4月の特集『出会いと別れ』

作家・小林エリカさん、最愛の父との別れと遺された日記

『出会いと別れ』をテーマにお届けしている4月の特集。2回目に登場いただくのは作家の小林エリカさん。最愛のお父様との別れと、遺(のこ)された日記から始まった旅、作家として取り組み続けるテーマについてお話しいただきました。(撮影・相馬ミナ 文・小林百合子)

父とアンネ・フランクの日記

作家、漫画家として幅広い分野で創作活動を行う小林エリカさん。2014年にはマリ・キュリーの人生と放射能の歴史をテーマにした小説『マダム・キュリーと朝食を』で芥川賞候補に選出されるなど、文壇でも注目を浴びている。

「『出会いと別れ』について考えた時、一番大きかったのはやはり父との別れです。2010年に亡くなったのですが、当時はそのことを書くことも、誰かに話すこともできなかったんです。最近少しずつ外に出せるようになったので、今日はそのことをお話ししたいなと思って」

小さな頃からお父さんっ子だったという小林さん。かけがえのない思い出に加えて、父は大切なものを遺してくれた。

「今から10年前、父の80歳の誕生日を祝うために実家に帰ったのですが、その時に父が16歳から17歳にかけてつけていた日記を見つけたんです。太平洋戦争中と戦後にかけて書かれたもので、戦中の暮らしのほか、好きな人がいたり、勉強がうまくいかなかったり、とりとめのない日常のことも書いてあって。ああ、父にも青年時代があったんだということに驚きました。当たり前ですが、私の中で父はずっと“お父さん”でしたから」

もうひとつ、小林さんを驚かせた発見があった。

「私は10歳の頃にアンネ・フランクの『アンネの日記』を読んで、自分も作家になりたいと強く憧れて今があるのですが、偶然にも父とアンネが同じ年の生まれだったということに日記を読んで気づいたんです。私にとってアンネは13歳の少女というイメージが常にあったのですが、もし彼女が生きていたら今の父と同じ80歳なんだと。それにもすごく衝撃を受けたんです」

日本とオランダ、同じ時代を生きた同じ歳のふたり。偶然の発見に導かれるように、小林さんは父とアンネの日記、そしてまっさらな自分用の日記帳を携えて、アンネの生涯を辿(たど)る旅に出ることにした。その旅から生まれたのが、彼女の作家としての地位を決定的にした作品『親愛なるキティーたちへ』(2011)だった。

「本ができたら父に見せたいと思っていました。でも残念ながら完成する前に亡くなってしまって。今でも父の日記はたまに開いてみるんです。例えば4月には何をしていたのかなとか。そしたら桜のことや、ヨモギ摘みに行ったことなんかが書いてあって。当たり前のことかもしれませんが、時代は違ってもちゃんと同じ季節は巡っているんだなとハッとさせられることや、目の前のヨモギ餅を見て、戦争のことを考えることもあります」

作家・小林エリカさん、最愛の父との別れと遺された日記

昨年はアンネ・フランクの生涯について紹介する子供向け書籍の翻訳も手がけた。左から翻訳を担当した『アンネのこと、すべて』アンネ・フランク・ハウス編、日本語版監修・石岡史子(ポプラ社)、著書の『親愛なるキティーたちへ』(リトルモア)、『アンネの日記』は年代や訳者違いでさまざまなものを読んできた。

消えてしまった誰かの人生を書き残したい

小林さんの父の日記は1945年のある日、こんな言葉から始まっていた。「又(また)一日命が延びた」。学徒動員された父は飛行機工場で働きながら、ときに空襲にあったりして、まさに戦争のただ中を生きていた。

「日記の書き出しにあるように、たしかに死と隣り合わせの日々だったかもしれませんが、日記には同時に、父が一生懸命ドイツ語を勉強している様子も書かれていました。空襲で焼けないように本や教科書を地面に埋めたりもしていて、戦争中に勉強するなんて!と驚きました。アンネの日記も同じで、子供たちはみんな隠れ家の中で勉強していたんですよね」

それらの記録は、小林さんの戦争に対するイメージを大きく変えた。

「戦争というと、食べるもののこととか、逃げることだけを考えて、とにかく毎日を耐えているんだろうなと想像していたのですが、そんな中でも、もちろんごはんも食べるし、勉強したり恋したり、悩んだりしているんですよね。戦争と日常が地続きで繫がっているというのでしょうか。今を生きている私たちとなんら変わらない人たちが生きていた時代だったんだと気がついたんです」

父やアンネが 懸命に書き残していた日常の記録。それが80年後を生きる人にこんな気づきを与えるとは、本人たちは想像だにしなかっただろう。

「私もそうですけれど、日常に起きる出来事って、書かずに消えてしまうことの方が多いと思うんです。でもだからといって、それらが“大事じゃない”というわけではけっしてないんですよね。どこにも書き留められずに消えていってしまった誰かの日常というのは数え切れないほどあるはずです。そういうものを捕まえて、紙の上に書くことはできないだろうか、あったかもしれない誰かの人生を何かに留めておきたいという気持ちがすごくあって、それが作品を書く動機になっていると思うんです」

“書く”ことへの強い思い。それを支えてきたのは、アンネ・フランクのある言葉だという。

「『アンネの日記』の中で彼女は、『わたしの望みは、死んでからもなお生き続けること!』だと書いていて、それが衝撃というか、ものすごく感動したんです。アンネの日記を読んで私が作家になることを夢見たように、世界中にそんな人がたくさんいると思うんです。彼女の言葉に影響を受けた人が今もどこかに生きている。アンネの望みは、叶(かな)っているんだ、って思いました」

「父の日記はもっと個人的なものですが、今なお、私は父の日記を手に持って、もう死んでしまった父の言葉を読むことができる。それも、今の私よりもずっと年下の、16歳父の言葉を、何度だって読むことができるんです。それは、アンネの言う『死んでからもなお生き続ける』ってことなのかなって。書くことで生き続けることができるんだ!とか、そういうことを小さい頃からずっと考えていました」
 

作家・小林エリカさん、最愛の父との別れと遺された日記

近年取り組んでいるのは、1936年のナチ・ドイツのベルリンオリンピック、1940年の”幻の東京オリンピック”と2020年のオリンピックのこと。それらを題材にした小説「トリニティ、トリニティ、トリニティ」(集英社「すばる」2019年4月号)を発表した。「書き残されることがなかった誰かの日常」を追い続けている。

未来を生きる人たちへ、自分は何を残せるか

言葉を書き残すこと。それは自分が生きた痕跡であり、同時に未来を生きる人に何かを渡していくことでもあるのかもしれない。

「アンネの生涯を辿る旅をしていたとき、『もしあの時こうなっていたら……』と思うことが何度もありました。例えばアンネが人生を終えた収容所。『ここがあと数日早く解放されていたら死なずに済んだんじゃないか』とか。アンネが生まれた家を訪れた時には『選挙に投票した人たちが、もしもっと違う選択をしていたら……』とも思いました」

13歳の少女の人生から見えてきたのは、「一瞬一瞬の、ひとりひとりの選択が未来を作っていく」ということだった。

「目の前の一瞬ではいいことだと思える選択も、もしかしたらその後の10年、100年先を生きるひとりの人の生き死にに関わるかもしれない。それをすごく強く感じて。運命だなんて簡単に言ってしまいがちですが、本当はそんなものはなくて、もしあるとしてもそれはひとりひとりが握っていて、その一瞬一瞬の選択の上に未来があるんじゃないかと思うんです」

100年先を生きる人々の未来を想像するのは容易なことではない。だからこそ小林さんは自分の100年前を生きた人々のことを思う。

「この十年以上、放射能の生みの親と言われるキュリー夫人の人生と放射能の科学史をテーマに作品を作っています。核や原子力の是非や善悪を問いたいからではなくて、今、目の前で起こっていることを考えたり書いたりするためには過去をきちんと見る必要があると思うから」

そして自分の作品もまた、未来を生きる人たちへ何かの手がかりを伝えられたらいいと考えている。

「私が敬愛する作家のひとりにスヴェトラーナ・アレクシエービッチというベラルーシの方がいて、彼女は その本の中で『裁くのは時代に任せましょう。時代は公平です。でもそれは私たちがいなくなった遠い時代』と書いているんです。それを読んだときに、自分がやりたいのはこういうことなんだと胸打たれて。戦争にしても原発にしても、私はその善悪を裁くのではなくて、今目の前で起こっていること、そしてそれを善悪だけで分けてしまったときに見えなくなってしまうものを、きちんと書き残したいんだと」

歴史に記録されることのなかった、いち青年の戦中の日常。父の日記はそれを、あとに生きる自分に伝えてくれた。自分が書き残した文章もそんな存在になれたらいいと願う。

「自分が死ぬということを考えると、やっぱり怖いんです。でももしかしたら100年後の未来を生きる誰かが私の文章を読んで、今、ここに生きている人たちの痕跡みたいなものに気づいてくれるかもしれない。そう思うとすごく希望を感じるんです。それがあるから一生懸命文章を書いていて、書き続けたいと思えるんです」

別れと出会いは少しずつ重なりながら、いつか人生というものになる。人の一生を超え、もっと大きな単位で想像した時、私たちの人生もまた、誰かのそれと折り重なって、未来というものを作っていく。日々の別れと出会いを見つめつつ、小林さんのまなざしはずっと遠くへ、この先を生きる人々へと向けられている。

作家・小林エリカさん、最愛の父との別れと遺された日記

漫画家としても活動する小林さん。アンネの生涯を辿る旅の途中には多くのスケッチを描いた。新作コミック『光の子ども』(1・2巻、リトルモア、2019年夏に3巻刊行予定)は放射能の115年の歴史と現代が交錯する壮大なスケールの物語。

PROFILE

小林エリカ
作家・漫画家
1978年東京都生まれ。近年は放射能の科学史をテーマに、マリ・キュリーら女性科学者たちの人生の軌跡を取材しながら執筆を続ける。小説『マダム・キュリーと朝食を』で芥川賞候補。漫画家としても活動し、最新作は『光の子ども2』。4/6~7/15まで市原湖畔美術館で開催中のグループ展示「更級日記考―女性たちの、想像の部屋」に参加。

>>高山都さんの『出会いと別れ』のお話はこちら

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高山都さんの手放した考え方と、新しく始めた習慣。

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