鎌倉から、ものがたり。

逗子のcafe coyaから始まった。葉山「ヒマダコーヒー」

 葉山の海岸通り。その中心となる元町に、いかにもシャイなたたずまいの店がある。築100年という木造民家の1階。白いペンキ塗りの壁のガラス窓に「HIMADA COFFEE(ヒマダコーヒー)」と店名がある。

 扉を開けて中に入ると、清潔でミニマルな空間が、まちの喧噪を一気に消していく。奥の厨房にいた店主の齊藤啓介さん(40)が、控えめな笑顔と、丁寧な物腰で差し出してくれたのは、冷水ではなく白湯。メニューには、まるで詩のような「お願いごと」が記されていた。

「店内ではお閑かに。/ お喋りは少し声をひそめて、/ 図書館や博物館のこわいろで。/ とめどない会話も/ お控えくださいね。」

「本でも読みながら、考えごとでもしながら、お過ごしください。/ ゆっくり、寛いでお待ちいただけましたら恭悦至極に存じます」

 席についた時から、外とは違う時間が、ひっそりと、そして文学的に広がっていく。この感覚は、葉山のような「ビレッジ」の中で、いっそう強く感じられるものだ。

 80度の湯温で、ネルフィルターを使ってじっくり抽出する「珈琲」。ケチャップやソースまで手作りするオムライスやカレーライスは、カフェの定番メニューながら、その盛り付けはミニマルアートのよう。

 店は齊藤さんひとりで切り盛りしているため、頼んですぐに、というわけにはいかない。でも、のんびり構えている間に、ひごろの情報漬けで、どこかに置き忘れてしまった「待つ」豊かさが、自分の中に帰ってくる気になる。

 2016年9月のオープン。葉山の隣、逗子市で生まれ育った齊藤さんは、高校卒業後、東京の大学に進み、人文学部で宮沢賢治を学んだ。ただし、卒業を前にした時、進路に明確なイメージは描けなかった。

「勤め人になる気はまったく起こらず、就活はしませんでした。だからといって、何をしていいのか。ただ途方に暮れていました」

 実家に戻り、アルバイトをしながら過ごす中、犬の散歩に出かけた時に、小学校の同級生だった長島源さんとぱったり再会した。長島さんは当時、後の「シネマアミーゴ」につながるコミュニティカフェなどの活動に取り組んでいた。その姿を見て、自分も地元で何か仕事をつくっていくことができるのではないか、と足元を見つめ直すようになった。

 といっても、ものごとはなかなか自分の思う速度では進まない。そのころ、根本きこさん・西郡潤士さん夫妻が、逗子の桜山で営む「cafe coya(カフェコヤ)」で、1杯のコーヒーを飲む時間が、齊藤さんにとっては、生きていくための大切なひと時だった。

 cafe coyaは、根本さん、西郡さんが、築80年にもなる元・お寿司屋さんだった古い木造家屋を改装して開いたカフェ&雑貨店。その後、全国に広がったカフェブーム、古民家再利用ブームの、まさしく端緒となった「伝説の場所」だった。

「店のたたずまい、そこに置かれた家具、メニュー、うつわと、ひとつひとつにふたりの選択眼が行き渡っていて、すべてが僕の好みのど真ん中でした。先端の感性を持つふたりでしたが、でも、押しつけがましさはまったくない。あらゆる面で、あこがれ、理想の店だったんです」

 そんなある日、西郡さんが「何やっているの? うちで働いてみない?」と、声をかけてくれた。そこから、齊藤さんの居場所づくりは、ゆっくりと照準を定めながら、動き出すことになった。(→後編に続きます

HIMADA COFFEE(ヒマダコーヒー)
神奈川県三浦郡葉山町堀内975

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PROFILE

  • 清野由美

    ジャーナリスト。1960年、東京都生まれ。東京女子大学卒。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科修士課程修了。英ケンブリッジ大学客員研究員。英国留学、出版社勤務を経て、91年にフリー。先端を行く各界の人物インタビューとともに、時代の価値観や感覚、ライフスタイルの変化をとらえる記事を「AERA」「朝日新聞」「日経ビジネスオンライン」などに執筆。著書に『新・都市論 TOKYO』『新・ムラ論 TOKYO』(隈研吾と共著・集英社新書)、『ほんものの日本人』(日経BP社)、&w連載「葉山から、はじまる。」を1冊の本にまとめた『住む場所を選べば、生き方が変わる――葉山からはじまるシフトチェンジ』(講談社)など。

  • 猪俣博史(写真)

    1968年神奈川県横須賀市生まれ。慶応義塾大学商学部卒業。卒業後、カナダを拠点に世界各地を放浪。帰国後、レコード会社、広告制作会社勤務などを経て1999年にフリーに。鎌倉、葉山を拠点に、ライフスタイル系のほか、釣り系媒体なども手がけ、場の空気感をとらえた取材撮影を得意とする。本連載のほか、&travelで「太公望のわくわく 釣ってきました」の執筆と撮影を担当。神奈川県三浦半島の海辺に暮らす。

土日のみオープン。朝が似合う134号線「まつなみコーヒー」

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葉山と宮沢賢治を結ぶ“注文の多い”店「ヒマダコーヒー」

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