東京の台所

<188>菓子作りに救われた母と子の物語

〈住人プロフィール〉
フリーライター、編集者(女性)・45歳
戸建て・3LDK+3LDK(母)・小田急線 玉川学園前駅(町田市)
入居13年・築年数40年・夫(会社員・57歳)、長男(15歳)、次男(12歳)、実母(81歳)の5人暮らし

再婚した相手がある日、突然難病に

 高台の瀟洒(しょうしゃ)な一軒家は、彼女が6歳のとき、事業を営む父が建てた。
 出版社就職と同時にひとり暮らしを始め、25歳でひとつ年下の人と最初の結婚。28歳で離婚をした。「子どもはいらない」といわれたことが要因だ。
 2年後、ひとまわり上の男性と再婚し、長男を出産。同時にフリーライターとして独立した。

「父が早く亡くなり、母一人だったこの家に戻ったのは、13年前の32歳。次男を出産して賃貸の家が手狭になったのがきっかけです。1階は母、2階を私たち家族で使えるようリフォームをしました」
 設計は、建築家、中村好文氏の紹介で佐藤重徳氏に依頼した。25畳余のリビングを見渡せる2階フロアの中心に、オープンカウンターの台所がある。南にバルコニー、北にテラス。南北西の3面から風と光が舞い込み、見るからに明るく開放的な空間だ。

 仕事は順調。子ども時代を過ごした勝手知ったる地元で、ご近所仲間との付き合いも楽しく、進んで小学校のPTA会長も担った。
 ところが、つい4年前のこと。
「目が見えづらい」と医者にかかった夫にくだった診断は、重症筋無力症であった。

「難病で、それからみるみるすごい速さで筋力が落ちて、歩けなくなりました。1カ月後には箸も持てず、お風呂にも一人で入れないような状況に。私も取材で家をあけることが続いたので、つい夫の介助やケアを中1の長男にまるまる1カ月、頼ってしまっていたのです」

 明るい長男は友達も多く、勉強もよくできた。おまけに料理や菓子づくりが大好きで、幼い頃は母がデパ地下のスーパーで買い物をしている間、隣の富澤商店(製菓材料専門店)に行っては、迎えに行くまであれこれ物色。小学生のころにはもう、ひとりで包丁を研いで、サクの刺し身を薄切りするほどの凝りようだった。

 2016年5月、夫が免疫グロブリン療法のため入院。
 6月、退院した翌日から長男が学校へ行かなくなった。

父の退院の日、息子が急変

「元気だった父親が急にそうなったのが受け止めきれなかったのだと思います。それなのに一人で世話をして、母親の私も取材でろくに家にもいない。いやそれより何より、私が母として独りよがりだったのだと思います」
“キッチンは物語が生まれる場所なのだなあと思い、私も取材してほしくなりました”と取材応募文に綴(つづ)っていた彼女は、そこから、ありのままを率直に語り始めた。

「自分の子を言うのもあれですが、小さい頃から成績が良くて、私自身がいい気になっていたのです。中学に入ったばかりの息子に、都立か国立高校へ行って大学は東大か早慶に行ってねなんて、希望を押し付けていました。早稲田は私が落ちた大学なんです。馬鹿ですよね」

 まず、まじめに頑張って通っていた塾に行かなくなった。ご飯も食べない。朝昼抜きで、夜は不機嫌そうにしぶしぶ家族と食べる1日1食生活に。昼夜が逆転し、夜は寝ず、朝起こしにいくと、「ロールケーキみたいに」布団にぐるぐる丸まっている。
「どうしていいかわからなくて、起きない彼を見て私も布団に突っ伏して毎朝泣いていました」

 好きで行っていた保護者会やPTAも苦痛になったことで、はっとした。
「息子の成績が良くて、ちやほやされるのが嬉しかったんですね。でもいまは不登校。イケてる自分から一気に劣等感だらけのだめな自分になったみたいで、学校に行くのが嫌でしょうがない。それで気づいたんです。自分は子どもと一体化していたんだなって」

 どんどん回復していく夫と裏腹に、昼の12時ごろにしか起きられない息子。
 彼女は仕事をセーブし、見放さず、干渉をしすぎず、遠くから見守るという難しい距離感を意識するようになった。
 以前から、親が不在時の緊急用に使う生活費を三千円ほどリビングの棚に置き、誰でも使えるようにしていた。長男はしばしばそこから数百~千円を出し、富沢商店に菓子の材料を買いにいった。
 家族が寝静まった深夜、菓子を作るためだ。

「不登校の間、ひたすらお菓子を作っていました。シフォンケーキ、トリュフチョコ、ゼリー、白玉団子の小豆添え。たくさん作って、冷蔵庫に入ってるんです。それがどれもおいしくて。ほら、これです」
 
 子どもの作る菓子という想像を超えた、本格的な美しい色とりどりの菓子が冷蔵庫にずらりと並ぶ写真を見せてくれた。3年前のそれを、スマホのすぐ取り出せるところに保存している。彼女はこれをどんな気持ちで撮ったのだろう。
 ただ菓子が並んだ庫内の、何の変哲もない写真だが、私には、子離れしようと必死にもがいていた苦しみと、菓子作りに一縷(いちる)の希望を託した母のせつない感情が伝わってくるようで、胸が詰まった。

バレンタインデーにリスタート

「もう学校も塾も行かなくていい、自分がしたくないなら勉強もしなくていいと私も腹をくくりました。あるとき、“塾代浮いたけどどうしたい?”と聞いたら“成城アルプスのケーキが食べたい”と。本当においしいものやお菓子が好きなんだなあと。あいかわらず1日1食ですが、不登校の間も、食への興味は尽きませんでした。いまだになんの影響かわからないのですが。グルメ漫画とかですかね」

「まずいものを食べるくらいなら、1日1回おいしいものが食べたい」と言う長男に付き合い、仕事を休んで、新宿高野のフルーツバイキングや銀座のお寿司に出かけることもあった。
 学校の友達とはラインをしたり、テニスクラブに行ったり、不登校以外は普通の中学1年生だ。外とコミュニケーションを閉ざすことはない。

 中学1年生のバレンタイン前夜。
 やおらチョコレートケーキを作り出した。それから抹茶ケーキ、オレンジゼリー、ガナッシュ、クランチチョコも。
「軽く30人分はある。あ、この感じは学校へ行くのかもしれないなって直感的に思いました」

 案の定、「友達にあげる約束をした」と言う。
 翌朝、朝ごはんを食べ、制服を着る彼を淡々と見守った。
「運ぶの、手伝おうか? 途中まで車で送るよ」
「うん」
 途中の坂道に仲良しの女の子が待っていた。
「あとはよろしく頼むと心の中でその子にお願いし、祈るような気持ちで見送りました」

 クラスメイトはバラエティーに富んだ菓子の美しさと、あまりのおいしさに大興奮。以来今日まで、元気に登校している。もちろんバレンタインは彼の独壇場だ。なぜかホワイトデーも友だちに頼まれて大忙しだそう。

「子どもって思い通りにならないもんですね。こんなに一生懸命尽くしてきたけど、全然違う道を行く。それでいいんだとやっとわかって、もう誰かのためになどと考えて生きるのはおしまいにしようと決めました。私は私の人生を生きようって」

 今、客足が途絶えがちな近所の文具店をもり立てようと、フリマやイベントを開いている。軒先で不定期開催の“スナック”を始めたら話題になり、遠方からも客や取材が来るほどに。
 もてなすとき、着物を着られたらいいなと思い、着付け教室にも通いだしたといかにも楽しそうだ。

「自分はじりじりしていただけ。息子はお菓子作りに救われました」と語る彼女は、現在の心境をこう表現する。
「子どもは10じゃなくて2くらい。あとの8は私です」
 
 台所を家の中心に据えたからといって、家族が仲良く、子どもは健やかに成長するわけではない。けれども私はこの間取りでよかったなあと傍らから思うのだ。台所を通らないとどこへもいけない造りで、夜中に菓子を作る彼の気配を、家族全員が見守れる。流れてくる甘い香りは、息子もまた必死にもがいている証でもあったろう。
 中学生と高校生の男子二人。これからは2くらいの心配のしかたで、お母さんは不定期スナックに夢中くらいで、ちょうどいいのかもしれない。

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PROFILE

大平一枝

長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)ほか。最新刊は『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)。HP「暮らしの柄」。
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<187>料理をしないと決めた、働く母の日常

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