モヤモヤし続けた20代を経て。irodori窯・酒井美華さんと「練り込み」の出会い

富士山の裾野が広がる静岡県富士宮市。周囲を緑に囲まれた住宅街に、陶芸作家・酒井美華さんの陶房「irodori窯」はある。食卓に一枚加えるだけでパッと華やぐようなirodori窯の器は、8畳ちょっとの小さな作業部屋から生まれる。酒井さんはここでひとり、コツコツと作陶を続けている。

出身は富士宮市。高校卒業まで地元で過ごし、その後は東京のファッション専門学校に進んだ。当初はスタイリストを夢見ていたが、就職したデザイナー事務所は激務で、ほんの数カ月で辞めてしまった。ならば、とバイヤーに目標を変えアパレルショップの販売員として働いたが、それも長続きしなかった。

「若手だし、ノルマもきつくて。いま思えば大したことないんですよ。でも家賃を払ってカツカツの生活をして、その先が見えなくなっていると、20歳そこそこで東京で1人で暮らしていくのって、けっこうなパワーが要るんですよね。本当はもっと踏ん張れる力があればよかったんだけど、若いからかすぐに結果を求めてしまうところもあって。結局、未熟だったんでしょうね」

東京で働いたのは、「1年だけ」。早々にファッション業界から身を引き、両親や友達のいる地元に戻った。

モヤモヤし続けた20代を経て。irodori窯・酒井美華さんと「練り込み」の出会い

結婚後も、静岡県富士宮市で暮らす。irodori窯の陶房は、自宅の一角にある

何かが、カチッと

それからは、実家が営む建材会社で事務員として働いた。華やかな業界での活躍を思い描いていたはずが、気づけば身内同士の小さな世界におさまっている。友達に誘われて行った合コンでは、仕事を尋ねられると「ただの事務でーす」と笑い混じりに答えた。

「別に事務がどうというわけじゃなくて、私自身、胸を張って仕事をしているというより、腰掛けみたいな感じだったんでしょうね。クリエーティブなことをやりたくて東京にまで行かせてもらったのに、『私、これじゃない』『何か違う』っていうのは心の中にあって。表面的には楽しかったけど、20代はずっとモヤモヤしたものを抱えていました」

モヤモヤし続けた20代を経て。irodori窯・酒井美華さんと「練り込み」の出会い

陶芸の「練り込み」という技法を知ったのは、そんな頃だ。趣味を見つけようと体験した陶芸が気に入り、ならば本格的に習ってみようと、ネットで検索したときのこと。ある教室のホームページで、一枚の写真を目にした。

見たこともないような幾何学模様の器。しかも、その模様は描かれたものではなく、異なる色の粘土を組み合わせて作られているのだと知った。後に師となる、室伏英治氏の作品だった。

思えば小さな頃から、幾何学模様や色にはなぜか興味を引かれた。塗り絵が好きで、小学校の授業でも二重丸が並んだ西武デパートの紙袋をマネて、コンパスで夢中になって模様を描く、そんな子どもだった。ホームページで見た練り込みの器は、酒井さんの心をわしづかみにした。

「写真を見たとき、何かがカチッとハマるような、それこそ、本当にビビビッ!ときた感じだったんです。ちょっと古い表現ですけど(笑)」

モヤモヤし続けた20代を経て。irodori窯・酒井美華さんと「練り込み」の出会い

irodori窯のスクエアプレート

それからの5年間は、隣の富士市にある教室に生徒として通った。それも週に1回。「最初はこれで食べていこうと思っていたわけじゃないんです。すごい褒められるわけじゃないし、私は向いてないのかなと迷うこともありました。全然、器用じゃないですし」。新しい模様を覚えていく楽しさはあっても、取り立てて熱心な生徒というわけではなかったという。

それがあるとき、思いがけない巡り合わせで、室伏氏のアシスタントに就くことになる。「いままでアシスタントのいなかった先生が『雇おうかな』って言ったんです。私は自分から『弟子にしてください』って言う勇気はなかったから、これはチャンスだ!って」

「私自身、ちょうど微妙な時期だったんですよ。30歳目前になって、年を重ねていく焦りも出てきて。両親には悪いけど、事務の仕事はやっぱりあまり楽しくなくて、何か自分で興したいという気持ちの方が強かった。年を取っていったらチャレンジするのがどんどんおっくうになるだろうし、いまかもしれない、みたいな思いはありました」

モヤモヤし続けた20代を経て。irodori窯・酒井美華さんと「練り込み」の出会い

余った粘土は丸めて、窯の隙間に入れて焼く。ぜいたくにも、庭にまいて砂利のように使うのだそう

「挫折」があればこそ

2007年から、平日は実家の仕事を手伝い、週末はアシスタントとして働いた。陶芸教室の補助や作品作りの勉強をする一方、室伏氏の勧めもあって、自作の器をクラフトフェアに出品するようにもなった。

初めて日本最大級の工芸イベント「クラフトフェアまつもと」に出展したとき、伊勢丹のバイヤーから声がかかった。伊勢丹の企画展に親子茶わんを出品すると、それを見たほかの店からも、数珠つなぎのようにオファーが届くようになった。たち吉の協力で百貨店に出展することも増え、個人のギャラリーからも依頼が舞い込み始めた。

モヤモヤし続けた20代を経て。irodori窯・酒井美華さんと「練り込み」の出会い

自宅一角の作業部屋で、黙々と作陶を続ける酒井美華さん

「練り込みをやっている人が少ないので、珍しがってもらえるというか、すごくラッキーだったと思います」。酒井さんはそう言って謙遜するが、それはirodori窯の器が、お客さんたちの心をしっかりとつかんだからに他ならない。

アシスタントとして働いた3年を経て、2010年、ついに独立。いまも制作はもちろん、依頼主との連絡調整やスケジュール管理まで、たった1人でこなしている。

20代でのファッション業界からの方向転換を、酒井さんは「挫折」と呼ぶ。でも、後悔しているかと言えば決してそんなことはない、とカラッと笑う。「ファッションってすごく大きな世界じゃないですか。デザイナーがいて、パタンナーがいて、いろんな仕事の人がいて。練り込みは一から全部、自分のやりたい世界観を自分で表現できる。色や模様の組み合わせは無限ですし、楽しいですよね。新しい模様に挑戦して窯から出す瞬間は、やっぱりワクワクします、いまでも」

クラフトフェアを回っていた頃の器をいま見ると、技術はまだまだ未熟で、模様は大きく皿の縁もゆがんでいるという。それでも、自分の作品を手に取ってもらえたときの涙がこぼれそうなほどの喜びは、鮮明に覚えている。

(文・写真 &w編集部・岡田慶子)

【関連記事】食卓をパッと華やかに。酒井美華さんが作る、irodori窯の器

     ◇

irodori窯 酒井美華さんの個展:
2019年10月25日(金)~11月7日(木) テラスモール松戸店 
2019年11月13日(水)~19日(火) 銀座三越

タイ・チェンマイのバーンロムサイでつくられたリメイク・ハンドバッグ 川内倫子さん

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