MUSIC TALK

20歳で単身インドへ。タブラ奏者U-zhaanの原点(前編)

北インドの伝統的な打楽器、タブラを奏でるU-zhaan(ユザーン)さん。タブラの歴史や世界的な奏者たちをリスペクトし、その技を磨きながら、ヒップホップやテクノなどジャンルを越えたミュージシャンから熱い視線を集め、コラボレーションしている。タブラとの運命の出会い、インドへのタブラ留学までの日々を振り返る。(文・中津海麻子 写真・山田秀隆)

ジャズ好きの中学生だった

――音楽の原体験は? どんな曲を聴いていましたか?

父が音楽を聴くのが好きだったので、家にCDがいっぱいあったんですよね。クラシックやらビートルズやら、よく聴きました。最初に買ってもらったレコードは、吉幾三さんの『俺ら東京さ行ぐだ』。小学1年か2年だったかと。ちょっとおどけた感じのサウンドとか、ラップのような津軽弁とか、子どもにも伝わるおもしろさがあるんでしょうね。今聴いても、楽しい曲だなと思います。

小学3年のとき地元(埼玉県川越市)の少年少女合唱団に入団しました。合唱への興味が特にあったわけではなく、おもしろ半分で入団試験を受けたら合格しちゃって、後に引けなくなってしまった。練習は週1回でしたね。歌うだけじゃなくてソルフェージュや聴音のレッスンもあったのですが、それがすごく苦痛でした。聴音なんてしたことないし、まず楽譜を書いたことすらなかったから。でも、今となってはその経験がすごく役立っています。中学で吹奏楽部に入部したのを機に、部活も忙しくなったし変声期も来たので、合唱団は退団しました。吹奏楽部ではユーフォニアムという金管楽器を担当しました。

そのころからジャズを聴くようになりました。父のCD棚に置かれていたルイ・アームストロングを聴いたのがきっかけです。歌も素晴らしいんだけど、彼が吹くトランペットがすごくカッコよくて。その後マイルス・デイヴィスの大ファンになって、彼のCDをかたっぱしから聴いたり、マイルスと共演していたアーティストたちのソロ作を聴いたり。パット・メセニーやジョー・パス、ジム・ホールなどのジャズギタリストも好きでした。父親のギターが家にあったので「自分でも弾けないかな」と練習してみたりしましたが、あまりうまくなりませんでした。

――中学生でジャズが好き。周りとはあまり話が合わなかったのでは?

そうでもないですね、普通にJ-POPも聴いていたし。ドリームズ・カム・トゥルーのCDは全部持ってましたよ。吉田美和さんの見た目が好きだった、というのが主な理由ですが(笑)。まあ、そもそもジャズが好きなことを誰かと共有する必要性を、そんなに感じていなかったのかな。中学生ぐらいって、周囲と話を合わせないと生活がしにくいところもありましたし。ジャズはあくまで個人的な趣味として、ひっそり楽しんでいた感じです。CDのライナーノーツを読みふけったり、図書館からジャズに関する本をごっそり借りてきて「マイルス・デイヴィスとセロニアス・モンクは仲が悪かったのか否か」みたいなうわさ話を読みながら、1950年代のジャズシーンに思いをはせたりとか。

高校に進むと、ジャズピアノをやっている同級生が一人いたので、ようやくジャズの話ができる友達ができました。東京のジャズクラブへ一緒に行き、渡辺貞夫さんやジョージ川口さんなどが出演したオールナイトライブを聴いたりしましたね。その同級生とは今でも仲良くしていて、先週は僕の家で一緒にノンアルコールビールを飲みながらテレビゲームをしました(笑)。

20歳で単身インドへ。タブラ奏者U-zhaanの原点(前編)

タブラとの出会い

――大学に進学後、「運命の出会い」が訪れます。

大学1年のとき、地元のデパートで民芸品フェアがあったんですよね。その一角に出店していた民族楽器屋でタブラに出会って、思わず衝動買いしちゃいました。丸っこい見た目とサイズ感がかわいかったので、インテリアとしていいかなと。とはいえ、どんな音がするのかにも興味がわいて、同じデパートでタブラのCDも買ってみました。

それを聴いて衝撃を受けました。「タモリの音楽は世界だ!」(テレビ東京系)という 番組で見たことがあったので、池の中に大きな石を放り込んだような「ドブン」という音がすることぐらいは知っていたのですが、全然それだけじゃなくて。タブラソロの曲だったのだけれど、何人かによるアンサンブルなんじゃないかと思うほど多種な音色による音の洪水に、圧倒されました。このCDに収録されていた、世界的なタブラ奏者であるザキール・フセイン先生の演奏を聴いた瞬間から、僕の頭の中はタブラ一色になりました。

自分でも演奏してみたい、でも音の出し方すらわからない。これは習ったほうがいいだろうと、インターネットで見つけた東京にあるインド音楽の教室に通い始めました。

――演奏を聴いて衝撃を受けたインドの民族楽器、タブラ。習い始め、自分で演奏するようになり、どのように感じましたか?

練習が楽しくてしょうがなかったですね。考えてみるとそれまで少しやっていたギターにしてもユーフォニアムにしても、「父親の楽器があるから弾いてみる」「コンクールがあるから部員に迷惑をかけないよう練習する」みたいな感じで、それほど能動的に取り組んでいたわけではなかった。その点、タブラは初めて自分の意思で「やってみたい」と選択した楽器でした。決して簡単な楽器ではなかったけれど、なかなか音を出せなくても指が思うように動かなくても、苦痛に感じることは一切ありませんでした。

大学1年の春休みに、タブラ教室の先生がインドに楽器の買い付けに行くというので連れていってもらったのが、最初のインド体験です。インドって、すごく好きになるか、二度と行きたくないと感じるか、印象が真っ二つに分かれるとよく言われますよね。どちらかというと、僕は後者でした。当時のインドはまだ街は汚くて臭いもするし、観光客だったからいっぱいボラれたりもするし。世界中を放浪したいとか何でも見てみたいとか、そういうバックパッカー的な気質も僕の中に元々なかったので、短期間の滞在だったけれどなかなかしんどい旅になりました。

大学を休学、インドへ

――それでもその1年後、本格的にタブラを学ぶためインドに留学します。

大学3年生になる年に1年間、休学して行きました。両親からは「卒業してからでいいのでは?」と反対されましたが、僕は若ければ若いほどうまくなるんじゃないか、やりたいときにやったほうがいいんじゃないか、と思っていて。交渉の結果、両親にお金を借りて留学させてもらうことになりました。

その頃から20年以上にわたって師事しているオニンド・チャタルジー先生の演奏を始めて耳にしたのは、シタールを習っていた友人から借りたCDでした。ニキル・ベナルジーというシタール奏者のCDだったのですが、伴奏をしていたオニンド先生のタブラが素晴らしくて。信じられないほどのスピードでたたくのに、音の粒もそろっていてリズムも正確で、すごく気持ちのいい演奏でした。その後、オニンド先生にタブラを習っている女性が大阪にいらっしゃると知り、彼女から先生の連絡先を教えてもらいました。当時はまだメールが普及していなかったので、ファクスを送ったんですよね。3月からインドに行くのでタブラを教えてほしい、と。すると「OK。じゃあついでに、日本でこれとこれとこれを買ってきてくれ」と、ほしいものリストが送られてきた。そのリストに「30個の100円ライター」というのがあったんですが、それはもちろん空港で没収されました(笑)。

そんなこんなでタブラを習うために単身インドへ。20歳のことでした。
後編に続く

撮影協力・「VW(ブイダブル)

U-zhaan(ユザーン)
1977年生まれ、埼玉県出身。18歳でタブラと出会い、世界的タブラ奏者のオニンド・チャタルジー、ザキール・フセインに師事。2000年から2010年までASA-CHANG&巡礼に参加。2011年にレイ・ハラカミとのコラボレーションアルバム『川越ランデヴーの世界』をリリース後、2014年には初のソロアルバム『Tabla Rock Mountain』を発表。ヒップホップやポップス、ジャズ、エレクトロニカなど、ジャンルを越えたコラボレーションを行う。
シタール奏者・石濱匡雄のベンガル料理レシピ集『ベンガル料理はおいしい』(NUMABOOKS)を監修、6月に発売した。「あいちトリエンナーレ2019」(8月1日~)では、毎日10時間の修行を40日間続け、その様子を一般公開する。

PROFILE

中津海麻子

執筆テーマは「酒とワンコと男と女」。日本酒とワイン、それらにまつわる旅や食、ペット、人物インタビューなどを中心に取材する。JALカード会員誌「AGORA」、同機内誌「SKYWARD」、ワイン専門誌「ワイン王国」、朝日新聞のブックサイト「好書好日」、同ペットサイト「sippo」などに寄稿。「&w」では「MUSIC TALK」を連載中。

みんなでセッション! ハンバート ハンバートの「ブルースハープ教室」

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タブラ奏者U-zhaanを突き動かす、師匠のある言葉(後編)

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