野村友里×UA 暮らしの音

UAさん「『私』という肉体と思考と精神、そして魂」

「eatrip」を主宰する料理人の野村友里さんと、現在カナダで暮らす歌手UAさんの往復書簡「暮らしの音」。5週間のイベント(eatrip city creatures)を終えてドキドキ、ワクワク、“多幸感”につつまれているという野村友里さんへの、UAさんのお返事は――。

UAさん「『私』という肉体と思考と精神、そして魂」

娘のコラージュしたレコジャケ

>>野村友里さんの手紙から続く

友里

全くもって、人の気配とは隠しようがないわね。
どんなに着飾ろうとも、目に映らないものは隠しようがない!

そうか、友里は「ドキドキ」してるんだ~。
「ビクビク」「ソワソワ」そして
「ワクワク」「ハラハラ」してるんでしょ。

そのドキドキ、不安からなら「動悸動悸?」
ときめきのそれなら「時時?」
縄文に思いを馳せるなら「土器土器?」(こりゃ失礼!)

日本語に特に多く使われる、擬音語、擬声語、擬態語の総称となる「オノマトペ」。
何氣なく頻繁に使っているけれど(何せ、大阪育ち)、考えてみると、とても不思議な響きに溢れてる。

子どもを叱るときにも、「ママは怒ってるでー!」と言うよりは、「ママはもうプンプンやで!」と言えたほうが、丸くおさまる感はある。

「ザブン」や「ガラガラ」のような擬音語ならまだしも、「ふんわり」「はらはら」「うっとり」みたいな擬態語は、特に不思議。
そんな音が鳴るわけはないのに、そんな音が聞こえてるような氣分で使ってる。聴覚でない五感のその先にある感性が作用してる感じ。

例えば「雨がしとしと降っている」なんて、非常に日本的でたまらない。
おなかが痛いときには、シクシク、チクチク、キリキリ、ムカムカ、これもう様々に。
画面を見つめ、目も合わせないお医者には、こんな言葉も不要なのかしら?

どうやら、身体の症状に関わる擬声語は、とりわけ豊富なよう。
そこで思うに、「雨がしとしと」の場合も、その「しとしと」は雨がというより、自分の身体が「しとしと」してる様に感じるのかなと。生身あってこその感性。
もしかしたら「ふんわり」「はらはら」「うっとり」も、聞こえてる氣分というよりは、身体の中で鳴ってるに近いのかもしれない。

現代に入っては、このオノマトペが急増してるそうだけど、漫画の影響なんかもあるのかしらね。
若者たちは、説明的であるより、ダイレクトな感覚を交わしたいのか。通信速度が極めて速くお手軽になったからというのは当然あるよね。

UAさん「『私』という肉体と思考と精神、そして魂」

息子のコラージュしたレコジャケ

目に見えないものに関心が深まる

さてさて、「刻々と」令和に時が移ろう中、一大イベントを繰り広げ、自ら”多幸感”を体現し、まるで花粉さながらに、集う皆さまにお届けした、あなた。
「トクトクと」脈打つ鼓動のリズムにじゃれ合うように、未来のヒントを「じわじわと」受粉させちゃったあなたは、まさに、今を「時めく」人。

令和は何年続くのか。四つの時代を生きることもありうる私達。
とにかくは心身ともに知足を心がけていたいもの。
だからなのか、歳を重ねるごとに目に見えないものに関心が深まる。童心の再現を試みる。
多分、それは目に見えるものより圧倒的に多いのだろうが、というか、物質レベルで測ることがおかしいけれど、例えば、「私」という現象。
おっと、思わず、宮沢賢治の『春と修羅』序文の冒頭にかぶってしまいました。。。が、それはさておき、その「私」という肉体と思考と精神と魂。

肉体は、しとしとしたり、ウズウズしたり、ムラムラしたり、ほっこりしたり、感覚に溢れかえって忙しい。しかし事実、見えるのは前側の表皮ばかりで、その内実や自分の姿自体、肉眼で見られない。

思考はというと、ありとあらゆる事柄に影響を受けて、自由に飛び回っている。当然見えないけれど、言葉に擬態させて見せることはできる。

精神となると、これは、何もせずに育つことはなく、幼少時から保護者たちの姿勢を見聞きし、
自我が芽生える頃には、少なくともその鍛錬を始め、自立するときに芽生えている。そうして死ぬまでその鍛錬は続く。しかしこれは、気配そのものとして隠せることなく、現れている。けれど目に映るわけではない。

UAさん「『私』という肉体と思考と精神、そして魂」

レコジャケの裏面

そして魂。
辞書にもある通り、それなしではそのものがありえないくらい大事なもの、なのに、その分かりにくさといったらたとえられない。
でも待てよ。。。魂は「私」に属してるかな。いや、反対だ。「私」は魂から派生した小さな花みたいなもの。顕在した意識。けれどその花は幻影とも言えるよな、、だけどそれを自分と呼べないとなると途方に暮れたりするわけで。

私達、肉体レベルでは物質そのもの。お互い見つめあったり、目を背けたり、いつも違いを探してる。でもそれ以上に共有したがってる。
相手が見てる自分の方が、自分で見てる自分より、よっぽど正しいこともあるだろう。
正しい正しくないにかかわらず、それらの想念は全て存在しているけど、目には見えない。
けれど、皆、魂から表現された地上に降り立つもの同士。

うう、ここまで書いてはみましたが、この先は、自分の意識レベルでは、どうにも着地できそうにない。
でもね、一つ言いたいのは、友里の感じたその“多幸感”って、その「魂」を感じることなんじゃないかなって。肉体と宇宙のあわいにゆらめく「私」達が、それぞれのそれぞれらしいやり方によって、普遍意識にふと触れられるような、さ。

UAさん「『私』という肉体と思考と精神、そして魂」

レコジャケの裏面

ところで、
こちらの小島にて、6月中、目には見えない牧草の花粉に悩まされ。。。ヘイフィーバーってやつね。
視点を変えれば、大デトックス月間とも言えるのだけど。
滝のように垂れる鼻水は、まるで不要な情報や感情を排出するために、脳が溶け出てるに違いないっ!

森で採ったネトル(西洋イラクサ)を粉末にして、毎朝服用してはいるものの、1カ月も続くと、くたびれてきちゃって。そこで実は私も、中華街まで足を伸ばして、筆談し(笑)、十全大補湯を手に入れてきたところ。

常備している漢方の一つなんだけど、切らしちゃっててね。これがなんと子どもたちにも大人気! おいしく感じるのは必要としてる証拠とはいうものの、下のおチビなんか、見つけたら勝手に飲んじゃいそうで、たんすの奥に隠してる。

漢方医の望診は、普通には見えないことが、彼らの眼にはまじまじと映るわけよね。
それこそ、友里のお鼻が、味覚まで察知する並外れた嗅覚となってるみたいにね。
私の耳も、光を聞き取れるように、私の声も、魂の音に近づけますようにってね。

そして、
友里、お誕生日おめでとう。
優しさに囲まれた愉快な一年となります様に。

うーこ

PROFILE

  • UA

    1972年大阪生まれ。母方の故郷は奄美大島。1995年デビュー。1996年発表のシングル「情熱」が大ヒット。2000年、ブランキー・ジェット・シティを解散した浅井健一とAJICOを結成。同年、初主演映画「水の女」(テサロニキ国際映画祭グランプリ受賞作品)公開。2003年から放送されたNHK教育テレビ番組「ドレミノテレビ」に、歌のおねえさん「ううあ」としてレギュラー出演。2004年、数々の童謡・愛唱歌を集めた、ううあ名義アルバム「うたううあ」をリリース。2006年、菊地成孔とスタンダードジャズアルバム「cure jazz」をリリース。2010年、デビュー15周年企画カバーアルバム「KABA」をリリース。2016年、7年ぶりとなるオリジナルアルバム「JaPo(ヤポ)」をリリースした。また、2005年より都会を離れ、田舎で農的暮らしを実践中。現在はカナダに居住。4人の母でもある。α-STATION(FM京都)の番組「FLAG RADIO」にレギュラー出演中。

  • 野村友里

    料理人(りょうりびと)、「eatrip」を主宰。おもてなし教室を開く、母・野村紘子さんの影響を受けて料理の道に。主な活動に、レセプションパーティーなどのケータリングフードの演出、料理教室、雑誌の連載、ラジオ番組など。2009年、初の監督作品『eatrip』を公開。11年、「シェ・パニース」のシェフたちとともに、参加型の食とアートのイベント「OPEN harvest」を開催。その経験を経て日本のシェフたちとともに「nomadic kitchen」プロジェクトをスタート。12年、東京・原宿に「restaurant eatrip」をオープン。著書に『eatlip gift』『春夏秋冬 おいしい手帖』(マガジンハウス)、『Tokyo Eatrip』(講談社)、共著に『TASTY OF LIFE』(青幻舎)がある。

野村友里さん「不安のドキドキ、トキメキのドキドキ」

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野村友里さん「“ともだち”のために、今できること」

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