book cafe

<124>深夜まで人が集まる一軒家カフェ 「珈琲杖」

 東京・杉並にある「珈琲杖」に行こうと思ったら、JR中央線西荻窪駅からも、京王井の頭線久我山駅からも10分は歩く必要がある。住宅街の中にあるため、スマートフォンのマップは欠かせない。さらには、かつて住宅として使われていた一軒家を店にしているため、店の場所に気づかず通り過ぎてしまうこともしばしばだ。それでも、わざわざ足を運ぶ人は少なくない。

 店のツイッターアカウントを見ていると、店主の薗田千晴さん(33)は、夜の10時近くにこんなツイートをしていた。

「信じてもらえないとは思うのですが、杖はただいま満席です。どうでしょう。23時くらいには空くと思うのですが。やめときましょうか今日は。無理して雨の中来ることはない、お風呂にゆっくり浸(つ)かって早く寝てください。また普段通りガランガランの日にお会いしましょう。おやすみなさい。」

<124>深夜まで人が集まる一軒家カフェ 「珈琲杖」

 2016年11月にオープンしてから気づけば3年が過ぎようとしている。開店時間は、平日は15時から、土日祝日は12時からで、いずれも0時まで営業している。薗田さんが、「夜12時までやっている喫茶店があったら行くのに」と思ったことから、店を開けることに決めた。

 店の玄関をくぐると土間があり、ここで靴を脱ぐ。戸を開けて人が一人通れるほどの狭い通路を進み、右手の階段を上る。左手には小さなキッチンがあり、薗田さんはここで客を迎える。2階にあがると、よく使い込まれた机や椅子などが並べられた部屋へとたどり着く。

<124>深夜まで人が集まる一軒家カフェ 「珈琲杖」

 本棚、レコードプレーヤー、棚の片隅に置かれたオブジェ、オレンジ色の柔らかな光を放つ照明……、時代を経た古道具たちによって作り出された空間は、なんとも言えず心地がいい。入り口のところに小さく「会話は控えめに」と張り紙があったが、もし見落としていたとしても、誰かと一緒に来ていたとしても、ここでは自然と口を閉じ、静かな時の流れに身を任せたくなる。

 店で提供するコーヒーは自家焙煎(ばいせん)のネルドリップ。チョコレートケーキやチーズケーキなどのスイーツも薗田さんの手作り。たまたま友人と旅をした時に訪れた喫茶店で飲んだウインナーコーヒーに心を奪われ、自分で豆を買い、コーヒーを淹(い)れることにハマった。お菓子作りにしても、上京して一人暮らしをした時に、こちらもたまたまオーブンレンジを買ったことからケーキを焼くようになった。その頃は自分が何年後かに喫茶店を営むとは思いもよらなかったが、その時の経験が今しっかりと生かされている。

 そもそも薗田さんはなぜ一軒家で店を開こうとしたのか。かつて、阿佐ヶ谷にある芝居小屋の管理人として働いていたが、ふと「店をやってみたい」と思いついたら、いても立ってもいられなくなったからだと振り返る。ただし、後任スタッフへの引き継ぎがあったため、結局、仕事を辞めたのは店を始めたいと思ってから約1年後のこと。その後、わずか2カ月間で物件を探して店としての体裁を整えた。

「前の仕事を辞めるまでの1年間で、店で使えたらいいなと思う机や椅子、古道具などを集めることができたから、結果的にはよかったのかもしれません。周りの人からは『お金大丈夫?』『本当にできるの?』などと言われましたけど、僕はオープンできると思っていたので、気になりませんでした」

 この物件を内見した時、建物に入った途端に店のイメージがすぐに思い浮かんだという。理解のある大家さんで、喫茶店にしたいという薗田さんの希望を快く受け入れてくれた。

 2階の喫茶スペースに置かれている机をよく見ると、脚の部分は古いミシンで、その上に別の木箱が乗せられている。部屋の真ん中には古い柱が立っており、古材を組み合わせて空間を仕切っている。薗田さんは買ってきた古道具をただ並べるだけでなく、自分なりに加工して、独特の空間を作り出していたのだ。

<124>深夜まで人が集まる一軒家カフェ 「珈琲杖」

「古道具はとりあえず気に入ったら手に入れておき、バラバラに集めたものを目の前に置いて、どう組み合わせていこう? と考えるのが好きなんです。穴を開けたりするので高価な骨董(こっとう)品は買えません(笑)。小さい頃、レゴが好きだったのでそのスケールが大きくなったことを今もしているような感じかも」

 そんな古道具に合わせて、薗田さんが古本を並べたのは自然の成り行きだった。自分が作った空間には本がある方がしっくりくると感じたからだ。

「昔の人が生活で当たり前に使っていた道具が好きなんですよね。どこかで誰かが使っていたものが、流れ着いてここに集まって一つの空間を作っている。でも、僕からすればまだまだ未完成で、もうちょっと変な空間にしたい」

 薗田さんは、「落ち着きつつも、ちょっと緊張感のある空間」に心惹(ひ)かれるという。はじめは「ここでどう過ごせばいいんだろう?」と戸惑うものの、腰を据えてみると居心地がよくてなかなか出られない空間が理想なのだが、ここはまだそこには至っていないと感じている。

 とはいえ、薗田さんが作り出した空間に惹かれ、駅から離れていてもわざわざ訪れる人は着実に増えている。SNSで発信するのは苦手だったが、店の存在を知ってもらうためにツイッターを始め、毎日必ず一つはツイッターに投稿することを実践している。

<124>深夜まで人が集まる一軒家カフェ 「珈琲杖」

「店をやりはじめてから、店の名前の“杖さん”って呼ばれることが増えたんですね。普段の僕はゲラゲラ笑うし、バカみたいなことをやるんだけど、こういう空間の店主ということで、本をずっと読みふけっている落ち着いた人という別人格ができたみたいで。それって面白いなって」

 店を営むようになってから、薗田さんは別の店を訪れた際に、どんなものを置いているか、どんな本を並べているか、というところから店主の個性を想像するようになったという。

 店主としての個性と、その人が親しい人に見せる個性は必ずしも同じではない。薗田さんのように「全然違う」ということも大いにある。なのに、その人が作り出した空間には、人柄のようなものが確かににじみ出る。そこに心地よさを感じる人たちが集うことによって、店の個性が形作られていくのだろう。

<124>深夜まで人が集まる一軒家カフェ 「珈琲杖」

■おすすめの3冊

『同人誌サイコロ008 最後の居場所』(寄稿者/コジマケン、薗田千晴、文庫善哉、保光敏将、山川直人)
『コーヒーもう一杯』などで知られる漫画家の山川直人さんが中心となって発行している同人誌の最新刊。「僕が『コーヒーもう一杯』が好きで、店を作る時にもこの漫画のイメージがずっとありました。オープンしてから山川さんにお手紙を書いたらお店に来てくださったんです! その1年後にまたいらっしゃって、僕のツイッターを見ていた山川さんに『何か書いてみない?』と言われ、はじめて書いた短編小説が載っています。こんなこともあるんだって、すごくうれしかった」

『老いた体操教師・瀧子其他 小林多喜二初期作品集』(著/小林多喜二)
プロレタリア文学の代表的な作家・小林多喜二の最初期短編集。「表題作の『老いた体操教師』は、戦争で足に障害がある体操教師が主人公です。威厳がありつつも、多少いじられてもそれを受け入れる余裕もあります。でも、家に帰ると威厳が通じない妻子に不満も抱いている。ある日、障害があっても雇ってくれていた校長が異動し、別の校長が赴任するんです。その途端に保身に走り、新しい校長の前では手のひらを返したように厳しい指導を行うようになるものの、その努力もむなしくクビになっちゃうんですね。そのさまが滑稽(こっけい)なんだけど切ない。他の短編も人間の普遍的な強さと弱さが描かれていて、深い一冊なんです」

『日本の写真家〈9〉安井仲治』(写真/安井仲治、編/長野重一、飯沢耕太郎、木下直之)
戦前に関西で活動し、38歳でこの世を去った写真家の作品集。スナップ、フォトモンタージュ、ドキュメンタリーと幅広い作風が特徴。「たまたま古本屋で見つけました。この写真家のことは知らなかったんですけど、手にとった時に『これはすごい!』と感じたんです。それまで自分の中でいい写真、悪い写真というものはあったけど、この人の写真は別格でした。どうすごいのか、うまく言葉に表せないので、ぜひ見に来てください!!」

    ◇

珈琲杖
東京都杉並区松庵1-1-26
https://twitter.com/coffeetsue

(写真・山本倫子)

>>写真の続きはこちら ※写真をクリックすると拡大表示されます。

book cafeのバックナンバーはこちら

PROFILE

吉川明子

兵庫県生まれ。コンピューター・デザイン系出版社や編集プロダクション等を経て2008年からフリーランスのライター・編集者として活動。旅と食べることと本、雑誌、漫画が好き。ライフスタイル全般、人物インタビュー、カルチャー、トレンドなどを中心に取材、撮影、執筆。主な媒体に週刊朝日、アサヒカメラ(「写真好きのための法律&マナー」シリーズ)、婦人公論、BRUTUS、mi-molletなど。
https://www.instagram.com/a_yoshikawa0227/
https://note.mu/akikoyoshikawa

<123>地域のご縁が育てる住宅街の一軒家カフェ 「book & cafe Nishi-Tei」

トップへ戻る

<125>高崎から発信する「反抗」のススメ 「REBEL BOOKS」

RECOMMENDおすすめの記事