花のない花屋

「母にも母なりの悩みがあったんじゃないか」。亡き母へ感謝のバラの花束を

〈依頼人プロフィール〉
真鍋涼子さん(仮名)56歳 女性
神奈川県在住
専業主婦

私が小学6年生の頃、父が病気で亡くなりました。社会に出ることなく結婚し、それまでずっと専業主婦だった母は、女手一つで私を育てなくてはいけなくなり、父の死後、母は職業訓練校や通信教育で学んで医療事務の資格を取り、病院の事務で働きながら私を大学まで出してくれました。

忙しい時期になると、母は6時過ぎには家を出て、帰るのは23時過ぎ。私は見よう見まねで自分のお弁当を作り、夜は部活の後にスーパーで買い物をして、自己流で夕ご飯。

母と私は一つ屋根の下に暮らしてはいましたが、顔を合わせてゆっくり話す余裕などはなく、それぞれ自立して生きていくしかありませんでした。孤独感は否めませんでしたが、それ以外の方法がなく、さみしいと言う暇もないほど毎日が必死でした。

私は大学入学と同時に一人暮らしを始め、そのまま就職、結婚をしたので、母と暮らしたのは結局18年間だけです。もともと口数の少ない母だったので、家を出ると話す機会もさらに少なくなり、距離感のある親子関係がずっと続きました。母が60歳を過ぎて、脳梗塞(のうこうそく)、子宮がん、卵巣がん、悪性リンパ腫など次々と大病を患っても、どこかドライで優しくなりきれない私がいました。

そんな関係が徐々に変わっていったのが、母が亡くなる3年ほど前のことです。足が悪くなり、認知症も出始めていた母を見るため、月に4、5日は実家へ帰り介護をしていたのですが、もともと花が好きで生け花を習っていた私は、殺風景だった庭に「せっかくだから……」と花を植え始めました。

すると、みるみる庭が花でいっぱいになり、それまでは花を愛でる余裕もなかった母と、花をきっかけにたわいもない話ができるようになったのです。母はデイサービスのお迎えの方に庭をほめられるのがうれしかったようで、積極的に草むしりも手伝ってくれました。

そんな私たち親子にとって大切な庭に、ある秋の日、突然たくさんの彼岸花が咲きました。植えた覚えはないのに、辺り一面真っ赤に染まった庭を見て、私は胸騒ぎを覚えました。母があちら側に連れて行かれてしまうのではないか……そんな嫌な予感がしたのです。そしてその予感は的中、翌年バラが美しく咲く5月に、母は80歳で旅立っていきました。

母の生まれ故郷、広島県福山市は100万本のバラがある「バラの街」として知られています。棺おけには「一番きれいな花を入れてあげたい」と思い、白とピンクの季節のバラを詰め、祭壇にもバラを飾って送り出しました。

いざ母が亡くなってしまうと、残るのは後悔ばかり。「もっともっといろいろな話をすればよかった」「あれは私の押しつけじゃなかっただろうか」「母にも母なりの悩みがあったんじゃないか」……。そんな思いばかりが浮かんでは消えていきます。

母は泣き言をいわない人でしたが、亡くなる前、私が母の家を出るときになると、決まって母は「あなたがいないと、2、3日ぼーっとしちゃうのよね」と言いながら、私が見えなくなるまで見送っていました。そんな母を見ながら、後ろ髪引かれる思いで帰路についていたのを今も鮮明に覚えています。

そこで今さらではありますが、亡き母へ、一生懸命育ててくれた感謝と来世も娘にしてもらえたら……という気持ちを込め、バラの花束を作っていただけないでしょうか。母は小さくて気が弱く、やさしい雰囲気の人だったので、パステル調でふんわりと穏やかな、かわいらしい感じのアレンジにしていただけるとうれしいです。

「母にも母なりの悩みがあったんじゃないか」。亡き母へ感謝のバラの花束を

花束を作った東さんのコメント

一生懸命育ててくれた亡きお母様へ、誰もがもっているような気持ちだと思います。言葉少なに大和撫子みたいな人ですね。

変わったバラを中心にパステル調のやさしい花束を意識しました。まわりにもちのいいスターチスを配したのですが、このままドライになってもいい雰囲気がでます。あとは、ピットスフォルムを採用。可愛くて女性的なものに仕上げたかったんです。

男性から女性への花束はいろんな種類を混ぜることが多いのですが、今回は女性同士ですので、シンプルにわかりやすいものがいいと思います。

誰にだって親に対して正直になれないことがあります。なので、あまり自分を責めないでくださいね。

「母にも母なりの悩みがあったんじゃないか」。亡き母へ感謝のバラの花束を

「母にも母なりの悩みがあったんじゃないか」。亡き母へ感謝のバラの花束を

「母にも母なりの悩みがあったんじゃないか」。亡き母へ感謝のバラの花束を

「母にも母なりの悩みがあったんじゃないか」。亡き母へ感謝のバラの花束を

(写真・椎木俊介/ライター・宇佐美里圭)

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フラワーアーティスト・東信 (あずままこと)

「母にも母なりの悩みがあったんじゃないか」。亡き母へ感謝のバラの花束を

1976年生まれ。
2002年より花屋を営み続け、現在は東京・南青山にてオートクチュールの花屋「JARDINS des FLEURS」を構える。2005年よりフラワーアーティストとして、ニューヨーク、パリ、ドイツ、ブラジル等、国内外で精力的な活動を展開。独自の視点から花や植物の美を表現し続けている。
作品集に「ピエール・エルメ サティーヌ」「ENCYCLOPEDIA OF FLOWERSII 植物図鑑」(ともに青幻舎)など。

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http://azumamakoto.com/

PROFILE

  • 宇佐美里圭

    1979年、東京都生まれ。東京外国語大学スペイン語学科卒。在学中、ペルー・クスコにて旅行会社勤務、バルセロナ・ポンペウファブラ大学写真専攻修了。ワールドミュージック誌、スペイン語通訳、女性誌、『週刊朝日』編集部を経て、『アサヒカメラ』編集部。料理研究家・行正り香さんの書籍を多数手がける。ラテン音楽、山、ワインが好き。

  • 椎木 俊介(写真)

    ボタニカル・フォトグラファー

    2002年、東信とともに、銀座にオートクチュールの花屋「JARDINS des FLEURS」を構える。東が植物による造形表現をはじめると時期を同じくして、カメラを手にし、刻々と朽ちゆき、姿かたちを変容させていってしまう生命のありようを写真に留める活動に傾倒していく。日々、植物に触れ、その生死に向き合ってきたからこそ導き出すことのできる、花や植物のみが生来的に有する自然界特有の色彩や生命力、神秘性を鋭く切り取っていく。

    2011年に初の作品集となる東信との共著『2009-2011 Flowers』(青幻舎)を発表以降、常に独特の視点ですべての東の作品を捉え続け、近年は映像制作にも力を入れ、多岐にわたる活動を行っている。

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