東京の台所

<187>料理をしないと決めた、働く母の日常

〈住人プロフィール〉
会社員(女性)・35歳
賃貸マンション・2LDK・JR中央線 西国分寺駅(国分寺市)
入居6年・築年数19年・夫(会社員・41歳)、長男(10歳)の3人暮らし

    ◇

 ひどく潔い応募メールが届いた。

『料理はほぼしません。週1~2回、外食や市販のお総菜に飽きたときくらい。でも、コーヒーを飲んでタバコを吸えてひと息つける台所が好きです。子持ちの共働きで全然料理しない女の人ってあんまりいないと思いますが、おもいきって応募してみました』

 料理はしないけれど、台所がなんとなく好きだ。そんな人がいたっていい。もちろん嫌いでもいいし、おしゃれでなくても、なんのこだわりがなくても本欄では取材の対象になる。なぜそうなのか深掘りしていく過程で、住人ならではの物語が浮かび上がる。そこを描きたくて、私は連載を続けている。

 果たして迎え入れてくれた住人は、応募文どおりサバサバとして、飾らぬ言葉で率直に答える女性だった。10歳の男の子の母。結婚11年目の夫は会社員で、一緒に暮らし始めたとき、ティファールの鍋や器やゴミ箱など、台所に必要なものをひと通り揃(そろ)えてくれたという。

「私はあまり台所道具やインテリアにこだわりがないので。夫もとくにあるわけではないですが、必要にかられてネットショップなどで買ってくれました」
 じつは、子どもが小さいころは頑張って料理をしていた。
「野菜を細かく刻んだら食べてくれるかな、スープにしたらどうかなって、仕事から帰って必死こいて作っても、子どもって、気に食わないと食べてくれなかったりして。費用対効果が合わないなあと。仕事がたてこんでいた時“今日作れなかった、ゴメンね”と彼に謝る。なんで同じに働いているのに、下手にでなきゃいけないんだろうって思い始めたんですよね」

 仕事から帰宅後、ひと息つく間もなくあれこれ工夫して作った料理を、食べない子どもにイライラが募った。連日帰宅が12時過ぎの夫も、疲れすぎていてあまり食欲がない。
「彼の体を考えて作った料理に箸が進んでいないのを見て、またイライラ。そうやってイライラされながら食べる料理なんて、きっと夫も子どもも、おいしくも楽しくもなかったと思うんです」

 自分もくたくたになりながら、残った料理を冷蔵庫にしまい、子どもを風呂に入れて寝かせる。しかし翌日も、残り物はたいして家族が食べたがらない。
 はやりの「作りおき」にも挑戦したが、合わなかった。
「休日のまる一日が作りおきでつぶれて、1週間それを食べきらなくちゃと気持ちが追われる。日によって食べたいものが違うのに、好きなものが食べられず、作りおきに縛られることが嫌になりました」

 子どもが4歳のある日、ふと保育園の帰りにファミレスに寄った。パスタとピザというありふれたメニューだったが、ふたりでにこにこしながら楽しく完食した。帰宅後はゆっくりおふろに入った。
「片付けもしなくて楽だし、ゴミも出ない。なにより、ずっと笑いながらおしゃべりしておいしいものを食べて、本当に楽しかったんです」

「作らねば」「栄養のあるものを食べさせなくては」と、ガチガチに凝り固まっていた心が、ふっと緩んだのだろう。私にも経験があるのでその時の解放感はよく理解できる。

 それから、作り置きをやめた。外食ばかりも行っていられないので、総菜を買うことも増えた。雑穀入りの米だけは必ず炊きたてを用意し、デパ地下やスーパーで買った総菜をおかずにする。簡単な鍋にインスタントラーメンを入れたり、義務感でなく実験感覚で試す料理の時間には苦痛がないと気づいた。

「いまどきのお総菜って塩分が控えめだったり、無添加だったり、本当においしくてよくできていてほんとうに驚きました。有機かどうかや保存料などを気にするより、子どもと楽しくゆっくり食事の時間を楽しみたいので、私はこれでいいと思っています」

 平日の帰宅が遅い夫の食事作りもやめた。彼は会社帰りに外食で済ませる。週に1~2度、彼女が食べたいものを作るときは、「今日はごはんあるよ~」とラインを送る。「イエーイ!」と絵文字入りの返事が来る。

「たとえば新じゃがとか、季節のものを突然食べたくなるときがありますよね。そういうときは、どんなに割安でも、たくさん買いません。1食食べ切れる分だけを買って、その日に使い切ります。3パックいくらという食材も、あれを食べなきゃと縛られるのは嫌なので1パックだけ買います」
 
 のどかな埼玉の故郷で、保険の外交員をするシングルマザーに育てられた。食事は祖母に頼りきりであまり作ってもらった記憶がない。そのかわり、母は仕事で都心へ行くと、ふわふわのおいしいパンや、おしゃれで彩りのきれいなサラダを土産に買って帰る。休日はよく外食に行く。子ども心に、土産も外食も楽しみだった。

「母は、無理してストレスに思いながらなにか作るより、おいしいものは買ったり、外に食べに行ったりすればいいっていう人で、私も食事に楽しい思い出しかありません。10歳で離婚して母なりに自分のやり方で私を愛してくれた。最初は試行錯誤の日々だったと思いますが、とても感謝しています」

 その母が、最近、なんと菓子作りに目覚めた。
「おいしいものは外で散々食べ尽くしたからって。うちの息子があんこが大好きなんですが、帰省するといまや小豆から煮てあんトーストなんか作ってくれるんです。まさかあの母さんが?と驚いています」

 夫の会社では、料理をしない嫁として有名で、“鬼嫁キャラ”で通っているとのこと。下戸の夫と違い、彼女は酒が好きでタバコも嗜(たしな)む。おまけに大のプロレス通。同僚の間で格好のネタなんだとか。
 あるとき、彼は同僚から「料理をしない奥さんってどうなの」とまじめに聞かれた。夫は、「疲れて帰ったら、俺だって料理するのはいや。その気持ちはよくわかるから気にしていないって答えたんだ」と、飄々(ひょうひょう)とした表情で教えてくれた。

 飲む雰囲気やつまみは好きな夫とは、最近よく休日に居酒屋デートをする。年頃の長男が「俺、いいわー」と遠慮するようになったからだ。
「私はもともと貧乏舌で、素材の味がとか言われてもきっとわからない。これでないとだめ、あの添加物は危険とかいろいろ考えるより、好きな人と普通にお酒飲んで、おいしいものを食べられたらそれで幸せなんです」

 彼女は彼女なりのやりかたで、家族を愛し、生活を紡いでいる。家族以外の誰にも、それを否定する権利はない。
 今の世の中には体にいい素晴らしいものがあふれているけれど、何を食べるかより、そこに流れる時間のゆたかさこそ大事だと、私はあらためて思う。

 彼女の食生活は、毎日にゆとりができたらいずれ変化するに違いない。それは本人も、どうやら予知している。
「ストレスになるなら無理しなくていい。でも私、いつか料理がストレス解消になる日がくるような気がしているんです」
 母は、孫の好物のお菓子がきっかけだったが、彼女のそれはさてなんだろう?

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PROFILE

大平一枝

長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)ほか。最新刊は『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)。HP「暮らしの柄」。■レンズ協力:SIGMA ART|18-35mm F1.8 DC HSM、SIGMA 17-70mm F2.8-4 DC MACRO HSM/
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<186>タイの食に魅せられた彼女の、第二の挑戦

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<188>菓子作りに救われた母と子の物語

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