朝川渡る

弥生坂(いやおひざか) 12

連載短編小説「朝川渡る」5人めの物語、「弥生坂(いやおひざか)」を、12話にわたりお送りします。

第1話 第2話 第3話 第4話 第5話 第6話 第7話 第8話 第9話 第10話 第11話 第12話

    ◇
12
「やよい、なにか喋って?」
「だって」
 だめだ。涙の止め方を忘れた。

「別れようって決めつけないでほしい。新しい関係、作れないかな」
「え?」
 思わずベンチを立ち上がった。

「やよいを見ていて、誰かを思いやりながら生きる家族っていいなあって思ったの。家族って一つの船の乗組員みたい。チームなんだね。そういう人と寄り添う暮らしはどれだけ満たされるだろう。俺と妻は、大人だから自分でできるよねって自立してやってきた関係だから、すごく眩しく見えた。だから一緒になりたいって言って君を困らせた」

 星のように降ってきた新しい言葉を、私は頭の中で繰り返し味わった。チーム。

「チームっていいと思わない? ちょっと違うかもしれないけど親友って言い換えてもいい。こんなにわかりあえる人に出会えたのに、好きになって抱き合って、もっと相手が欲しくなって、苦しくなった。じゃあ別れるしかないって、俺、悔しくて」
「うん。私も何一つあなたのことを嫌いになる理由が見つからなくて、悔しい」

「男と女が親友になれるかさっぱりわからないけど、俺たちなれないかな」
「キスは? ハグは? 親友は抱き合わないよ?」
「俺だってしない自信ないよ。でもこの世にそういう親友がいてもいいじゃん」
「なにそれ……」
 上がったり下がったり、気持ちが忙しい。私は、今夜はちょっとごめんと言って、そっと電話を切った。

 これは、別れだろうか、新しい出会いだろうか。そんなふうにうまくいくのだろうか。今、私に残っているものはなんだろう。
 ――精いっぱい愛され、愛し、助けられ、助けあった記憶。それと、弥生坂の写真。

 私は見慣れた坂の写真をスマホから取り出した。折れそうなとき、ひとりぼっちのとき、もうひと頑張りしなくてはいけないとき。何度も助けられた私のお守り。

 お互いの一生懸命だった時間はちゃんと私の胸で輝いている。視線を動かした先の小川の土手に、見慣れぬ白い星型の小花が群生している。昼間は気づかなかったが、なんて愛らしい花弁なんだろう。坂の写真を閉じ、検索した。ナイトジャスミン。夜に咲く甘い香りの夏の花らしい。

 立ち上がり、そばにいくと想像より清々しく甘い香りがほのかに立ち上る。私はいろんなアングルでシャッターを切りながら思った。彼に贈ろう、弥生坂のお返しに。    

(終わり)

*皆さまのご感想や、「朝川渡る」体験のご投稿を、お待ちしております。

    ◇

人言(ひとごと)をしげみ言痛(こちた)みおのが世に
いまだ渡らぬ朝川渡る

万葉集 但馬皇女(たじまのひめみこ)の歌

万葉集から、但馬皇女の歌です。天武天皇の皇子と皇女で異母きょうだいである穂積皇子と但馬皇女が恋に落ち、人々のうわさになっているさなかに詠まれたとされるもので、ひと夜をともに過ごした後、人目につかないよう、朝の川を渡って帰る様子をうたったとも、あるいは何を言われても自分は恋の障害の象徴である「川」を渡ります、という強い気持ちをうたったものともいわれています。

翻って今、メディアでは、様々な形の恋愛がときにバッシングの対象として話題にされています。しかし、向けられた言葉の間からこぼれおちている何かがあるかもしれない……。そのような視座から、この連載短編小説「朝川渡る」の企画は始まりました。

1300年前と同じように、いま、朝、川を渡るような思いで恋を紡いでいるすべての人に。作家の央橙々(おう・だいだい)さんが、日常の中の小さな「朝川」の物語を紡ぎ、写真家・井上佐由紀さんの写真と一緒にお届けします。皆さまのご感想、そして皆さまの「朝川」体験も、ぜひお聞かせください

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朝川渡る

PROFILE

  • 央橙々

    小説『セカンド・ラッシュ』(『サンキュ!』ベネッセコーポレーション)にて作家デビュー。

  • 井上佐由紀(写真)

    1974年福岡県柳川市出身。東京都在住。写真家。九州産業大学芸術学部卒業。写真スタジオ、アシスタントを経て独立。現在はライフワークとして生まれたばかりの赤子の目を撮影しています。うどんとコーヒーがすき。
    コレクション:フランス国立図書館、サンフランシスコ近代美術館
    http://inouesayuki.com/ph/

弥生坂(いやおひざか) 11

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