MUSIC TALK

20歳で渡米。上原ひろみ、ジャズ界の大物に見いだされデビュー果たすまで(前編)

小柄な彼女がステージ上のピアノに触れた瞬間、息を吹き込まれた音があふれ出し、情熱的な演奏に見る者、聴く者は一気に引き込まれる――。世界を舞台に活躍するジャズピアニストの上原ひろみさん。幼き日に出会って魅せられたジャズの音色、世界的プレーヤーとの突然のセッション、「そのとき」を待って旅立ったアメリカでの日々を語る。(文・中津海麻子 写真・山田秀隆)

8歳でジャズと出会った

――ピアノを始めたきっかけは?

6歳のとき、母がピアノ教室に連れて行ってくれました。自分からやりたいと言ったわけではなく、習い事の一つとしてやらせてみようと母が考えたんだと思います。通い始めたときのことは記憶にないのですが、最初の発表会で「人前で演奏するのって楽しい」と感じたことは、鮮明に覚えています。緊張より楽しさの方が大きかったですね。

地元のピアノの先生と、ヤマハの音楽教室と、二つ通っていました。ピアノの先生がいろんな音楽が好きで、レコードを聴かせてもらったのがジャズとの最初の出会い。8歳のことです。オスカー・ピーターソンの『プリーズ・リクエスト』と、エロール・ガーナーの『コンサート・バイ・ザ・シー』というレコードでした。子どもなので細かいことはわからなかったけれど、なんか楽しいなって。リズムの捉え方がクラシックとは全然違っていて、跳ねるような感じ、踊りだしたくなるような音楽だと感じました。クラシックにない音階や和音が面白いと感じたので、クラシックの曲をジャズっぽく弾いてみたり、なんてこともして楽しんでいました。

――ジャズ以外にどんな音楽を聴いていましたか?

美空ひばりさんがすごく好きでした。祖母がひばりさんの熱烈なファンで、全集を持っていたのです。それをよく聴いていました。そうそう、学校のお楽しみ会で『お祭りマンボ』を歌ったりも(笑)。

――音楽教室ではどんなことを?

作曲コースに通っていました。毎週、4小節や8小節の小品を作り、それを先生が添削してくれる。「こういう風にするともっと音楽的なものになるよ」といった具合に教えてくれるんです。聴いている音楽がジャズが多かったので、それっぽい和音やスケールを使い、自然とジャズっぽい曲を作っていたように思います。

20歳で渡米。上原ひろみ、ジャズ界の大物に見いだされデビュー果たすまで(前編)

ヘアメイク:神川成二 衣装協力:MIHARAYASUHIRO

17歳で、名匠チック・コリアと突然の共演

――17歳のとき、伝説的なジャズピアニスト、チック・コリアさんと共演したとか。

その日は東京でレッスンがあり、地元の浜松から出てきていました。すると、チックが同じビルの中でリハーサルをしている、と。「会いたい」とお願いしたら、会わせてもらえることになったんです。

「わぁ、本物だ」と(笑)。英語がわからないから全然話すことはできなかったんですが、チックから「インプロヴィゼーションはできるか?」と聞かれ、「できます」というような返事をしました。少しピアノを弾き始めたら、私の演奏に合わせてチックも弾きだして、セッションになって。すると「明日コンサートに一緒に出よう」と、最終日のステージに誘ってくれました。

うれしくて、「やるぞー!」と、とにかくやる気満々でした(笑)。チックのピアノを真横で見ることができたことがただただうれしくて、一心不乱に演奏したことしか覚えていません。ものすごく楽しかったけれど、でも、自分には返せる言葉が圧倒的に少ないと感じました。一緒に演奏するということは音楽で会話するようなものなのですが、チックは演奏の中での語彙(ごい)力がとても豊か。すごいプレーヤーというのは、あらゆる言葉を知っているんだ。これが世界か……と。プロの世界を目の当たりにしました。

大学を中退し、渡米

――高校卒業後、法政大学に進学します。音楽を学ぶ道に進まなかったのは何か理由があったのですか?

ピアノをずっと弾いて生きていきたいという思いは漫然と抱いていて、そのためにアメリカに渡りたいという気持ちは強くありました。憧れて聴いていたミュージシャンがアメリカ出身の人が多かったので、いつかは行こうと思っていました。その機をうかがっていたものの、18歳の時点では「まだ今ではない」と。そう判断したので、普通の大学に進みました。

大学に通いながらライブ活動をしていて、それをCM音楽の制作会社の方が見に来たことがきっかけで、CM音楽を作るように。それまではピアノの曲を書いていたのですが、ほかの楽器の曲を作る機会が増えてきて、ピアノ以外の楽器について勉強したいという気持ちが強くなっていきました。アメリカで何を学びたいかがくっきりと輪郭として見えた。それで、今が行くタイミングだと、大学を中退し、渡米しました。

音楽で通じ合えば、友達になれた

――20歳、大学を中退しバークリー音楽院へ。世界中から音楽家を目指す人たちが集まってくる名門ですが、どんな雰囲気でしたか?

一番衝撃的だったのは、ロビーに座っていても、街を歩いていても、周りが全員ミュージシャンだったこと。バークリーのあるエリアにはほかにも音楽大学があり、行き交う人はみんな楽器を持っているんです。こんなにも音楽をやっている人、志している人がいるんだ、ミュージシャンというのは星の数ほどいるんだ……と驚きました。

ほとんど英語が話せないまま留学してしまいましたが、コミュニケーションで苦労したことはなかったですね。音楽で通じ合えれば信頼は得られるし、友達もできる。話すようになって友達になるわけではなく、一緒に音楽をやっておもしろいプレーヤーだと思ってもらって友達になり、それから言葉を交わす、という感じなので。そうやってできた友達が英語圏出身だったら英語を教えてもらい……という感じで、少しずつ言葉も習得していきました。

――2003年、アメリカでデビューが決まります。どういった経緯で?

卒業の7、8カ月ほど前だったと思います。中間試験の課題として提出した曲を作編曲科の先生がとても気に入り、次の期末試験のときにはオリジナル曲をアレンジしてみたらどうか、とアドバイスしてくれました。その後、オリジナルを収録したCDを持って行くと、それを聴いた教授が「このピアノは誰が弾いているの?」と尋ねてきたので、「私です」と答えました。先生は私のことをアレンジャーの勉強をしている学生だと思っていたので、とても驚いたみたいです。そして「これをある人に聴かせたい」と。それが、アーマッド・ジャマルさんという著名なジャズピアニストでした。彼からレコード会社「テラーク」や事務所を紹介してもらい、契約に至り……と、わずか1カ月ぐらいでデビューが決まりました。

――どんな気持ちでしたか?

やっとスタート地点が見えた、という感じでした。アメリカでピアニストになりたいけれど、ごはんが食べられなかったら日本に帰るしかない。そう考えていましたから。

これでピアニストになれる。これでプロになれるんだ――。それは、純粋にとてもうれしいことでした。

後編へと続く

上原ひろみ
1979年、静岡県浜松市生まれ。2003年にアメリカでデビュー。2011年に参加アルバムが第53回グラミー賞ベスト・コンテンポラリー・ジャズ・アルバムを受賞。2016年、アルバム『SPARK』が全米ジャズ・チャート1位を獲得。2019年9月18日、10年ぶりとなるソロピアノアルバム『Spectrum』をリリースした。

【ライブ情報】
上原ひろみ JAPAN TOUR 2019 “SPECTRUM”
11月17日(日) 東京 サントリーホール
11月19日(火) 広島国際会議場 フェニックスホール
11月21日(木) 札幌文化芸術劇場 hitaru
11月23日(土) 水戸芸術館 コンサートホールATM
11月24日(日) 大阪 ザ・シンフォニーホール
11月26日(火) 金沢市文化ホール
11月27日(水) 長野市芸術館
11月29日(金) 四日市市文化会館 第1ホール
11月30日(土) 静岡市清水文化会館マリナート 大ホール
12月1日(日) 大阪 ザ・シンフォニーホール
12月3日(火) 愛知県芸術劇場 コンサートホール
12月6日(金) サンポートホール高松 大ホール
12月7日(土) 岡山市民会館
12月8日(日) アクトシティ浜松 大ホール
12月10日(火) 新潟県民会館
12月11日(水) 日立システムズホール仙台
12月13日(金) 東京 サントリーホール
12月14日(土) 東京 すみだトリフォニーホール
12月15日(日) 横浜 みなとみらいホール
12月17日(火) 福岡シンフォニーホール
12月18日(水) 大分 別府ビーコンプラザ フィルハーモニアホール
12月19日(木) 山口市民会館 大ホール

PROFILE

中津海麻子

執筆テーマは「酒とワンコと男と女」。日本酒とワイン、それらにまつわる旅や食、ペット、人物インタビューなどを中心に取材する。JALカード会員誌「AGORA」、同機内誌「SKYWARD」、ワイン専門誌「ワイン王国」、朝日新聞のブックサイト「好書好日」、同ペットサイト「sippo」などに寄稿。「&w」では「MUSIC TALK」を連載中。

タブラ奏者U-zhaanを突き動かす、師匠のある言葉(後編)

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