鎌倉から、ものがたり。

酒蔵も保育園も、地域を回すエンジン。「熊澤酒造」

茅ヶ崎の内陸部、香川の地にある創業明治5(1872)年の「熊澤酒造」。古い蔵が集まる敷地内に、和食、イタリアン、ベーカリー&ケーキ、ブックカフェ、オープンテラス、雑貨ショップなど、さまざまな商空間が集まり、大勢でもグループでもわいわいと、時間を忘れて楽しめる。( 前編はこちらから )

一方で、ひとりで本を読むのもいい。何をしても、自由に放っておいてくれる雰囲気が、湘南のゆったりとした風に似合って、気持ちがなごむ。
毎年春に開く蔵開きのイベント、「酒蔵フェスト」では、近隣の人たちをはじめとする熊澤ファンが集まって、地域の文化祭といった風でにぎわう。

蔵元が地域とともにある姿は、6代目当主の熊澤茂吉さん(50)が、1994年に家業を継いだときから模索してきたものである。昨年の11月からは、そこに「ちがさき・もあな保育園」という、新しいプロジェクトも加わった。

同保育園は、NPO法人「もあなキッズ自然楽校」理事長の関山隆一さんとともに、「森のようちえん」のスタイルで運営する企業主導型保育園だ。森のようちえんとは、デンマーク発祥の保育法で、子どもたちが戸外で過ごすことが1日のベースになっている。

かつて存亡の危機にあった蔵を継いだとき、わずか数人だった従業員は、事業の再構築が進む中で75人に増えた。中には、仕事を続けたいのに保育園が見つからず、辞めざるをえない社員がいて、そんな人たちが仕事を続けられるための仕組みが必要になっていた。

それを思案していたときに、熊澤さんは、神奈川県内で森のようちえんを実践している関山さんと出会った。

「小田原で無農薬の茶摘みに参加したとき、偶然、隣に関山さんがいて、朝から昼過ぎまでお茶の葉を摘みながら、話を聞いたんです。で、『それ、まさしく、うちでできることじゃないか』ということになって」

ひらめきの元には、以前、カリフォルニア州ベンチュラにある「パタゴニア」の本社を訪ねたときの記憶があった。

「普通、企業内保育園って、会社の中に保育園がありますよね。でも、パタゴニアでは、社内のいたるところに子どもたちが普通にいて、保育園の中に会社がある感じだったんです。お客さんが買い物の支払いをしているときも、『ちょっと待って』って、子どものおしめを替えていたりして、それにはびっくりしましたが、こういう会社運営ができたらすばらしいじゃないかと、ずっと思っていました」

保育園は熊澤さんの父が経営する「湘南テニススラブ」の敷地内にある。同クラブと熊澤酒造は、木の扉1枚で隣接しており、周囲に広がるのは子どもにとって格好の遊び場となる雑木林。理想的な環境だ。

熊澤酒造の中庭では、月・水・金に茅ヶ崎の生産者がつくる無農薬野菜を販売するマルシェも開いている。それらの野菜は、レストランや保育園でも使われるものだ。

熊澤さんの中で、日本酒とクラフトビールの醸造、ハム・ソーセージづくり、飲食店や雑貨店、カフェの経営、無農薬野菜の販売は、保育園のプロジェクトとも自然につながっている。

「食、ものづくり、農、建築、景色、自然、子育て……地域に大切なモノやコトを回すエンジンとして、地元の古い会社があればいいのではないか。茅ヶ崎市香川という地名を聞いたとき、『あ、熊澤酒造がある町ね』と、いってもらえるとうれしい。ですから駅ビルには出店しません。100年をかけて、この土地ならではの蓄積をつくりあげていく取り組みです」

空き家問題、地場産業の後継者不足が取り沙汰される現在だが、地域という足元で、こんなにも豊かなことができる。そのことを、ぜひ知ってもらいたい。

(写真 猪俣博史)

熊澤酒造
神奈川県茅ヶ崎市香川7丁目10-7
https://www.kumazawa.jp/

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PROFILE

清野由美

ジャーナリスト。1960年、東京都生まれ。東京女子大学卒。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科修士課程修了。在学中、英ケンブリッジ大学客員研究員。英国留学、出版社勤務を経て、91年にフリー。先端を行く各界の人物インタビューとともに、時代の価値観や感覚、ライフスタイルの変化をとらえる記事を「AERA」「朝日新聞」「日経ビジネスオンライン」などに執筆。著書に『新・都市論 TOKYO』『新・ムラ論 TOKYO』(隈研吾と共著・集英社新書)、『ほんものの日本人』(日経BP社)、&w連載「葉山から、はじまる。」を1冊の本にまとめた『住む場所を選べば、生き方が変わる――葉山からはじまるシフトチェンジ』(講談社)など。

猪俣博史(いのまた・ひろし)

写真家
1968年神奈川県横須賀市生まれ。慶応義塾大学商学部卒業。卒業後、カナダを拠点に世界各地を放浪。帰国後、レコード会社、広告制作会社勤務などを経て1999年にフリーに。鎌倉、葉山を拠点に、ライフスタイル系のほか、釣り系媒体なども手がけ、場の空気感をとらえた取材撮影を得意とする。本連載のほか、&travelで「太公望のわくわく 釣ってきました」の執筆と撮影を担当。神奈川県三浦半島の海辺に暮らす。

湘南最後の蔵元で、ビールもハムもパンも。「熊澤酒造」

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