上間常正 @モード

コムデギャルソン2020年春夏の新作 フェミニズムの奥にあるものへの問い

熟年以上の世代にとって、フェミニズムは過ぎた昔の思い出という人も多いだろう。しかし、最近は若い世代からこの問題への関心が高まっているように、女性差別の見えない壁は、今でもしぶとく残り続けている。コムデギャルソンがパリで9月に発表した2020年春夏の新作は、そんなフェミニズムの現状のもっと奥にあるものへの問いを誘う、強いインパクトがあった。

コムデギャルソン2020年春夏の新作 フェミニズムの奥にあるものへの問い

コムデギャルソン2020年春夏コレクション 撮影:大原広和

今回の新作は、デザイナーの川久保玲が舞台衣装を担当して今年12月にウィーン国立歌劇場で開かれる新作オペラ「オーランドー」に向けたものだ。6月に発表したメンズの新作がいわば第一幕、今回のレディースが第二幕、そして12月のオペラ公演の衣装が第三幕で完結するのだという。「オーランドー」は英国の女性作家ヴァージニア・ウルフが1928年に発表した小説で、16世紀に生まれた主人公のオーランドーが、途中で男性から女性になって20世紀まで生きて活躍するという、両性具有をモチーフとした破天荒なファンタジーだ。

6月の第一幕では、男性服の基本としてのスーツに女性服な要素(フリルや刺しゅうのような修飾、多彩な色使いなど)を織り交ぜて、徹底的に解体してみせた。しかし、男性服からの女性服への接近はいくらやっても結果的には気まぐれの戯れでしかなかったこと、そして本当の問題は、それが今ではお遊びでは済まなくなってきた時代の流れへの不安や恐れを感じさせた。

コムデギャルソン2020年春夏の新作 フェミニズムの奥にあるものへの問い

コムデギャルソン2020年春夏コレクション 撮影:大原広和

続く今回の第二幕では、ショーの始めにやっと豪華絢爛なオペラ衣装のような服が登場した。クリノリンやバッスルで膨らませたような形や、凝った刺しゅう、ピンクや緑、赤や黄色……。しかし、服のあちこちに切れ目があったり、足のすねの形がパッドで左右の膨らみがバラバラだったりで、そうした表現はあくまで川久保のもので、舞台衣装が目的ではないことがすぐわかる。

コムデギャルソン2020年春夏の新作 フェミニズムの奥にあるものへの問い

コムデギャルソン2020年春夏コレクション 撮影:大原広和

コムデギャルソン2020年春夏の新作 フェミニズムの奥にあるものへの問い

コムデギャルソン2020年春夏コレクション 撮影:大原広和

ショーが進むにつれて、柔らかいパフや真っ赤に輝くサテンのジャケットが出たかと思えば、硬い素材のよろいのようなボディスが続く。おなかの部分に空虚な穴がパックリと開いた服も。しかし、服は次第に色を失い形もシンプルになっていき、最後は黒一色の抽象的な形だが深い不安や憂いを感じさせる服で終わる。

第一幕のメンズで川久保が暗示した内容が、この第二幕ではもっと具体的な強い力で直接に伝わってくる、と言えばいいのかもしれない。そう感じさせるのは、この表現には今という時代への切実な問いや内省が込められているからだ。

コムデギャルソン2020年春夏の新作 フェミニズムの奥にあるものへの問い

コムデギャルソン2020年春夏コレクション 撮影:大原広和

ホモサピエンスとしてのわれわれ人間は、サルと別れて誕生してからの長い歴史の中で、物質的には飛び抜けて豊かな生活を送っている。その一方で、地球の資源や環境はもう破局的な危機に陥っている。しかし、多くの人々はとりあえずの日常的な小さな満足と安全を見いだして、そのことに無感覚だったり、見て見ないふりをしたり、特に豊かな人は現状を肯定的に正当化して強引に突破しようとしていたりする。

しかしだからといって、相次ぐ自然災害や大事故、テロや戦争への不安を、だれでも程度の差はあっても全く感じないわけにはいかないだろう。川久保は自分の作品について「力強いもの、新しいもの」としか語ってこなかった。その力強さというのは、多くの人がぼんやりとは感じていることを決して見過ごさずに問い続け、その現段階での到達点でもあり次への出発点として、服という形で表現したことなのだと思う。そのためには、服についての決まり事や形式化した表現スタイル、商業主義的な妥協を断固として拒否することが必要だった。

とはいえ今回の第二幕の服は、女性服がもつ美しさも十分に兼ね備えていることも事実なのだ。第三幕のオペラ公演で登場する服は、舞台衣装ということになる。伝統的なオペラの衣装は、過剰でいくぶん悪趣味ではあるとしても、服がもつ生気に満ちた輝きや美しさがあることも否定はできない。川久保は多分、衣装の解体には当然喜んで手を貸すとしても、そうしたことも見逃しはしないだろう。

壊したほうがいいものは徹底的に壊しながらも、その中に潜む再生するべきものに目を向けること。川久保の服の表現には、そういう否定と肯定の二重の視点が込められている。なぜかといえば、肯定できるものの中に未来への救いが見いだせるかもしれないからだ。そして、肯定できることは、伝達の道具としての言葉では表現できないのだと思う。

ウィーン国立歌劇場での〝衣装〟がどんな風に登場するのか、いまから楽しみでしかたない。

PROFILE

上間常正

ジャーナリスト、ファッション研究者。1972年、東京大学文学部社会学科卒、朝日新聞社入社。記者生活の後半は学芸部(現・文化くらし報道部)で主にファッションを担当。パリやミラノなどの海外コレクションや東京コレクションのほか、ファッション全般を取材。2007年に朝日新聞社退社、文化学園大学・大学院特任教授(2019年3月まで)としてファッション研究に携わる。現在はフリーの立場で活動を続けている。

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