MUSIC TALK

タブラ奏者U-zhaanを突き動かす、師匠のある言葉(後編)

日本を代表するタブラ奏者のU-zhaan(ユザーン)さん。18歳で初めて聴いたタブラに衝撃を受け、夢中に。インド留学、世界が憧れるタブラ奏者からかけられた言葉、そして、多くのミュージシャンとの共演。さまざまな経験が、唯一無二のタブラ音楽を生み出してきた。この夏には40日間の「修行」に臨む。(文・中津海麻子 写真・山田秀隆)

前編から続く

「俺、なんでここに来たんだ?」

――留学したインドでのレッスンはどんな感じだったのですか?

部屋の中に10人ぐらいの生徒が座っていて、オニンド・チャタルジー先生に呼ばれた順に楽器の前へ移動します。タブラって、三味線の「チン、トン、シャン」みたいな感じに口伝で教える楽器なので、先生が発するボル(タブラの音をダー、ナーなど口で表現したもの)を覚えてたたくんですよ。しばらく耳を傾けていた先生から「右手の中指の位置が悪い」「リズムがよれてる」などと指導される。そんな流れですね。

正直、初日のレッスンから「俺、なんでここに来ちゃったんだろ」と戸惑いました。最初に先生が教えてくれたのが7連符の曲だったんですよね。もちろんそんなのたたいたことなくて。インドではこんなのが初歩なのか、と途方に暮れました。もちろん後から考えると、それは最初のレッスンにふさわしいようなフレーズじゃないんですけど、オニンド先生はその日の気分で自分がやりたいことを教えていくタイプなんですよ。それでも育つ生徒は育つし、ダメなヤツはダメだ、と。忙しい人なので、留学している間もレッスンがあったのは 月に2、3回。1回のときもあれば、まったく会えない月もありましたね。先生のレッスンがないときは、兄弟子達と一緒に練習させてもらうことが多かったかな。みんなとても上手だったので、初心者だった僕にとっては、彼らとの練習から得るものがたくさんありました。

タブラを学び、練習することはとても楽しかったけど、インドでの暮らしは本当に大変でした。混雑したバスに乗っていたら、隣に立っているインド人がナイフで僕のリュックを切って中をあさったりしてて(笑)。バスは治安が悪いからやめだ、と歩いて帰ろうとしたら、今度はあまりの暑さに脱水症状に陥ってしまったり。日本でタブラを習えれば、何もこんなところまで来なくてもよかったのにな、と思いましたね。

インドに生まれてこなかったことが、自分の個性

――帰国後、復学。将来のこと、就職などは考えましたか?

タブラを始めてすぐ、インドにタブラを習いに行く前の時点で、この楽器を演奏することで生活ができるという確信があったんですよ。なぜだかはわからないんですが。だから、就職については一切考えたことはなかった。教員免許だけは取っておこうかと思ったのですが、教育実習の日程にツアーが重なってしまい、結局ツアーの方を優先しました。

とはいえ、タブラ奏者になること自体が目的では全然なくて。タブラ中心の生活を送ることが、上達への一番の近道だろうと思ったんです。うまくなるために、タブラを最も長くたたいていられそうなタブラ奏者という職業を選んだ。最初は、先生から習ったことをなるべく 忠実に活用すべく、北インド古典音楽を中心に活動していたんですけど、徐々に他の音楽の中で演奏する比率が上がっていきました。インド音楽は素晴らしいし、もっと上手になりたいと思って今でも練習に励んではいますが、インドで生まれ育って幼いころから当たり前のようにタブラを触っている人にはどうしたってかなわないところがある。もしも僕ならではの個性があるとするならば、インドに生まれてこなかったことなんじゃないかな、と。それならば自分の人生ごと音楽にしていかなくちゃなぁと思っているところです。

タブラ奏者U-zhaanを突き動かす、師匠のある言葉(後編)

ジャンルを越えてコラボすること

――ヒップホップ、エレクトロニカ、テクノ……。これまで様々なジャンルのアーティストとコラボし、タブラの魅力、可能性を伝えてきました。どのような思いでそうした活動に取り組んでいるのでしょうか?

もともと僕は、インド古典音楽をやりたくてタブラを始めたわけではないんですよね。タブラをやっていく中でどんどんインド音楽の良さを知っていきましたが、それと並行して ジャズやヒップホップ、ドラムンベースやエレクトロニカなどの好きな音楽を聴いてきて。 そういう嗜好(しこう)が僕のタブラに生きていると思っています。そして、共演してきた人から受けた影響は何より大きいです。ASA-CHANG、ハナレグミ、鎮座DOPENESS、環ROY、蓮沼執太、矢野顕子さん、坂本龍一さん、そしてレイ・ハラカミさん、他にもたくさんの素晴らしい音楽家たち。彼らと共演したり一緒に楽曲を制作したりすることこそが、僕の音楽の幅を確実に広げてくれている。それにまあ、いろんな人と演奏することは、単純にすごくおもしろいんですよね。

人生のメンター、ザキール先生

――2005年からは、世界的にその名を知られるタブラ奏者ザキール・フセインさんにも教えを乞うています。どのような経緯で?

僕がタブラを始めたきっかけになった人ですからね。最初に買ったタブラのCDが、ザキール先生のタブラソロで。僕にとってはもちろん、世界中のタブラ奏者が憧れるスーパースター。初めて先生のライブをコルカタで見たとき、あまりに素晴らしすぎて、休憩時間にちょっとトイレで吐きましたから。まあ、ただの食あたりだったのかもしれないんですけど(笑)。とにかく、彼の奏でるタブラは誰とも違う音だったんです。

その後、インドの各都市だけでなく、イギリスとかにまで追っかけのようにライブへ通っているうちに、ある人から紹介を受けて、あいさつぐらいはさせてもらえるようになって。ザキール先生が年に一度、世界中の生徒を集めてレッスンをしていることを知り、参加させてもらうことになりました。以来、レイ・ハラカミさんが亡くなった年以外は毎年通っています。

ザキール先生に師事し、彼の演奏には何か秘密があるわけじゃないと知りました。一つひとつの音に対して信じられないほど気を配り、細かい技術を尋常じゃない次元で積み重ねることで、あの研ぎ澄まされた演奏が出来上がっているのだと。そして一番印象に残っているのは、先生自身から「ザキール・フセインみたいになろうとするな」と言われたことです。「私自身、憧れていた演奏家のようにはなれていない。なぜなら、私は彼ではないから。ザキールのコピーにはなるな。それぞれが自分のベストを尽くして、オリジナルな演奏家になってほしい。私を模倣するのではなく、私を驚かせ、そして喜ばせてくれ」という彼の言葉を、いつも心で反芻(はんすう)しています。僕にとってザキール先生は、タブラや音楽を超えた、人生のメンターとも言えるかもしれません。

――20年余り活動してきて、ソロアルバムは『TABLA ROCK MOUNTAIN』(2014年)だけなんですね。少し驚きました。

それまでもコラボ作品やバンドでのアルバムはいっぱい作っていたんですけどね。この作品もソロ名義とはいえ、色々なミュージシャンとのコラボレーション作でもあるので、それまでやっていたこととそれほど変わっていないと思います。

なので、このアルバムを作ったことで状況が大きく変化したりということはありませんでしたが、「やってみたい」と漠然と思っていたことを、一つずつ具現化できたのはとてもよかったです。形にすることで、その「次」のアイデアが見えてきた。頭のなかに浮かんだことはとりあえず実行した方がいいし、実行することで、また次のアイデアが生まれる。そんな単純なことに気づくことができました。

タブラ奏者U-zhaanを突き動かす、師匠のある言葉(後編)

1日10時間・連続40日間の修行

――9月9日まで開催されるアートイベント「あいちトリエンナーレ2019」で、会期中、毎日10時間の修行を40日続け、それを一般公開されます。

インドに伝わる「チッラー」という修行があります。タブラを含めた、インド古典音楽の演奏家がやることが多いそうなのですが、40日間にわたり、何かに没頭し続けるという修行です。本来のチッラーは、隔離された場所にこもって、一人きりで取り組まなければならないんですけど、今の日本でそれはかなり難しいので、逆に公開イベントの形でやってみることにしました。

常に人から見られている状況の中で、はたして練習に集中できるのかどうかわからない部分もありますが。でも、逆に人の目があるからこそサボらずにできるかもしれないですしね。一人きりだとどうしても「まあ、ちょっと休憩」みたいになってしまいがちなので。 週に1回非公開日があるんですけど、トリエンナーレが休みなだけで、僕はチッラーを続けなきゃならないことになってて。大変そうですよね(笑)。まあ練習だし、見てもそれほど楽しいものではないと思うから来場者の皆さんはあまり期待しないでほしいんですが、僕自身はとても楽しみにしています。練習は好きですしね。

――40日後には「ニューU-zhaan」が生まれる?

どうなんでしょうね。タブラやめてるかも。満足しちゃって(笑)。

――これから目指していることは?

先ほども触れましたが、ザキール先生の「私のコピーにはなるな」という言葉は常に心の中にあり、そうありたいと思っています。だけどどうしても、「コピーでも何でもいいから、あんな音が出せるようになってみたい」と思っちゃう自分もいるんですよね(笑)。 やっぱりいつまで経っても、ザキール先生やオニンド先生が目指す目標なのかもしれません。

撮影協力・「VW(ブイダブル)

U-zhaan(ユザーン)
1977年生まれ、埼玉県出身。18歳でタブラと出会い、世界的タブラ奏者のオニンド・チャタルジー、ザキール・フセインに師事。2000年から2010年までASA-CHANG&巡礼に参加。2011年にレイ・ハラカミとのコラボレーションアルバム『川越ランデヴーの世界』をリリース後、2014年には初のソロアルバム『Tabla Rock Mountain』を発表。ヒップホップやポップス、ジャズ、エレクトロニカなど、ジャンルを越えたコラボレーションを行う。
シタール奏者・石濱匡雄のベンガル料理レシピ集『ベンガル料理はおいしい』(NUMABOOKS)を監修、6月に発売した。「あいちトリエンナーレ2019」(8月1日~)では、毎日10時間の修行を40日間続け、その様子を一般公開する。

PROFILE

中津海麻子

執筆テーマは「酒とワンコと男と女」。日本酒とワイン、それらにまつわる旅や食、ペット、人物インタビューなどを中心に取材する。JALカード会員誌「AGORA」、同機内誌「SKYWARD」、ワイン専門誌「ワイン王国」、朝日新聞のブックサイト「好書好日」、同ペットサイト「sippo」などに寄稿。「&w」では「MUSIC TALK」を連載中。

20歳で単身インドへ。タブラ奏者U-zhaanの原点(前編)

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