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「成り行きまかせ」で恩師が望んだ道に ブレイディみかこさん(後編)

新刊『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』で英国社会の縮図のような10代の日常を軽やかに描いたブレイディみかこさん。「名門小学校」から「元・底辺中学校」に進んだ息子とは逆に、自身は福岡市の「ヤンキー中学校」から地域を代表する「名門高校」へというコースをたどった。

>>ブレイディみかこさんインタビュー「前編」からつづく

「英国の学校のような人種の多様性はなかったけれど、格差と貧困は身近な問題でした。中学は貧しかったり家庭に問題のある子が多くて、私もそのひとりだったから、すんなり溶け込めた。不良もいるし、妊娠しちゃった子もいる。いろんな意味で刺激的な環境でした。ところが、高校は藩校の流れをくむ進学校。親が医者とか会社重役とか弁護士みたいな子ばっかりで、めっちゃ浮いてました」

入学して感じた。「この子たち、子供っぽいなぁって。こっちは同級生が子供を産む産まないってところから来たので、恋に恋する女の子や優等生のくせにバンカラぶってる男の子はすごく幼く見えた。みんな同じような髪形に眼鏡で、同じような表情をして、同じ瞬間にパッと顔を上げて一斉にノートを取る。『こいつら人間じゃないな、気持ちわりぃ』って、新学期早々、教室で吐き気がしたのを覚えています」

嫌いな科目の試験は白紙

「成り行きまかせ」で恩師が望んだ道に ブレイディみかこさん(後編)

放課後は一目散に教室を飛び出し、近所のスーパーでアルバイトをした。買い物客との生活感あるやりとりが、ささくれた心をほっと和ませてくれた。

「着替える時間がなくて制服のままエプロンをして働いていたんですけど、それを見とがめて高校に通報しやがった奴がいて(笑)。担任から『なんでバイトなんかしてるんだ』って呼び出されました。実家はその高校からけっこう遠くて、生活も余裕がなかったので、親からは『バス代は出せない。歩いて通える地元の高校に行け』とずっと言われていたんです。でも、中学校の先生がわざわざ家まで来て、『ぜひ行かせてやってくれ』と説得してくれて。私も『定期代はバイトして自分で工面します』と約束し、奨学金で進学できた。そんな事情を担任に説明したんですが、『今どきそんな貧乏な家があるはずない。遊ぶ金欲しさでバイトしてるんだろう』と決めつけるだけ。ますます高校が嫌いになりました」

授業をさぼりがちになり、嫌いな科目の試験は「わかるところだけ埋めるのはしみったれててイヤ」と白紙で提出。試験終了までの余った時間は、答案用紙の裏に歌詞や文章を書いて過ごした。

「高校の頃は大杉栄が好きだったので、彼についてのミニ評論みたいなものを書いたら、その教科の先生が現国の先生に見せたらしいんです。現国は好きでちゃんと勉強していたので、現国の先生が『君は僕が引き受ける』と2年、3年の担任になってくれて。グレてる私を心配して、わざわざ家にも何度も訪ねてくれました。『とにかく学校には来い。嫌いな教科があったら、図書館で本でも読んでろ。本をたくさん読んで、大学に行って、君はものを書きなさい』って。本当に恩師ですよ。そういう奇特な先生と立派な図書館に出会えたのは、あの学校のいいところかも。でも、受験勉強って嫌いな科目も勉強しなきゃいけないじゃないですか。そんなのやってられるかよ、って結局大学には行きませんでした(笑)」

英国で感じた「違和感」

「成り行きまかせ」で恩師が望んだ道に ブレイディみかこさん(後編)

息苦しかった高校時代を支えてくれたのがパンクロック。セックス・ピストルズを生んだ英国にあこがれ、卒業後はバイトでお金を貯めては渡英する生活を繰り返した。本格的に移住したのは1996年。ロンドンの日本食料品店の掲示板で求人募集を見つけ、日系新聞社の事務所のアルバイトに。現地で出会ったアイルランド人男性と結婚し、別の新聞社の支局でも編集助手を務めた。

「ちょうどトニー・ブレアの労働党政権が誕生する頃で、みなさん大騒ぎで取材していました。ただ、駐在員の方は、わりとハイソなサークルに入っていることが多いでしょう。まして記者さんは出張も多く多忙だから、ふつうの生活はしていらっしゃらない。地べたの生活を知らないで、ふつうのイギリス人が何を考えているのかわかるのかな、日本に入る情報が偏ったりしないかなと、違和感のようなものもどこかで感じていました」

パンク、LGBT、人種、貧困、政治……自分が肌で感じた英国の現実をブログで発信し、パンクロックさながらのたたきつけるような筆致がファンをつかむ。出産を機に保育士を目指し、資格を取るための勉強で英国社会の成り立ちを深く学んだ。移民や低所得者層向けの託児所で様々な境遇の人と出会い、「地べた」の視点の現場報告はさらに研ぎ澄まされていった。

「何も計画せずに生きているので、すべては成り行きまかせ。自分の役割みたいなことも意識したことはありません。ただ、日本で言われていることは目の前の現実と違うのではないか、という違和感を元に書いているところはありますね。ブレグジットについて書くときなどは特にそう。一方で、『伝わらないなぁ』というもどかしさも感じています」

例えば、イギリスのEU離脱が決まったとき、近所の“離脱派のおっちゃん”が「俺たちはいったん沈む。でも、絶対に浮き上がる」と言っていたことを書いたときのことだ。

「私としては、こんな大ごとになったのに、離脱派の人はまだそんなことを言っているのか、と一種の哀しみを込めて書いたつもりなのに、日本の読者の中には私が離脱を喜んでいると受け取った人がいた。アイロニーなのにどうして?と思いつつ、住んでいないとわからないのか、文学的な書き方ではなくもっと説明しないといけないんだな、と考えさせられました。ネットの世界って、なんでも左右の対立にしたがるでしょ。頭の中にチェックリストみたいなものがあって、こちらの言動をひとつひとつチェックして、『ハイ、あなたは仲間として合格です』みたいな。あのせせこましさはなんとかしてほしい(笑)」

「めぐり合わせ」に誘われて

「成り行きまかせ」で恩師が望んだ道に ブレイディみかこさん(後編)

「成り行きまかせ」で始めたライター業だったが、ポップカルチャーから英国事情、社会時評に人物評伝と、活躍のフィールドは広がるばかり。大学にこそ進学しなかったものの、「君はものを書きなさい」とブレイディさんを諭した高校の恩師の目は確かだった。

「本当に、面白いめぐり合わせですよね。高校は全然肌に合わなかったので、卒業できたのはあの先生のおかげ。いつも熱い言葉をかけてくれて、当時は『青春しちゃって』なんて馬鹿にしたりもしてたんだけど、本当にいい先生でした。影響もすごく受けています。息子の中学校選びで見学に行ったとき、『元・底辺中学校』の先生たちの熱さに反応したのも、そういう先生が必要だと思っていたからかもしれません。恩師はもう亡くなられたのですが、地元紙のコラムに高校時代のことを書いたら、関係者の方が連絡を下さって。先生のお父様が個人的に以前から気になっていた学者だと知りびっくりしました。これも不思議なご縁ですよね。いつかその人を追うことができたらと思っています」

(文・深津純子 写真・石野明子)

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』

優等生の「ぼく」が通い始めたのは、人種も貧富もごちゃまぜのイカした「元・底辺中学校」だった。
ただでさえ思春期ってやつなのに、毎日が事件の連続だ。
人種差別丸出しの美少年、ジェンダーに悩むサッカー小僧。
時には貧富の差でギスギスしたり、アイデンティティに悩んだり。
世界の縮図のような日常を、思春期真っ只中の息子と
パンクな母ちゃんの著者は、ともに考え悩み乗り越えていく。
連載中から熱狂的な感想が飛び交った、私的で普遍的な「親子の成長物語」。
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ブレイディみかこ

1965年、福岡市生まれ。福岡県立修猷館高校を卒業後、パンクロック好きが高じてアルバイトと渡英を繰り返し、1996年から英国南部のブライトン在住。アイルランド人男性と結婚し、長男が生まれたのを機に保育士の資格を取得。貧困世帯の利用が多い「底辺託児所」で働きながらライター活動を始める。当時の体験をもとにした『子どもたちの階級闘争』(みすず書房)で2017年度新潮ドキュメント賞を受賞。著書に『花の命はノー・フューチャー DELUXE EDITION』(ちくま文庫)、『ヨーロッパ・コーリング』『女たちのテロル』(岩波書店)、『いまモリッシーを聴くということ』(Pヴァイン)など。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は「Yahoo!ニュース|本屋大賞 2019年ノンフィクション本大賞」(11月発表)の候補作に選ばれた。

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