東京の台所

<197>人生を変えた魔法のスパイス

〈住人プロフィール〉
会社員、スーパーマーケット専門家・33歳(女性)
賃貸マンション・1LDK・JR山手線 目黒駅(目黒区)
入居2年・築年数39年・夫(34歳、会社員との2人暮らし)

 京都出身。人材系の企業から、食を扱うIT系企業に28歳で転職。たまたまスーパーマーケットと交渉をする営業職に配属になった。
  
 2年前のある日、宮崎出身の友達と宮崎料理系の居酒屋チェーン店で、「魔法のスパイス マキシマムポテト」というメニューを見た。
「なにこれ、マキシマムって」
「宮崎では誰でも知っている調味料だよ。宮崎の人はチャーハンでもなんでも使うの。すっごいおいしいんだよ」
 早速食べてみると、中華風でも和風でも洋風でもない。初めて味わう風味。だが「衝撃的なほどおいしかった」。

 どんなに忙しくても1日の終わりはコンビニではなく、手作りの食事で終えたいという料理好きの彼女は、さっそく取り寄せた。

「塩コショウはもちろんクミンやパプリカなど、いろんなスパイスがミックスされていて本当においしいんです。野菜炒めはもちろん、唐揚げや、ごぼうに片栗粉をまぶして素揚げしたものにふりかけたり、とにかく万能。ブロッコリーを炒めてさっと振りかけるだけでお弁当のおかずになります」

 そのとき、ふと気づいたという。
「私が仕事で回る全国のスーパーには、マキシマムみたいな、その土地の人たちだけが知っているご当地調味料やおいしいプライベートブランド商品がけっこうたくさんあるな、と」

“ご当地調味料”とは、彼女のネーミングだ。それから、旅行や仕事で各地を訪れるたびに意識して観察。気になるものをあれこれ買い込んでは家で試した。
「たとえば愛知には“献立いろいろみそ”っていうチューブ型のみそがあります。とんかつにかけたり、あえたりもいいんですが、炒めるだけでホイコウロウの味になる。スーパーは行けば行くほど面白いし、すばらしい商品がたくさんあるんです」

 ところが、検索してみると見事なまでにそれらの詳細がほとんど載っていない。IT畑で仕事をしてきた彼女は「信じられない思いだった」と振り返る。

「この時代に、検索しても出てこないって。じつはスーパーはどこも深刻な人手不足で、日々の業務に追われ、広報やPRに手が回らないんですね。また、自分たちの魅力に気づいていないところも多いのです」

 自分の足で歩き、買い、家の台所で使ってみて、しみじみと実感した。
 ──ネットでなく、実店舗でしかわからないことってあるんだな。

 そこで紹介サイトを立ち上げ、各地のスーパーで出会った魅力的な食品の記録を始めた。検索できるようにするためだ。「旅行前にチェックしています」というメールが来るようになり、少しずつファンが増えていった。

 母親は教師で、働く背中を見て育った。自分は今年5月に結婚したが、ずっと母のように生き生きと仕事を続けたいと考えている。そして働くなら、いつか「広く使命感を持って、社会に役立つ仕事を」と。

「マキシマムと出会った頃は、まさにキャリアに対して悶々と模索しているときでした。ご当地調味料は、愛知の献立いろいろみそのように時短になる便利なものがたくさんあるんです。私は頑張っているスーパーのPRを外から後押ししながら、同時に良いものを取り入れて、働く女性の暮らしを変えていきたいのです」

 料理好きな夫とふたりでも立てるよう借りた広い台所のあるマンションで、日々の料理や家事もある。会社の理解のもと、スーパーマーケット専門家という肩書での執筆依頼なども徐々に増えつつある。つまりけっこう忙しい。

「食事は日々のこと。何もかもにそうそうこだわってはいられません」と彼女は笑う。自身はネットスーパーも利用するし、料理が負担にならないための術(すべ)を心得ている。そのうえで自分流に楽しんでいる。

「京都の薄味で育ったので、九州の甘い醤油(しょうゆ)は衝撃でした。でも使ってみると、煮物にコクと深みが出て、今では料理に欠かせません。醤油とみそは料理の基本。これがかわっただけで、料理の幅がぐんと広くなるんですよね」

 まだ始まったばかり。だが、スーパーの外部PRというおそらく誰もしていない彼女の挑戦からは、勝算のニオイを感じる。売る人、買う人の双方を幸せにする。地方の地味で優れたものに光が当たる。とびきりおいしい。なにより、一生かけて伝えたいという情熱はきっと人の心を動かすだろうと思うからだ。

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PROFILE

大平一枝

長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)ほか。最新刊は『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)。HP「暮らしの柄」。
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