人間と動物。愛と性。赤裸々に綴られた『聖なるズー』のトークイベントPR

開高健ノンフィクション賞を受賞した『聖なるズー』(集英社)は“動物性愛”をテーマにしたノンフィクションだ。
発売を記念したトークイベントが、11月30日に東京・下北沢の本屋B&Bで行われ、著者の濱野ちひろさんとゲストの村井理子さんが語り合った。

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翻訳家でありエッセイストでもある村井さんは、黒ラブラドールレトリバーの愛犬ハリーとの生活を綴(つづ)った著作も手がけたことがある。
取材前から親交があったお二人。『聖なるズー』の衝撃について、村井さんが話し始める。
「濱野さんが取材に行く前から話を聞いていましたし、取材中もSNSでその様子を見て、何をやっているんだろう、と思っていました。正直に言うと、読んでも受け入れられないだろうな、と。1回読んだだけでは何のことかわからなかった。全く新しい世界が広がっていました。2回読んで、今日ここに来ました」

人間と動物。愛と性。赤裸々に綴られた『聖なるズー』のトークイベント

(左)村井理子さん、(右)濱野ちひろさん

『聖なるズー』の「ズー」は「動物園」ではない。ズーファイル(zoophile)の略語で、動物性愛者を意味する。平たくいえば、動物とセックスする人たち、のことだが、それは彼らのほんの一側面でしかない。

濱野さんは、ライター業を経て、30代の終わりに京都大学大学院に入学。文化人類学におけるセクシュアリティー研究に取り組んできた。
文化人類学の調査では参与観察という、対象の暮らしの中に入り込んで観察する手法を採る。今のところ世界でドイツにだけ動物性愛者の団体がある。濱野さんは計4カ月にわたりドイツに滞在し、ズーたちと日常生活をともにしたという。犬を妻にする男・ミヒャエルを始め、何人ものズーたちと接触し、語り合い、観察し、同じ時間を過ごす。その調査をもとに書き下ろしたのが本書だ。

動物性愛という言葉から獣姦だけを想像すれば、おそらく多くの読者も「受け入れられない」と村井さんと同じ反応を示すだろう。だが獣姦に当たる言葉はベスティアリティー(beastiality)で、これはズーフィリアつまり動物性愛とは異なる。

ではいったい動物性愛とは何なのか。著書の中では、「動物性愛とは、人間が動物に対して感情的な愛着を持ち、時に性的な欲望を抱える性愛のあり方を指す」と言及されている。定義がわかっても体感として理解できる人はほぼいないだろう。『聖なるズー』で濱野さんは、ズーたちの、そして自身の「愛とセクシュアリティー」を紐解いていく過程を丁寧に描き出し、読者に追体験させてくれる。

人間と動物。愛と性。赤裸々に綴られた『聖なるズー』のトークイベント

 

2回読んだけどまだ聞きたいことがあるの、と村井さんが疑問を投げかける。「本の中にパーソナリティーっていう言葉が出てきますよね。犬にパーソナリティーがある、っていうでしょ。それがよくわからないんです」
「パーソナリティーはこの本の中でも大きいテーマの一つです。ズーの人たちは、例えば同じ犬種の犬がずらっと並んでいたとして、どの犬でもいいわけではないんですね。パートナーであるその犬だけが特別だという。パートナーとそうでない存在を分けるのがその動物の『パーソナリティー』なんです」
濱野さんが説明を続ける。
「パーソナリティーを“人格”と訳してしまうと、固定的なイメージですが、彼らのいうパーソナリティーは、お互いのやり取りの中で出てくるもの。私と理子さんが長年やり取りしてきて、私にとっての理子さんはこんな人、という姿がある。こう言ったらきっとこう返してくるに違いない、って。そういうやり取りの中で見えてくるものがパーソナリティーなんです」
それを受けて村井さんが、ラブラドールのハリーとの生活について紹介する。

夫への態度と自分への態度、子どもたちに対する態度がそれぞれ違うといい、「ハリーは要求に応じて態度を使い分けている」と話す村井さんに、「そう、それ!それが、パーソナリティーですよ!」と濱野さんはうれしそうに笑う。

人間と動物。愛と性。赤裸々に綴られた『聖なるズー』のトークイベント

 

さらに二人のトークは、日本のペット文化に関する話にも及んだ。
中でも「犬の子ども視」については、著書の中で濱野さんがページを割いている。それは動物性愛がペドフィリア(小児性愛)と比較されることが多いからだ。
ペットの家庭内での地位は「子ども」であることが多い。特に小型犬であれば、子どものように服を着せ、抱っこして散歩する光景も見られる。

「あくまで私の解釈ですが、飼い犬の去勢が一般的な理由の一つに、犬の子ども視があると考察しています。子どもとしての地位にあるペットに、突然性欲をむき出しにされると、たじろぎますよね。子どもは大人が管理するべき相手、という考え方があるからこそ、犬を去勢して永遠に子どもであり続けさせてしまうのではないか」と濱野さん。

一方でズーたちの犬への視線は、子ども視とは対極にあるという。自分と同様に、対等に成熟した存在として見ている。もしもペドフィリアが「自分より劣位にある者に対する性的欲望」なのだとしたら、ズーフィリアとペドフィリアは全く別物だと濱野さんは説明する。

人間と動物。愛と性。赤裸々に綴られた『聖なるズー』のトークイベント

 

イベント後半には、参加者とのQ&Aが行われた。
「表紙の犬は誰かのパートナーなのか?」「動物との性愛に、恋に当たる期間や、失恋はあるのか?」といった質問、さらには「ズーは動物に人間の感情を投影しているだけで、パートナーの動物との間に愛があると考えるのは人間のエゴではないのか?」という踏み込んだ質問も。

動物にもプライバシーや肖像権があり、ズーのパートナー動物の写真は使われていないこと、動物への思いも人と同じでいつも成就するわけではないという見方などを紹介しながら、濱野さんは一つずつ丁寧に質問に答える。

そして最後の質問に対して、濱野さんは
「では、人間同士の愛の中でエゴじゃないものはあるんでしょうか?」と参加者たちに疑問を投げかけた。
「それがエゴだろうとなんだろうと、そこには関係性があり、紡ぎ出している時間があります。日々応答を繰り返すなかで出てくるお互いのパーソナリティーを見出し続ける行為こそが、愛に代わる一つの実践なんだと私は思っています」

それは種を超えてあるものだし、振り返って私たち人間同士にもある。観察し、出てくるものを尊重しあうことができれば、立場の違う人間であっても関係性を変えていくことができる。
そのことを濱野さんはズーたちから学んだ、という。

人間と動物。愛と性。赤裸々に綴られた『聖なるズー』のトークイベント

(文・高橋有紀 写真・齋藤暁経)

提供:集英社
※『聖なるズー』(濱野ちひろ・著/集英社)の詳細はこちら

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