花のない花屋

言えなかった「絶対治るよ!」 私の分も母を支えた妹へ

〈依頼人プロフィール〉
浮田美香(仮名)さん 24歳 女性
福岡県在住
看護師

    ◇

今年の6月、母が46歳の若さで亡くなりました。

6年前、高校2年生のときに、母から「ステージ4のガンだった」と告げられたとき、おそらく家族の中で私が一番ショックを受けていました。でも、母の病気をきっかけに、それまで迷っていた進路を「看護師になる」と定め、実際2年ほど前に看護師になることができました。

母の闘病中に医療の世界へ入り、長女でもあった私は、母の病状説明に立ち会ったり、体調のことや今後の不安などいろいろな相談を母から受けたりすることも多くありました。母はまだ若かったこともあり、子どもたちの成長を見守っていたい、欲を言えば仕事もしたい!と思っていたようで、いつも治療には前向きでした。
 
一方で、経験年数は少ないものの看護師として働いていた私は、悪い意味で慣れてしまっていたのか、冷静に現実を受け止めているところもありました。母としてはどんなにつらい治療でも、生き続けるためならなんでもやる!という気持ちだったようですが、すでに病が進行しており、抗がん剤治療をしてもつらいだけじゃないか……と思っていた私は、母に緩和ケアを勧めていました。母は緩和ケアにはかなり抵抗があったようで、結局最期まで拒み、その話になるといつも私たちはぶつかっていました。

いまになって思えば、母が言ってもらいたかったことは別のことだったんじゃないか、私の言葉は母を不安にさせるだけだったんじゃないか……と、後悔ばかりが湧いてきます。どうして私は「絶対治るよ!」と言ってあげられなかったんだろう……。

でもそんなとき、私の代わりに「治るよ!」と言い切り、母を勇気づけてくれていたのが、8歳下の妹です。母の病気がわかったのが、彼女がまだ小学校4年生のとき。いい意味で状況がよくわかっていなかったからか、妹はいつも笑顔で母に接し、母が安心する言葉をかけてあげていました。

また、やさしい妹は家事を率先して手伝うだけでなく、母の背中をお風呂で流したり、母の体が痛いときはマッサージをしてあげたり、一緒に寝たり……彼女は今年高校1年生になりましたが、まだまだお母さんにべったりでした。

私は大学卒業、成人式、就職……とある程度まで母と人生をともに過ごせましたが、妹は大学に入学する姿も、成人式での晴れ着姿も母に見せてあげることはできません。

幸い、妹はとても明るい性格で、母が亡くなっても泣き顔ひとつ見せず、毎日学校に通う姿は私の心も明るくしてくれます。でも、その明るさの裏でつらい思いをしていないだろうか、無理をしているんじゃないだろうか、と心配になるときがあります。

そこで、「たくさんの時間、母のそばにいてくれてありがとう」「家族を大切にしてくれてありがとう」「がんばりすぎず、でも母の分までがんばって、よい人生を一緒に歩もう」という思いを、花束にしていただけないでしょうか。

妹は小さい頃から絵が好きで、学校でも休み時間には絵を描いているような子どもでした。一見おとなしそうですが、芯が通っていてどこか凜(りん)としている雰囲気があります。できたらヒマワリなどを使い、見るだけで元気の出る、存在感や生命力を感じる花束を作っていただけたら光栄です。

言えなかった「絶対治るよ!」 私の分も母を支えた妹へ

花束を作った東さんのコメント

八重のヒマワリとヒメヒマワリの2種類をメインにリコリスを間にちりばめ、生命力あふれる明るい花束を作りました。実は、ヒマワリは顔があるのでアレンジが難しい花材なのですが、今回はあえて顔を内側に向かせて挿しました。時間とともにちょっとずつ顔が動いていくはずですので、その様子も楽しんでくださいね。

アレンジの下半分には秋を感じさせるケイトウを挿し、夏から秋へ移ろう季節感を加えています。最近、花の業界も一年を通して手に入る花材が増え、だんだん季節感がなくなってきていますが、やはり季節感はなるべく大切にしたいものです。「あのときの花束には、あんなお花があったから、確か夏から秋のこと……」といったように、お花は季節と結びつき、記憶をよみがえらせてくれます。そんなところもお花の大切な役割かもしれません。

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(写真・椎木俊介/ライター・宇佐美里圭)

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    「&w」では、読者のみなさまから「物語」を募集しています。
    こんな人に、こんな花を贈りたい。こんな相手に、こんな思いを届けたい。
    花を贈りたい人とのエピソードと、贈りたい理由をお寄せください。毎週ひとつの物語を選んで、東さんに花束をつくっていただき、花束は物語を贈りたい相手の方にプレゼントします。その物語は花束の写真と一緒に&wで紹介させていただきます。
    詳しくは応募フォームをご覧のうえ、お申し込みください。

    フラワーアーティスト・東信 (あずままこと)

    言えなかった「絶対治るよ!」 私の分も母を支えた妹へ

    1976年生まれ。
    2002年より花屋を営み続け、現在は東京・南青山にてオートクチュールの花屋「JARDINS des FLEURS」を構える。2005年よりフラワーアーティストとして、ニューヨーク、パリ、ドイツ、ブラジル等、国内外で精力的な活動を展開。独自の視点から花や植物の美を表現し続けている。
    作品集に「ピエール・エルメ サティーヌ」「ENCYCLOPEDIA OF FLOWERSII 植物図鑑」(ともに青幻舎)など。

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    PROFILE

    椎木 俊介(写真)

    ボタニカル・フォトグラファー

    2002年、東信とともに、銀座にオートクチュールの花屋「JARDINS des FLEURS」を構える。東が植物による造形表現をはじめると時期を同じくして、カメラを手にし、刻々と朽ちゆき、姿かたちを変容させていってしまう生命のありようを写真に留める活動に傾倒していく。日々、植物に触れ、その生死に向き合ってきたからこそ導き出すことのできる、花や植物のみが生来的に有する自然界特有の色彩や生命力、神秘性を鋭く切り取っていく。

    2011年に初の作品集となる東信との共著『2009-2011 Flowers』(青幻舎)を発表以降、常に独特の視点ですべての東の作品を捉え続け、近年は映像制作にも力を入れ、多岐にわたる活動を行っている。

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