按田さんのごはん

按田優子さん~水餃子屋と「ボンタデカン」のこと

東京・代々木上原と、二子玉川で大人気の餃子(ぎょうざ)店、「按田(あんだ)餃子」の店主、按田優子さんの新連載「按田さんのごはん」が始まります。昨年、著書『たすかる料理』のインタビューで語っていただいた、どこまでも自由な按田さんワールドを、さらにどっぷり、写真と文章で味わえる貴重な機会! どうぞお楽しみください。まずはじめは、按田さんの「好き」の起源だという、「ボンタデカン」についてのお話から――。
    
按田優子さん~水餃子屋と「ボンタデカン」のこと

皆様はじめまして、こんにちは。按田優子と申します。
これから毎回、私の好きな食べ物のことをつづっていこうと思います。それで、どんなものが好きか思い浮かべていたら、幼少のころから何一つ変わっていないということに気が付きました。

そこで自己紹介がてら今回は私のことを少し。

私は生まれも育ちも東京で、実家は銭湯でした。家と仕事場が一緒で家の造りもちょっと独特で、子供のころはお友達から「あんちゃんの家はからくり屋敷みたいだね」と言われていました。コーヒーと添えてあるクリームが逆転している感じとでも言いましょうか、なにせ住居よりも風呂のほうがデカいのです。そんな実家は仕事と遊びが混在していました。

近所には等々力渓谷があって、そこが私のいつもの探検場所。
ある日、土をいじくっていると、ひとまとまりになっていく。なんだこれは!! ということで、持ち帰ってこねてサイコロのようなものを作り、父に渡すと、風呂のお湯を沸かすための窯場で焼いてくれました。それはカチコチになりました(粘土質だったのですね! そういうことを知らなかったのでびっくりしました)。

粘土質の土が気に入った私は、よく土をほじくりに行くようになりました。お客さんの忘れ物コーナーから土に混ぜると一番よさそうなシャンプーを選び、土に加えてぐるぐるかき混ぜては、庭のじめじめしたところに隠して一晩ねかせて様子を見たり。

ちょうどその頃テレビで宣伝していた育毛剤の名前が面白かったので、それをまねて、「ボンタデカン」という名前にしてしばらく開発にいそしんでおりました(最高のとろみが出て手ごたえを感じてきたところでゲームオーバー。母に捨てられてしまいました)。

按田優子さん~水餃子屋と「ボンタデカン」のこと

窯には他にもうれしい産物がありました。焼き芋です。アルミホイルに包んで脇に置いておくと数時間後にねっとりした甘い焼き芋が出来上がっていました。
夏の暑い日は外でご飯を食べるのが習慣で、父は風呂を沸かすための薪を拝借してかまどやはんごうでご飯を炊いてくれました。その延長なのか、レジャーは決まって海か山での外ご飯でした。アウトドア用品などはなかったので、いつも使っているフライパンやお椀を持参して繰り広げられていた日常と非日常のあやふやな境界には、何とも言えない感情の揺さぶりがありました。

泥をぐるぐるかき混ぜるのと同じくらい好きだったのが本を見ながらお菓子を作ることでした。それで、大学3年生から製菓と製パンの職場でアルバイトするようになりました。そこでは10年くらい働いて、ひょんなことから、小麦をこねるという親近感も手伝って、35歳の時に仲間と水餃子屋を開きました。

按田優子さん~水餃子屋と「ボンタデカン」のこと
(ペルー滞在時の按田さん)

そして、時を同じくしてペルーアマゾンに食品加工の専門家として現地のプロジェクトに参加することになりました。「ジャングルにある植物や素材の特徴を捉えて、何かにする」というお仕事です。そうです、母に捨てられたあの未完のボンタデカンを世界のどこかでいまも完成させたいと思っているのです!

ゴールの見えない長い長い道のりですが、その道の途中で出会った食にまつわるいろいろなことを、皆さんと一緒に道草を摘みながら歩んでゆけたらと思います。

お付き合いのほど、どうぞよろしくお願いいたします。

按田優子

(次回は5月上旬に更新予定です)

PROFILE

按田優子

保存食研究家。菓子・パンの製造、乾物料理店でのメニュー開発などを経て2011年独立。食品加工専門家として、JICAのプロジェクトに参加し、ペルーのアマゾンを訪れること6回。2012年、写真家の鈴木陽介とともに「按田餃子」をオープン。
著書に『たすかる料理』(リトルモア)、『男前ぼうろとシンデレラビスコッティ』(農文協)、『冷蔵庫いらずのレシピ』(ワニブックス)。雑誌での執筆やレシピ提供など多数。

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