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絲山秋子の新作を追い続ける理由。『夢も見ずに眠った。』

絲山秋子の新作を追い続ける理由。『夢も見ずに眠った。』

撮影・馬場磨貴

書店で働いていると、いろんな人から好きな作家は誰ですか?と聞かれることがある。なんとなく試されているようで恥ずかしくもなるのだが、いつも真っ先に挙げるのが絲山秋子である。もちろんそこに虚栄などはなく、現存する日本の作家の中でも1、2を争うぐらいに好きな作家である。

だから絲山秋子の新刊が出ると知った時から必ず買おうと決めていたし、実際発売日には迷うことなく書店に行った(まあ、勤務先が書店なので、職場に行っただけなのだが)。

夫婦の、25年にわたるバランスと転機

新刊の『夢も見ずに眠った。』は沙和子と高之の夫婦の25年にわたる物語。2人は大学時代からの友人で、結婚したあとは沙和子が総合職の正社員で働き、高之は非正規の仕事を転々としながら夫婦生活を送っている。

高之は沙和子の家に婿養子として入り、埼玉の熊谷にある彼女の実家の離れに暮らしている。高之は婿養子に入ることに対して反発するでもなく、ご自由にどうぞ、とどこか他人事だ。全体的に物事を楽観的に考えているフシがあり、いい意味でおおらかだ。対照的に妻の沙和子はしっかり者で、ちょっと怒りっぽい。まあ、ある意味でバランスが取れている夫婦と言えるだろう。

しかし、そんなふたりに転機が訪れる。札幌に異動の辞令が出た沙和子は、高之を彼女の実家に残して単身赴任することを決める。そして離れて暮らすようになった高之に、うつ病の兆候があらわれてくる。ふたりは次第にバランスを失っていき、ついにはすれ違うようになっていく。

小説の中でふたりは日本各地を旅していて、章ごとに岡山、熊谷、函館、お台場など様々な場所が舞台となる。しかしそれは断片的な描写ばかりで、次の章になると年代も場所も違うところから話が続いていく。だから読者は連続した夫婦生活を見届けるのではなく、細切れの夫婦生活の断片から、隙間を埋めるように、ふたりの関係性の変化を感じ取っていくしかない。

絲山秋子の新作を追い続ける理由。『夢も見ずに眠った。』

『夢も見ずに眠った。』絲山 秋子著 河出書房新社 1890円(税込み)

そもそも絲山秋子の小説は、一見ぶっきらぼうに思えるほど簡潔な文章で、事細かな心理描写を省いていることが多い。もちろんそれは意図的に省いているわけで、その言葉の裏には表面上の意味だけではなく、いろいろと解釈できる意味が含まれている。だからこそ読み終わったあとは、どことなく手応えのなさを感じているのに、物語の輪郭が徐々にあぶり出しのようにボヤーッと浮かび上がってきて、不思議と物語の余韻に浸り続けてしまう。

これはテクニックとして簡単にできるものではなく、作者の感覚や視座によるところが大きいのだろう。何を書いて何を書かないか、その嗅ぎ分け能力のようなものが非常に優れているのだと思う。

初期の頃の作品に比べると今回の小説は文章の密度も増し、物語も重層的になっている。物語の終盤では、時代設定が2022年の近未来となっていて、これは今までの作品では見られなかった設定だ。もちろんそれに合わせて、沙和子と高之のふたりの関係も冒頭からはかなり変化している。

しかし最後に提示される、それでもお互いを信頼して向き合うという、とてもあたたかで強いメッセージは初期の頃の作品で書かれていたものとまったく変わっていない。それは「変わらない」のではなく、「変わらずにいられる」のであって、それこそが自分が絲山秋子の作品を信頼し、新作を追い続ける理由なのである。

(文・松本泰尭)

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