東京の台所

<192>6年後の台所、彼女が家を買ったわけ

〈住人プロフィール〉
グラフィックデザイナー(女性)・47歳
分譲マンション・1SLDK・小田急線 千歳船橋駅(世田谷区)
入居1年・築年数13年・ひとり暮らし

 連載6年、もうすぐ200回目となる。歳月を経るごとに取材者から、家族が増えた、減った、越したなど身辺変化の便りをもらうことが増えた。人の価値観やライフスタイルは、生き物のように変化する。さて今はどのような台所に、どんな心境で過ごしているのだろうと、気になる取材相手は増える一方だ。

 今回は、都心の賃貸デザイナーズマンションひとり暮らしから、少し郊外の緑豊かな地へ越した女性デザイナーの台所を訪ねた。6年前、連載第15回「「抹茶ジャンキー」のデザイン王国」に登場した。昨年末、古いマンションを購入。フルリノベーションしたと聞き、興味を持った。40代独身女性が家を買うまでにはどんな大きな決断があったのだろう。

 渋谷から私鉄で10分、徒歩数分の前の家とは違い、今度は新宿から20分余。急行の停まらない駅で、そこからバスで12分または徒歩20分になる。ずいぶん思い切りましたねというと、彼女はからっとした表情で答えた。
「終(つい)の棲家にしようとか、都心から離れようとか、家を買ってやろうとか、強いこだわりはじつはないんです。引っ越しが好きで、前の家は12年間同じマンションで、部屋を3回変えるほど好きだった物件。もう十分住みきったという実感があります。予算と希望のデザインがかなう家を探していたら、たまたまここになったというだけなんですよ」

 女が家を買うということに、意味を見出そうとしすぎた自分を少し恥じた。経済的に余裕のある人が、住まいを変えたり買ったりするのに、それほど気構えないとしても、なんら不思議ではない。

「いや、26歳でフリーランスとして独立したときから、東京は真面目に働かないと食べていけない世界だと身にしみています。自分に厳しくないとやっていけない。そんなに余裕があるわけではありません。ただ、人はいつ死ぬかわからないから、将来のために住まいや生活をちょこちょこケチるより、私は毎日の生活のほうを大事にしたい」

 自宅兼仕事場は以前と変わらない。会社に所属せず一人でやっていくのだと決めたときから、試行錯誤しながら一日のリズムを自分で整えてきた。
 6年前の取材では、仕事の合間の気分転換に、趣味で茶道を習っていることもあり、日に3度、必ず抹茶を点てると言っていた。それがリフレッシュと息抜きになると。
 今は、窓からの眺めを楽しみながら淹れるコーヒーにハマっている。また、元来料理好きで人を招くのが好きだが、さらにそういう機会が増え、料理に熱中しているという。
 
 フリーランスだからといって昼間プラプラしている時間はまったくない。18時まではきっちり働き、それ以降は人と会い、食事やお酒を楽しむ時間と決めている。
 この家は台所も含めて、来客の居心地のよさを念頭に置いてリノベーションした。

 前の家は、収納スペースが豊富で、ほとんどが扉付き収納庫に収められていた。壁が多く一面スッキリ、というのが私の第一印象でもある。今は「すべて扉ばかりだと逆に重苦しい気がして」、台所だけはオープンに。旅先で買った器や料理道具が首尾よく並ぶ。彼女はこんなにもの持ちだったのかと驚いた。
「これでもだいぶ人にあげたりして処分したんです。ものの入れ替えをするのは好きなので」

 ガラス、焼き物、植物で編んだもの、木。マテリアルを統一しているので、ものが多いのにうるさくない。

 部屋は白がベースだが、台所だけ京都のおくどさん(かまど)をイメージして、藍色に塗った。
 和の色が混じることで、住まいに陰影ができ、ほっとなごまされる。前は、ステンレス×白がメインでモダン。どこか隙がなかったともいえる。

「子どもの頃からレゴブロックで家を作るのが好きで、今もちょっとそんな遊び感覚があります。デザインの冒険の途中。いつかまた家づくりをしてみたいし、そのときはまたテイストがガラッと変わるかもしれない。それも楽しみで」
 パートナーが見つかれば二人暮らしになったり、ペットとの同居もしたいんですよね、とまるで水にたゆたうように、じつに自由でフレキシブルなのである。

 いきごんで取材に行った私は、気持ち良い肩透かしにあい、楽しそうな表情の奥に、レゴに夢中になっている女の子の面影を見た気がした。
 最近、おひつを買い、毎回2カップ炊いている。これが電子レンジにかけられる便利なしろもので、木の香りを吸って毎食ご飯がすこぶるおいしいらしい。ごはん作りもまた、彼女の終わらぬ遊びのひとつかもしれぬ。

 来客は椅子の数に合わせた6人まで。
 取材が終わると、さあランチでもと、さっと冷やしたガスパチョが冷蔵庫から出てきた。トマトにオリーブオイルと塩を加えただけというそれをひとさじ口に含むと、甘くて爽やかで夏の香りがふわっと広がる。おいしい!と感嘆すると、目を三日月みたいに細めて心から嬉しそうに言った。
「よかった。この辺、野菜の無人販売所が多くて、採れたて野菜がみずみずしくて本当においしいんです!」

 前の家はダイニングテーブルのすぐ脇に仕事机があった。いまは仕事スペースとしっかり間仕切ったむこうにあり、台所とダイニングと窓から広がる空が、視線の先にひと続きにつながる。
 オフの時間をもっとゆたかに、充実させるために彼女は越したんだなとわかった。
 東京の台所はあの空の雲のように、かろやかに変遷してゆく。またいつか、誰かのその後の物語を聞きにゆきたくなった。

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東京の台所バックナンバー

PROFILE

大平一枝

長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)ほか。最新刊は『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)。HP「暮らしの柄」。
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