朝川渡る

弥生坂(いやおひざか) 3

連載短編小説「朝川渡る」5人めの物語、「弥生坂(いやおひざか)」を、12話にわたりお送りします。

第1話 第2話 第3話 第4話 第5話 第6話 第7話 第8話 第9話 第10話 第11話 第12話
    ◇

「コマンドとコントロールと電源ボタン押してみてください」
「え? どこ? シフトとコマンドを一緒にクリック?」
「違う違う、コントロール。左にあるでしょ? そう、そこ!」
 いつしかタメ口で格闘しているうちに、外が明るくなり始めていた。絶望の淵からきっかり1時間半でパソコンを生き返らせた守時(もりとき)は神に見えた。

 なにか体の芯が興奮していた。時々画面に映る彼の腕の血管や筋肉の隆起にぞくりとする。真っ暗な漂流からスペースシャトルに再び乗船し、緊張の糸が解けた私は安堵のあまり饒舌(じょうぜつ)になっていた。彼も楽しそうに相槌を打つ。深夜の危機を共有した濃密な時間が私達を近くしていた。

「沢田さんは、こんな夜中に何してたの?」
「あ、守時でいいっす。みんなにそう呼ばれてるんで。俺も仕事。昔、D社にいて、今はITコンサルの会社興して、出版社のシステムの仕事をいくつか請け負ってるんだ。で、逃避行動でやよいさんのツイッターみてたってわけ」

 そういえばスカイプでも、最初から名前で呼んだ。ツイッターのアカウント名が「やよい」だから自然にそう呼ぶのだろうが、ファーストネームをさらりと呼ばれて0.5度体温が上がった。
 初対面の女性に少しも臆さず言える守時は、イタリア育ちか、はたまた既婚女性心理を知ったうえで意図的に言っているのか、どっちだろうと思ったがどちらでもなかった。

「やよいさんのツイッターは、とにかく毎日が失敗だらけで全力疾走。この人いつ寝てるんだろ、こんなに天然のうっかり屋さんのお母さんがいるんだな~って、ときにハラハラしながら、ちょこちょこ読んでたんだよね」
「ちょっと恥ずかしいけど、うれしいかも。男の人で育児ばなし系読むの、珍しいね。moritokiってフォロワー、名字かと思ってた」

 新米母と仕事との両立に必死だった頃、SNSは私の唯一の社会との窓口のような気がして、思いを吐き出していた。そんな広大なデジタルの海での個人的な作業が、誰かの目に留まっていたなんて夢にも思わなかった。

「俺、子どもいないんだけどさ、すげえ面白くて読んじゃった。『スマ×スマ』をいつになったら1時間通して見られるんだろうと思っているうちに最終回になっちゃっとか、『モンハン』の電源をいれずに1年が過ぎたのに、リビングから夫のゲームの音が聴こえてイラッとしたとか」

 いかにも愉快そうに、笑いじわをくっきり刻みながら彼は続けた。
「お、今日は『アメトーーク!』を続けて見られたんだ、子どもはちゃんと成長して親をラクにさせてくんだなあって、読んでるうちに親戚みたいな気持ちになっちゃったよ」
「親戚って! 今日初対面ですけどー。うん、でも、読んでいただきありがとうございます」
「ね、大丈夫? 10時までに仕事まとめなきゃじゃないの?」
「娘が7時に起きてくるまで大丈夫。あとはスキャンするだけだし。この狭い部屋が私の仕事場なの。娘はお風呂を挟んだ向こうの寝室で寝ています。あ、娘は5歳なの」

 なぜか、娘のことを話すときだけ敬語になった。
「ツイッターで知ってるって。だから今日は話せて嬉しかったよ」
 あまりに躊躇(ちゅうちょ)なく、自然体な彼の言葉に、私はとまどってしまい話題を変えた。自由な彼を処理しきれない。

「D社にいたころから、ツイッターの私ってわかってたの?」
「もちろん。カスタマー広告事業部は同じフロアだから。声のでかい元気そうな外部の編集さんがいるなーって気になってた。やよいさんが帰っちゃうと編集部がシーンとして、でもみんなに笑顔の余韻が残ってるのよ。えらい置き土産してく人だなーって」

 明るくて何を言っても凹まなそうに見られるキャラも、年々疲れのほうが上回ってくる。
 画面の向こうの彼が、不意に視線を背後にずらした。
「あー、あの本持ってる! かぶるなあ、やよいさんの本棚と俺のと」
 ぎくりとした。興味本位で買った『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』とか、高校生のころから愛読している『アンナ・カレーニナ』がある。本棚を見られるのは下着の引き出しを見られるくらい恥ずかしいものだが、今思えばあれもまた、私達の距離が一足飛びに近まる要因だったのだろう。

第4話に続く

皆さまのご感想や、思い出に残る恋、「朝川渡る」体験のご投稿を、お待ちしております。

    ◇

人言(ひとごと)をしげみ言痛(こちた)みおのが世に
いまだ渡らぬ朝川渡る

万葉集 但馬皇女(たじまのひめみこ)の歌

万葉集から、但馬皇女の歌です。天武天皇の皇子と皇女で異母きょうだいである穂積皇子と但馬皇女が恋に落ち、人々のうわさになっているさなかに詠まれたとされるもので、ひと夜をともに過ごした後、人目につかないよう、朝の川を渡って帰る様子をうたったとも、あるいは何を言われても自分は恋の障害の象徴である「川」を渡ります、という強い気持ちをうたったものともいわれています。

翻って今、メディアでは、様々な形の恋愛がときにバッシングの対象として話題にされています。しかし、向けられた言葉の間からこぼれおちている何かがあるかもしれない……。そのような視座から、この連載短編小説「朝川渡る」の企画は始まりました。

1300年前と同じように、いま、朝、川を渡るような思いで恋を紡いでいるすべての人に。作家の央橙々(おう・だいだい)さんが、日常の中の小さな「朝川」の物語を紡ぎ、写真家・井上佐由紀さんの写真と一緒にお届けします。皆さまのご感想、思い出に残る恋、「朝川」体験も、ぜひお聞かせください

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朝川渡る

PROFILE

  • 央橙々

    小説『セカンド・ラッシュ』(『サンキュ!』ベネッセコーポレーション)にて作家デビュー。

  • 井上佐由紀(写真)

    1974年福岡県柳川市出身。東京都在住。写真家。九州産業大学芸術学部卒業。写真スタジオ、アシスタントを経て独立。現在はライフワークとして生まれたばかりの赤子の目を撮影しています。うどんとコーヒーがすき。
    コレクション:フランス国立図書館、サンフランシスコ近代美術館
    http://inouesayuki.com/ph/

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