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私と私以外の境界がなくなる瞬間『マミトの天使』

私と私以外の境界がなくなる瞬間『マミトの天使』

撮影/馬場磨貴

久々にとんでもない小説に出会ってしまった。まだ1年の半分も終わっていない6月の段階で、早々に私にとっての「2019年ナンバー1」はこれだと確信した。市原佐都子の『マミトの天使』だ。数年に一度こういう小説と出会える時、書店員をやっていてよかったと心底幸せに感じる。

市原佐都子は演劇ソロユニットQの主宰で、2011年に戯曲『虫』で第11回AAF戯曲賞を受賞した。17年には『毛美子不毛話』が第61回岸田國士戯曲賞の最終候補となり、6人の選考委員のうち岩松了と岡田利規がこれを強く推したが、受賞には至らなかった。本作が初の小説作品集となる。

表題作「マミトの天使」は、コンビニとスーパーの間くらいのくずスーパー「マミト」で働く主人公の女性が、人間の雄であるタロー君とセックスをしている最中に、幼い頃に飼っていた犬のミヤのことと、小学生の頃に仲のよかったイーコのことを思い出すというお話。

「私なんてこの世界でいてもいなくても同じで、ほっとするわ。はあ、このまま適当に息するわ」「私たちはダニみたいにこの辺をうろちょろしてつまらないもの食べて生きて死ぬのです。そのことに耐えるために暇つぶしで夢があるんでしょ」

序盤に出てきたこれらの文章で、本当のことを言ってくれてありがとう、という気持ちになり、私の方がほっとさせられた。一見ネガティブな文章に見えるけれど、実はポジティブで生命力をたたえた文章なのだと感じられた。

「生きてしまう」ことのやるせなさ

私が小説を読んでいて新鮮な感動を覚えるのは、「同じものが異なって見える」瞬間と、「異なるものが同じように見える」瞬間が描かれているときで、「マミトの天使」にはその両方が含まれているように思う。

たとえば、ダニと人間が並列に描かれたり、犬と人間が交尾をしたり、主人公が血統書付きのミニチュアダックスフントよりも雑種に愛着を感じたりと、種の異なる生き物が同列に描かれている(異なるものが同じように描かれている)。その一方で、毛や経血や垢(あか)やおしっこやうんこなど体の一部だったものが体から切り離され、体とは別のものになる(同じものが異なって見える)瞬間を心地良く感じる主人公も描かれている。

つまり、私と他者との境界線がなくなる瞬間を鮮烈に描いており、その瞬間の描写こそがこの小説の醍醐(だいご)味だと言えるだろう。人間と動物、私と他者、幸福と不幸、それらの境界線が消えてなくなる瞬間、世界の裂け目からもう一つの世界が顔をのぞかせ、私たち読者をはっと驚かせるのだ。

私と私以外の境界がなくなる瞬間『マミトの天使』

『マミトの天使』市原佐都子 著 早川書房 2,160 円(税込み)

また、本作では生きることのやるせなさが随所で描かれている。生きるということは、息を吸って、息を吐く、ただこの繰り返しをすることに尽きる。生きることに意味なんてない。人生に意味を見いだしている人がいるとすれば、それは本当のことを見たくないがために自分で自分に目隠しをし、知っているのに知らないふりをしているにすぎない。

ああしんどい、ああ死にたいと思っても、そうそう死ねるものではない。抜けた毛は勝手に生えてくるし、時間が過ぎれば腹が減る。私の意思とは関係なく「生きてしまう」やるせなさ、なんて書いてしまえば、それこそネガティブに聞こえるかもしれないが、これがまったくそうではなく、軽やかですがすがしいポジティブな印象を読者に与えるのは、まちがいなく市原佐都子の筆力によるところだろう。

この小説では特に大きな出来事が起こるわけではないし、あらすじなんてものもない。だから、小説に筋や共感を求める読者には合わないかもしれない。その一方で、小説に先入観を持たず、芸術作品として味わえる読者には必ずや幸福な読書時間をもたらすはずだ。

(文・北田 博充)

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北田博充(きただ・ひろみつ)

二子玉川 蔦屋家電のBOOKコンシェルジュ。出版取次会社に入社後、本・雑貨・カフェの複合書店を立ち上げ店長を務める。ひとり出版社「書肆汽水域」を立ち上げ、書店員として自ら売りたい本を、自らの手でつくっている。著書に『これからの本屋』(書肆汽水域)、共編著書に『まだまだ知らない 夢の本屋ガイド』(朝日出版社)がある。

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