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「好きな映画は『タイタニック』」と言っていい。移動映画館『キノ・イグルー』の仕事術

「好きな映画は『タイタニック』」と言っていい。移動映画館『キノ・イグルー』の仕事術

写真提供:キノ・イグルー

2003年に有坂塁さん・渡辺順也さんによって設立された移動映画館『キノ・イグルー』。フィンランド映画界の鬼才アキ・カウリスマキから直々に名付けられた映画館は、無人島・カフェ・美術館など、場所を選ばずに映画を上映し、日本のあらゆる場所をフォトジェニックな映画館に変えてきました。

「好きな映画は『タイタニック』」と言っていい。移動映画館『キノ・イグルー』の仕事術

横須賀市にある無人島の猿島では、要塞(ようさい)跡のトンネル内にスクリーンを設置して『無人島シネマ』を開催した。 写真提供:キノ・イグルー

キノ・イグルーに映画上映を依頼するのは行政、企業、個人のギャラリー、カフェなどさまざま。その目的や注文は多岐にわたりますが、映画作品から上映会の内容などを有坂さんが決めることはないそうです。まずはイベント担当者と、プライベートまで踏み込んだ綿密なコミュニケーションをとることからスタートし、そこから上映場所の魅力を浮き彫りにして上映場所が決まり、映画作品が決まっていきます。たとえば2014年に行われた東京国立博物館の野外上映会(来場者6500人)。当初、施設から提案された上映場所は、来場者が座ることができる場所でした。しかし、有坂さんは通りから見える博物館の正面にスクリーンを設置し、そこに来場者を集めたのです。国立博物館正面を客席にすることで、池の水面にスクリーンが反射される幻想的な風景をつくり出し、キノ・イグルーならではの上映会を実現しました。

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写真提供:キノ・イグルー

このようにキノ・イグルーは、規模の大小に関わらず、日本全国で思いを持って自分の空間を作っている人たちとゼロからその場所の魅力を見つめ直し、“映画×場所”の組み合わせで唯一無二の上映会を作り上げています。

設立から16年のあいだ一度も営業活動をせず、「僕自身が、毎日をいかに楽しむかも仕事の一つ」と話す有坂さんの、しなやかな発想で多くの人に幸せな映画体験を届ける方法を聞きました。

「好きな映画は『タイタニック』」と言っていい。移動映画館『キノ・イグルー』の仕事術

常識だと思っていることは、本当に常識か?

『キノ・イグルー』は日本語で、“かまくら映画館”を意味するフィンランド語。名付け親は、2002年にカンヌ国際映画祭グランプリを受賞した映画監督アキ・カウリスマキです。もともとカウリスマキ映画のファンだった有坂さんは、キノ・イグルーを立ち上げる際に尊敬する人に名付け親になってほしいとカウリスマキに手紙を書きます。

当時レンタルビデオ店のアルバイトだった有坂さんにとって、フィンランド映画界の鬼才として知られていたカウリスマキは別世界の人。面識もツテもない状態ながら、カウリスマキがつくる映画とインタビューを読みこんでいた有坂さんは、カウリスマキが名付け親になってくれるという自信があったそうです。

「好きな映画は『タイタニック』」と言っていい。移動映画館『キノ・イグルー』の仕事術

カウリスマキ宛ての手紙に書いた内容は、当時の有坂さんたちが感じていた映画鑑賞を取り巻く閉塞(へいそく)感について。当時レンタルビデオ店のアルバイトをしていた有坂さんは、好きな映画を聞かれたときにマニアックな映画を答えるべきという、作品の一側面しか見ない映画ファンの閉塞感に嫌気がさしていました。たしかに「好きな映画は?」と聞かれて、素直に「アルマゲドン!」「タイタニック!」と答えにくい時代があったと思い返す人は少なくないのでは?

遠慮なくのびのびと映画の話ができる、本来ある映画のかたちに戻したいという有坂さんたちの思いをつづった手紙投函(とうかん)から2カ月後、カウリスマキからきたメールに書かれていたネーミングが『キノ・イグルー』。カウリスマキは監督になる前に、『キノ・イグルー』というシネクラブを主催しており、彼の映画の原点になった名前を有坂さんたちにプレゼントしたのです。

「まだ何も始めていない僕たちに、スーパースターが想像を超えるかたちで応えてくれた。常識から考えれば、カウリスマキに名付け親になってもらうなんて無理だけれど、実際は無理ではなかった。こんなふうに、自分たちの常識の枠を取っ払うところからキノ・イグルーは始まりました」

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写真提供:キノ・イグルー

映画の力で、組織の枠を取り払う!

キノ・イグルーに依頼する人の目的は、お客さんと映画を楽しみたいという個人店や、商業施設の集客、認知度アップなどさまざま。有坂さんはどんな依頼でも担当者との会話から、その場でしかつくれない上映会を企画していきます。依頼元が大きくなるほど関係者も多くなり、しがらみや上下関係による企画変更が出るのが常ですが、有坂さんはその解決に映画の力を使っていました。

「大企業に打ち合わせに行くと、大きなテーブルにずらっと社員が座っていて、僕に連絡をくれた担当者も緊張している。こんな状況で、みんなが納得する良いアイデアを出すのは無理です。そんなとき、一人ひとりに好きな映画を聞くことから始めます。『実はタイタニックが好き』と好きな映画を打ち明けることで、会社での肩書が外れる。映画はコミュニケーションのきっかけになるし、同じ映画が好きな人同士は組織の枠を外れて共感が生まれるのです」

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飲み会やプライベートでは話せるのに、会社にいると肩書を気にして素直に自分の意見を言えないこともある。有坂さんは、そんな“自分が自分らしくいられない社会”に違和感があるといいます。

「会社にはルールがあるので、自分らしくいられない部分もあると思います。でも、誰もが自分らしくいることを社会が受け止めれば、ルールに縛られずにいられると思う。ルールのなかで小さくならず、自分らしくいたいという欲求は、人の基本的な願いだと思います。僕はその願いにシンプルに向き合っていて、上映会という小さなところから形にしている、ということです」

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写真提供:キノ・イグルー

遠回りに見えて、もっとも幸せに近い仕事の方法

キノ・イグルーを合理的に大きくさせるなら、カウリスマキが名付け親であることをもっと発信し、映画のタイトルをつかってPRするのも手段のひとつでしょう。1回のイベントのために、時には数カ月も依頼主とコミュニケーションをとり続ける有坂さんの手法は、一見遠回りにも見えます。しかし、設立から16年間仕事の依頼が途切れることなく続いている現状は、その仕事術が間違っていないことを証明。

「楽しそうな人の周りには、人が集まってくるでしょう? だから僕は1秒1秒を楽しむようにしています。たとえば、何かをしたいと思ったらその場でかたちにする……今日はあの人と食事がしたいと思ったら、その場でまずは連絡してみるとかね。今の仕事のスタイルも、僕は人見知りなので、もしも自ら営業をしてイベントが成立したとしても、クライアントが楽しんでいるかどうか気になってしまう。そんな状態では僕の良さが出せないし、イベントにとっても良くないこと。人生は一度ですから、この瞬間を大切に自分らしくいるようにしています」

「好きな映画は『タイタニック』」と言っていい。移動映画館『キノ・イグルー』の仕事術

インタビューの終わり。有坂さんは、好きな映画を書いてくださいと言いながら1冊のノートを取り出しました。『ホビット』『運命じゃない人』『リリイ・シュシュのすべて』……このノートには、有坂さんが今まで出会ってきた3000人以上の人が書き込んだ映画のタイトルがびっしり。

「このノートを見ながら、お酒を飲むのが最高の時間ですよね」と笑う、有坂さんなのです。

文:石川歩、インタビュー写真:野呂美帆、写真協力:キノ・イグルー

キノ・イグルー

2003年に有坂塁が渡辺順也とともに設立した移動映画館。 東京を拠点に全国のカフェ、パン屋、酒蔵、美術館、 無人島などで、世界各国の映画を上映している。2016年からは映画カウンセリング「あなたのために映画をえらびます」や、思いついた映画を毎朝インスタグラムに投稿する「ねおきシネマ」をおこなうなど、自由な発想で映画の楽しさを伝えている。
http://kinoiglu.com/
Instagram @kinoiglu

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