朝川渡る

弥生坂(いやおひざか) 2

連載短編小説「朝川渡る」5人めの物語、「弥生坂(いやおひざか)」を12話にわたりお送りします。

第1話 第2話 第3話 第4話 第5話 第6話 第7話 第8話 第9話 第10話 第11話 第12話

    ◇

 フリー編集者の私が、D出版社で2~3度顔を見かける程度だった沢田守時(もりとき)42歳と、心に秘密の小箱を持ったのは去年のちょうど今頃。夜が最も短い夏至近くのことだった。
 翌朝までにデザイン事務所に、大学案内パンフ1冊分の絵コンテを持参せねばならないという午前3時過ぎ、MacBook Airがうんともすんとも動かなくなり、パソコンも自分も凍りついた。

 徹夜で絵コンテをようやく描き終え、スキャンをする矢先。どうしよう。隣室に寝ている亮一を起こそうか。いや、ウィンドウズ使いの彼は門外漢だ。昨夜遅くまでぐずっていた5歳の日菜子をようやく寝かしつけた夫を、たたき起こすのも不憫(ふびん)である。携帯電話で出張修理サービスを検索したが、マックの24時間対応は皆無だ。脳の半分で、大至急印刷スケジュールのリスケの可能性を探りながら、ダメ元でフェイスブックとツイッターに書き込んだ。

『MacBook Air(Mid 2013, OS Mojave)の使用者です。虹色のカーソルがクルクル回り続けています。強制終了も再起動も不能。どなたか至急お助けを!』

 こんな時間にこれを読んでいて、マックに詳しいなどという人がいたら奇跡だと藁(わら)をもすがる思いで呼びかけた私に、『SEです。僕のツイをフォローしていただくとDM※で話せますが』とツイッターから返答してきたのが守時だった。

 携帯電話のスカイプで、遠隔指示をしてもらうことになった。深夜、見知らぬ男にライブカメラで自分を晒(さら)すのは腰が引けたが、すっぴんを気にしている場合ではない。
 はたして画面に現れた同年代らしき白いTシャツ姿の男は、じつにのんびりとした口調で、人に警戒心を抱かせない特殊な才能を供えていた。ぼさぼさの髪をあちこち手でおさえながら、開口一番、
「ども。深夜のレスキュー隊、沢田と申します」

 そんな冗談はあとにしてほしいと本気で思いながら、作り笑顔で「絶対に明日、あ違った、今日の午前10時までに直らないと困るのです」と事情を説明した。こちらの緊迫とは裏腹に、はいはいと目尻に深い笑いじわをたたえ、穏やかな顔で聞いている。ふだんの表情のデフォルトがこれなんだろう。
 年齢を問わず、昔から私はこういう男に弱い。笑いジワのある人に悪い人はいないという根拠のない思い込みがある。

 トラブルを説明している途中で、彼が口を挟んだ。
「ちょっと待ってくださいね。いつも読んでいるツイッターの、動くあなたを見ていたいけれど、今は携帯のカメラをマックに向けてくださいますか?」

 思わず吹き出した。
「あらやだっ。あたしったら恥ずかしい。すみません」
「いえいえ、パニックでしょうし気にすることはありません。きっと大丈夫です。マックブック・エアーのその世代のフリーズはよくあるんです。さて、と。そうか、レインボーカーソルがくるくると。なるほど」

 うむとうなずいたあと、スイッチが入ったように鋭いまなざしになり、私は妙にゾクッとしてしまった。
「やってみましょう。最近バージョンアップをしましたか?」
 たぶん、目の色が変わったあの瞬間、心を掴(つか)まれた。

※DM=ダイレクトメッセージ

第3話に続く

皆さまのご感想、思い出に残る恋、「朝川」体験のご投稿を、お待ちしております。

    ◇

人言(ひとごと)をしげみ言痛(こちた)みおのが世に
いまだ渡らぬ朝川渡る

万葉集 但馬皇女(たじまのひめみこ)の歌

万葉集から、但馬皇女の歌です。天武天皇の皇子と皇女で異母きょうだいである穂積皇子と但馬皇女が恋に落ち、人々のうわさになっているさなかに詠まれたとされるもので、ひと夜をともに過ごした後、人目につかないよう、朝の川を渡って帰る様子をうたったとも、あるいは何を言われても自分は恋の障害の象徴である「川」を渡ります、という強い気持ちをうたったものともいわれています。

翻って今、メディアでは、様々な形の恋愛がときにバッシングの対象として話題にされています。しかし、向けられた言葉の間からこぼれおちている何かがあるかもしれない……。そのような視座から、この連載短編小説「朝川渡る」の企画は始まりました。

1300年前と同じように、いま、朝、川を渡るような思いで恋を紡いでいるすべての人に。作家の央橙々(おう・だいだい)さんが、日常の中の小さな「朝川」の物語を紡ぎ、写真家・井上佐由紀さんの写真と一緒にお届けします。皆さまのご感想、思い出に残る恋、「朝川」体験も、ぜひお聞かせください

バックナンバー
朝川渡る

PROFILE

  • 央橙々

    小説『セカンド・ラッシュ』(『サンキュ!』ベネッセコーポレーション)にて作家デビュー。

  • 井上佐由紀(写真)

    1974年福岡県柳川市出身。東京都在住。写真家。九州産業大学芸術学部卒業。写真スタジオ、アシスタントを経て独立。現在はライフワークとして生まれたばかりの赤子の目を撮影しています。うどんとコーヒーがすき。
    コレクション:フランス国立図書館、サンフランシスコ近代美術館
    http://inouesayuki.com/ph/

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