朝川渡る

弥生坂(いやおひざか)6

連載短編小説「朝川渡る」5人めの物語、「弥生坂(いやおひざか)」を、12話にわたりお送りします。

第1話 第2話 第3話 第4話 第5話 第6話 第7話 第8話 第9話 第10話 第11話 第12話

    ◇

 夫の言葉にとっさに答えた。
「うん。去年の中学の同窓会でグループLINEができてから。ちょっと返事に忙しいの」
 ふうん、いいね。

 夫の「いいね」の意図は、夫婦だからわかる。

 私は極端に友だちが少ない。ビジネスの場では滞りないが、プライベートの人間関係を作るのが苦手だ。どうしても主従の関係を自分から作ってしまうのだ。からかわれて笑われることで波風が立たぬなら、自らその役を買って出るほうが楽だ。
 ふつうの付き合い方がわからないとつぶやいた私に、「自分が苦しいなら、それはもう君の思うふつうじゃない。そのまんまでいいよ。できることは俺がフォローするから」と言ったのが亮一だった。

 言葉通り、結婚後も保育園仲間やご近所付き合いを、私よりはるかにまめにこなしてくれている。11歳上の彼は、それら人付き合いの一切にそつがない。非常勤講師ながら、大学の同僚や教え子をよく家に招き、誰とでも浅く広く付き合い、悪口を言うこともなければ言われることもおそらくない。嫉妬や妬みと無縁の人間だ。

 今日みたいな徹夜時の日菜子の面倒も、料理も掃除も、あたりまえのこととして引き受ける彼に感謝をしている。だが、誰とでも仲良くやれる性格はもしかしたらあまり他人に興味が無いからかもしれないと最近思う。一定以上踏み込まないから波風も立たない。苦しくなりかけたら、自分から関係を断つ。だから私はマックブックが壊れたときに彼を起こさなかったのかもしれない。

 亮一の懐の広さと浅い付き合いは表裏一体だ。はたして欠点だろうか。ならば私自身は、どこまで彼に興味があるだろう。

 彼の「いいね」に、私は曖昧にうなずきながら、こっそり携帯をジーパンのポケットに忍ばせ、トイレで守時からのメールを開いた。
 メール着信の通知バッジを見るだけで飛び上がるほど嬉しくなる。けれどそこにはいつも、少しの後ろ暗さがコインの裏表みたいに張り付いている。とくに夫に隠れて窮屈な個室で携帯電話を開くときの、もやっとした後ろ暗さだけは好きになれない。画面を開いて、もっと後ろ暗くなった。

『8月の約束、リスケさせてもらっていい? ちょっと北海道に行ってくる』

 北海道は妻の実家だ。彼女の妹が再婚すると聞いたことがある。結婚式はしないから妻だけで自分は正月まで行かないと言っていたが、やはり行くのか。初めて日帰り温泉に行く予定だった。仕事の出張は細かく書くのにプライベートは、細かく触れないところに気遣いを感じる。その優しさがよけいに苦しい。

 いったい私はいつから、おめでたいことを素直に喜べない人間になってしまったんだろう。
 
第7話に続く

皆さまのご感想、思い出に残る恋、「朝川」体験のご投稿を、お待ちしております。
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人言(ひとごと)をしげみ言痛(こちた)みおのが世に
いまだ渡らぬ朝川渡る

万葉集 但馬皇女(たじまのひめみこ)の歌

万葉集から、但馬皇女の歌です。天武天皇の皇子と皇女で異母きょうだいである穂積皇子と但馬皇女が恋に落ち、人々のうわさになっているさなかに詠まれたとされるもので、ひと夜をともに過ごした後、人目につかないよう、朝の川を渡って帰る様子をうたったとも、あるいは何を言われても自分は恋の障害の象徴である「川」を渡ります、という強い気持ちをうたったものともいわれています。

翻って今、メディアでは、様々な形の恋愛がときにバッシングの対象として話題にされています。しかし、向けられた言葉の間からこぼれおちている何かがあるかもしれない……。そのような視座から、この連載短編小説「朝川渡る」の企画は始まりました。

1300年前と同じように、いま、朝、川を渡るような思いで恋を紡いでいるすべての人に。作家の央橙々(おう・だいだい)さんが、日常の中の小さな「朝川」の物語を紡ぎ、写真家・井上佐由紀さんの写真と一緒にお届けします。皆さまのご感想、思い出に残る恋、「朝川」体験も、ぜひお聞かせください

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朝川渡る

 

PROFILE

  • 央橙々

    小説『セカンド・ラッシュ』(『サンキュ!』ベネッセコーポレーション)にて作家デビュー。

  • 井上佐由紀(写真)

    1974年福岡県柳川市出身。東京都在住。写真家。九州産業大学芸術学部卒業。写真スタジオ、アシスタントを経て独立。現在はライフワークとして生まれたばかりの赤子の目を撮影しています。うどんとコーヒーがすき。
    コレクション:フランス国立図書館、サンフランシスコ近代美術館
    http://inouesayuki.com/ph/

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