東京の台所

<199>2歳と4歳。幼稚園か保育園かで心揺れる母の休憩所

〈住人プロフィール〉
パート・35歳(女性)
賃貸マンション・1LDK・東急池上線 戸越銀座駅(品川区)
入居6年・築年数約45年・夫(35歳・会社員)、長男(4歳)、次男(2歳)との4人暮らし

子どもが食べても食べなくても。菓子作りは大事な時間

 幼い頃から父の仕事の関係で引っ越しが多く、土地に執着がない。22歳で上京後も、ルームシェアを含めて4回越した。店舗の内装を手掛ける会社に就職したため、DIYも得意だ。
 今の家の台所の棚も、ネットで突っ張り式のピラーブラケットというパーツを取り寄せ、自分で作った。

「賃貸なので、壁を傷つけず、次の家にも持っていける。家の収納のほとんどはこれです。新しい住まいに合うよう、自分流にアレンジする過程が好きなんですね」
 たおやかな印象から、壁一面の質実剛健な自作の棚が結びつかず驚く。

 取材では、お茶請けに栗の渋皮煮とバナナシフォンケーキ、りんごのコンポートを美しく盛りつけ、どうぞと勧められた。すべて手作り。
 2歳と4歳の男の子2人。今月から、パートで仕事を始めた。よくこれだけの菓子を作る時間があるものだ──。

「お菓子やパンは、子どものためというより私のストレス解消なんです。子どもを寝かしつけたあとの深夜や朝に作ります。台所にこもって集中すると、無になれる。達成感もあるし、仕事を再開するまでは毎日のように作っていました」

 冷蔵庫を開けると、残り物のパンプキンプリンが出てきた。ハロウィーンに作ったのに、子どもはプレーンなプリンのほうが好みで、不人気だったらしい。
 彼女は「夏みかんのジャムなんかもせっかく作っても食べませんね」と、意に介さない。
 
「作ったものは家族の中で私が一番食べているかも。一日中子どもがギャーギャー言っている中にいますから。お菓子とパンを作る時間が、大事な息抜きになっているかもしれません」

「保育園落ちた、日本死ね」に共感。保活に心折れる

 初めての妊娠は残念ながら流産した。当時勤めていた会社には妊娠も告げていなかったので、手術で1日入院、2日後何も言わぬまま復帰した。

 二度目に妊娠したときは、一人目のトラウマが大きく、また体調も思わしくなかったことから、働きながらのマタニティーライフは不安とストレスでいっぱいだった。2016年、なんとか無事出産。ところが育休をとって、日中子どもと過ごす日々の当初は、とまどいが多かった。
「一日中家に子どもと二人きり。前職は営業で、毎日たくさんの人に会っていたので、そのギャップもありました」

 育休明けには、想定外の試練が待っていた。認可保育園を10園見学。申し込んだがどこにも入れない。
「フルタイムの正社員なのに、認可保育園も認証保育園も全滅でした。空き待ちを登録しても連絡が来ない。どうしたらいいのかと途方に暮れ、保活(保育園入園のための活動)は本当に心が折れました」

 結局、預け先がないため、やむなく退職を選んだ。「保育園落ちた。日本死ね」のブログが社会問題になった年のことである。

 長男は幼稚園へ。2年後、次男が生まれた。
「今度こそと、保活を頑張りましたが、長男は幼稚園で降園が早いので、フルタイムで働けません。その状態だと長男のとき以上に入園は厳しく、働きたいのに働けない。これは理不尽だなと痛感しています」

 2年間の専業主婦を経て、ようやく今月から次男を時短枠の保育園に預け、リフォーム会社のパート勤めを始めた。
 二児を連れ、買い物一つもままならない今の暮らしで、次男が3歳になる来年は、保育園に再びトライするか、迷っている最中である。

 そのいっぽうで、専業主婦生活で得た喜びもたくさんある。
「子どもと今しかない時間をたっぷり共有し、一緒に季節を感じる時間は、かけがえがないです。また、初めて幼稚園のママと話して、みんな忙しいし、みんな一生懸命やっているんだなあと率直に心を動かされました。街を歩けば誰かが挨拶(あいさつ)してくれる。近所の人と顔がつながる安心感、楽しさも初めて知りました」

 ずっと「根無し草のように」引っ越しが好きで、気ままにいろんな所で暮らしてきたが、この街に根を下ろすのもいいなと思い始めたのは、幼稚園のママ友や育児を通じてできた仲間の存在が大きい。
 夫も同じ思いで、じつはつい最近、近所にマンションを買ったばかりである。
 つまり、深夜にパンを捏(こ)ねた思い出の台所との別れは秒読みなのだ。

「おやつ作りなんて、やってもやらなくてもいいもの。特に必要なものではないけれど、あのときの私にはどうしても必要な時間でした。子育てで一日中、行き場のなかったストレスを、この台所で発散していたように思います」

 今月から働きだしたら、菓子やパンを作る時間は激減した。それでも朝、夫と子どもの弁当2人分を作ったあと、菓子を仕込むこともある。夢中になれて達成感が得られ、自分のざわついた気持ちを解放できる。

 ときに、ままならぬことの多い子育てを通して、彼女は自分を癒やす最良の術をこの台所で自然に身につけたのだ。

 よく見ると、台所にパソコンも読みかけの本もミシンもある。広くて明るくて、使い勝手よく自分で整えた、彼女の城だったんだなあとわかる。
 さて、もうひとつ、この城で育まれたものがある。夫との絆だ。

「うちの間取りは、ワンルームに台所がついているだけ。子どもが寝たら、唯一仕切りのある台所で、遅くに帰宅した夫はご飯を食べ、私はその日の子どもの様子を報告します。夫はウンウンと楽しそうに耳を傾ける。そういうささやかなコミュニケーションに浸れていたおかげで、自分を取り戻せたし、救われもしました」

 一日の大半を子どもにとられ、無我夢中で子育てする時間は、実際はそう長くない。長い人生で見たらほんの一瞬のとまり木かもしれないが、ここで格闘し、悩み、夫婦で癒やし合い、おいしいおやつを作り続けた日々を忘れないでほしい。きっとこの先、働く母の心の支えになると思うからだ。

 3種の心づくしのおやつはどれも、優しい甘さで、丁寧な味がした。

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    PROFILE

    大平一枝(写真も)

    長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)ほか。最新刊は『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)。HP「暮らしの柄」。
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