東京の台所

<185>父の謎と、絶品ナポリタン

〈住人プロフィール〉
会社員(女性)・29歳
賃貸マンション・1LDK・日比谷線 八丁堀駅(中央区)
築年数12年・入居4年・夫(31歳、会社員)・長男(1歳)の3人暮らし

娘が地元に戻ることを拒んだ父

「こんな田舎にいちゃだめだ。都会に出ろ」と、父に言われて育った。男親は娘を外に出したがらないものだと聞いていたが、自分のことがかわいくないんだろうかと悩んだことさえある。

「裕福ではないので、地元の大学に進もうと思っていましたが、絶対に東京へ行けと。就活のときは“地元には大きな産業があるわけじゃない。こっちで就職なんか考えちゃだめだぞ”。できれば結婚相手も、地元の人間じゃないほうがいい、広い世界を知りなさいと言ってました」

 中部地方の小さな町で、医療関係の仕事を自営する父は、息子と娘を都会に送り出し、そのまま就職を勧め、去年、脳出血で急逝するまで、広い家に夫婦ふたり仲睦(むつ)まじく暮らした。

 父自身、学生時代を都会で過ごした。ところが、卒業間近に親が体調を崩し、親戚から、「本家の長男として、家を守ってほしい」と説得され、内定していた会社を蹴って実家に戻った過去を持つ。
 親戚の口利きで就職した会社には当時、Uターンの大卒者は少なく、やりづらさを感じていたらしい。結婚後一女一男にも恵まれ順風満帆だったが、周囲の反対を押し切って会社をやめ、40代で起業した。

 そんな父との思い出には、たくさんのおいしい料理が介在する。幼い頃から母は外で働いていたため、自宅で仕事をする父が、料理や家事の中心を担っていた。カレー、煮魚、黒豆ご飯。料理好きで、つねに味と献立のバランスに心を配っていた。

「私が上京すると、“野菜と果物を食べなさい”“肉は意識しなくてもいろんな料理に入っているが、豆と魚は意識しないと食べられない。だから、外食のときはできるだけ魚料理の店を選びなさい”とよく言われました。父は独身時代、カップラーメンなど適当な食事で体調を崩したことがあり、よけいに健康に気を配るようになったようです」

 5年前、社内恋愛で結婚した彼女もまた共働きで、一児の母となった。野菜、豆、魚を多めに献立に取り入れる習慣は、父の影響だ。

 彼女も夫も、大好きな父のメニューがある。帰省すると必ずリクエストする。うどんとナポリタンだ。
「父のうどんのつゆは絶品なんです。鰹(かつお)、昆布、いりこを独自の配合で一から作ります。ナポリタンは、数年前からハマっていて、ネットで研究。バターやラードを入れるんだとか。あまりにも突然亡くなったので、レシピも聞かずじまいなのですが」

 料理が得意で家族思いの優しい父。そのイメージを覆される事件が起こったのは、脳出血で倒れてまもなくのことだ。

家が競売に!?

「父が倒れたと聞き、弟も私も帰省。母と交代で看護をしていたときのことです。実家に、不動産屋さんが来て、あなたの家は差し押さえで、2週間後に競売にかけられるので、その前に売ってくれないかという話でした。私は狐(きつね)につままれた気分で、なにがなんだか意味がわかりませんでした」

 急いで市役所に行って確認すると事実だった。実家の写真がネットにものっている。税金滞納による財産差し押さえとのことだった。家の中を探すと、あちこちから借用書が出てきた。いわゆる多重債務で、なかには17%の高利のあやしげなローンも。自分の事業の行き詰まりを、穴埋めしていたのだ。

 結果からいうと、父は借金が周知の事実となったことを知らずに2週間で天に召された。
 彼女は言う。
「みんなにお父さん大変だったねって言われるんですが、正直、あのときの私は借金のことで頭がパンパンで。何より、何も知らなかった母がすごく傷ついていました。なんでこんなになるまで私に言ってくれなかったんだろう、倒れなかったら、競売のことはどうするつもりだったんだろうって」

 借金の総額は、母がそれまで貯めてきた預金とほぼ同額だった。母は、悔いた。
「言ってくれたら、なんとかなる金額だったのに。私が相談できない雰囲気にしちゃってたのかな。誰にも言えずに消費者金融で借りて、それも返せなくなって、最近、疲れがとれないってよく言ってたんだよね。きっと、ストレスのつみかさねで倒れちゃったんだよ」

 母は子育て時代の名残で、夫のことをパパと呼ぶ。自分を責め続ける母をなぐさめ、様々な手続きを経て借金を完済し、なんとか葬儀や法事を終えた9カ月後の先日。母が、父との最後の会話を教えてくれた。

「パパはしゃべれなかったけど、耳も聴こえて意識もちゃんとあったんだよ。ラジオから流れていた曲をカーペンターズだねって言ったら、うんって小さくうなずいたから。最期、眉間(みけん)にしわを寄せて、あーあーって、何かとても言いたそうでね。家が競売にかけられる、まずいことになるって私たちに伝えたいのかなって思った」
 それでママはどうしたの?
「子どもたちが家のことをなんとかしてくれるから大丈夫よって、言ったの。だからリハビリ頑張らないとねって」

 父は、わずかに首を横に振った。嫌だという心の声が母には聞こえた。
「いま思い出したんだけど、そのときパパ、涙を流してたんだよね。
 たくさん隠し事をしてたから、言いたくないことを言わなくてもいいように、私たちも本人から聞かないままでいいように、神様が声を奪ったんじゃないかな。そして、もうこれ以上苦しまなくてもいいように、神様がつれていっちゃったのかもしれないね……」

今解ける小さな謎

 なぜ誰にも言わなかったのか。競売をどんな気持ちで承諾したのか。いつ競売のことを言うつもりだったのか。たくさんの謎が残る。
「葬式のときはいろんな人から、気前が良くいつもおいしい差し入れをたくさんもらったと聞いて、そんなことをしている場合かと怒りのほうが大きかった」と彼女は振り返る。
 だが、母の話から、父の意地やプライドが伝わった。
「実家や故郷に縛られ、人生の選択も自由にできないなか、ひとりいろんなものと戦っていたと思うとせつなくなって。だからあんなに、私や弟に、こっちに帰るなって言ったんだなと、やっとわかりました」

 ナポリタンに凝りだしたのは、借金を始めた時期と重なる。後ろめたさを抱える父にとって、家族を喜ばせる食事を作る台所は、何もかも忘れて没頭できる貴重な場所だったのかもしれない。

帰省時は前もって、「何食べたい? 」と必ず聞かれた。
「うどんかナポリタン! お父さんのあれじゃないとだめなんだよ」
 というと、ほんとうに嬉しそうだったという。
「そう、大黒柱になれていなかった父は、おいしい食事を作ることで、“父”をしていたのかもしれませんね」

 取材で、無理を言って開けてもらった冷蔵庫には、1歳9カ月の息子の昼食が用意されていた。人参、小松菜、玉ねぎ、椎茸入りの豆乳スープ、ひじきの練り物、ごはん、いちご。野菜も豆も海藻もばっちり。
 この東京の台所にも、彼女の頭にも、心にも、父が棲んでいる。

台所の写真は最下部のフォトギャラリーへ↓↓
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PROFILE

大平一枝

長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)ほか。最新刊は『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)。HP「暮らしの柄」。■レンズ協力:SIGMA ART|18-35mm F1.8 DC HSM、SIGMA 17-70mm F2.8-4 DC MACRO HSM/

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