディングノートも書き終えてるの」

 人の世話をし続けて、最後は人に世話をかけないようにと整理して、自らの去る準備をする。この世代の人達の本当の幸せとは、どんな瞬間に宿るのだろうか。それはあえて言葉にするほどでもない生活の、ほんのささやかな一瞬であるような気もする。

 もう少し話を聞いていたいと思ったが、疲労が体に障るといけない。ではと腰を上げると、ひじきにあられ、海苔とたくさん持たされた。誰かに尽くすことがこの人の喜びのひとつなのだ。ひじきとあられはどちらもちょうどいい甘辛さで、ひどく懐かしい味がした。

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PROFILE

大平一枝

長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)ほか。最新刊は『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)。HP「暮らしの柄」。■レンズ協力:SIGMA ART|18-35mm F1.8 DC HSM、SIGMA 17-70mm F2.8-4 DC MACRO HSM/

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