本を考える。

“空っぽの正体”を追い求めて。 装幀者の手仕事と矜持に人生を学ぶ 広瀬奈々子さん(映画『つつんで、ひらいて』監督)

本の中身を引っ張り出し
言葉を外の世界に届ける職人

 本から始まる小さな問いのはずが、いつも人生や哲学に関わる深くて鋭い答えになって返ってきた。
 広瀬奈々子監督は、装幀(そうてい)者・菊地信義さんを追いかけた3年間を振り返る。
「菊地さんに、受注仕事の創造性ってなんだと思いますかとお聞きしたら、受注仕事であってもなくても、人間は“関係性”でできている、とおっしゃったんです。私は映像の世界にいて、つねにオリジナリティーとは何かを考え悶々(もんもん)としていたので、ハッとさせられました」
 自分を無理に変える必要はない。真摯(しんし)な関係性を紡ぐ中で見えてくる本質もある。映画『つつんで、ひらいて』を撮影しながら、日本を代表する装幀者の言葉から、広瀬監督は数え切れない宝物を胸に刻んだ。

“空っぽの正体”を追い求めて。 装幀者の手仕事と矜持に人生を学ぶ 広瀬奈々子さん(映画『つつんで、ひらいて』監督)

 装幀とは、表紙から紙質、書体の一つ一つまで本の体裁をデザイン、書籍に仕立てることをいう。菊地信義さんは、1977年から1万5千冊を手掛けてきた日本の装幀者のトップランナーだ。
 その名を知らなくても、きっと彼のデザインに誰もが一度は触れている。講談社文庫、講談社文芸文庫、平凡社新書、思潮社の現代詩文庫のデザインフォーマットや、中上健次から古井由吉、平野啓一郎まで幅広く膨大な作品を担ってきたからだ。

「菊地さんは、ご自分の仕事について、本の中身を外に引っ張り出したい。僕自身は空っぽでありたいといいます。ああ、ものを創るって、本来そういうことだよなあと。なにかを創ると、自分の力で生み出したような気持ちになりがちですが、菊地さんは、本の世界から言葉をもらい、拾い集め、真理を探っていく。だから自分自身は空っぽというわけです。私はその“空っぽ”の正体を知りたくて、この映画を作ったのかもしれません」(広瀬監督)

“空っぽの正体”を追い求めて。 装幀者の手仕事と矜持に人生を学ぶ 広瀬奈々子さん(映画『つつんで、ひらいて』監督)

[c]2019「つつんで、ひらいて」製作委員会

 本を語るときの眼差(まなざ)し。紙に触れるときの手つき。思い通りに印刷された紙を手にしたときの破顔。「撮らずにはいられなかった」と語る。
「私は子どもの頃、それほど読書家だったわけではありません。ただ、父も装幀家で、菊地さんの名前はなんとなく知って聞いていました。意識して本を眺めると、あれもこれも菊地さんの仕事。けして主張していないのに、“菊地信義”の装幀だとデザインだけでわかる。1冊の本から個性を引き出そうとしているのが素人の私にもよくわかりました」

 いざ、映画撮影が始まると、広瀬監督は、彼の圧倒的な熱量、本との対峙(たいじ)の深さに気圧(けお)されそうになるほどだった。静謐(せいひつ)な仕事場で、紙を折り、切り、貼り、ときにしわくちゃに丸めたり、伸ばしたりしながら、パソコンを使わず手作業で思案する。考えて、考えて、考え抜いて知恵とアイデアを積み上げ、一枚の表紙や、帯や、文字組に集約する。印刷所に出向いて更に細かい指示を出す。製本の具合をためつすがめつ確認する。
 スクリーンに映るその横顔からは、自分の触感を信じ、紙と対話してきた職人の誇りに裏打ちされた、力強い熱が発光していた。

“空っぽの正体”を追い求めて。 装幀者の手仕事と矜持に人生を学ぶ 広瀬奈々子さん(映画『つつんで、ひらいて』監督)

19歳で出会った本の言葉の意味を
今も問い続ける──真のひとりの読者

 装幀家は、誰よりも紙の性質を理解し、本に託された著者の言葉を深く理解し、それを人に届けられるようなデザインをしなければならない。5千、1万の人に届くようなデザインとは、途方もなく難しい作業に思われるが、菊地さんは映画のためのトークイベントで、シンプルにこう語っている。
──本は、真の読者の5人に届けばいい。いや、そのなかのひとりでもいい。テキストを真に読み解く、たったひとりにきちんと届くよう装幀を考えます。

「菊地さんは、多摩美術大学の学生のとき、モーリス・ブランショの『文学空間』と出会い、装幀に惹(ひ)かれたそうです。ただデザインへの興味というだけでなく、この本を読んでみたい、ブランショの言葉をなんとか1行でも理解したいと、今もそこに書かれた言葉の意味を問い続けていらっしゃいます。そういう本との出会いが原体験となり、菊地さんをつくっているのは間違いありません。ご自身も、真の読者とそのような出会いをしてほしいと願いながら、装幀をされているのではないでしょうか」(広瀬監督)

“空っぽの正体”を追い求めて。 装幀者の手仕事と矜持に人生を学ぶ 広瀬奈々子さん(映画『つつんで、ひらいて』監督)

 本ができあがるまでには、著者、編集者、装幀者のほかに印刷や製本業者らも関わる。映画では、仕上がりを確かめる菊地さんを固唾(かたず)を飲んで見守る編集者や印刷、製本業者の姿が描かれている。広瀬監督のカメラレンズを通して、気づくと1冊の本ができあがるまでの緊張感あふれる工程の、私たちもまた一目撃者になっているのだ。

 本作を見たある印刷業者が広瀬監督にこう言った。
「自分は人に誇れる仕事をしているのだと気付かされました」
 広瀬監督はそれが何よりうれしかったという。
「私なんかが、菊地さんのことも装幀という仕事もすべてわかったようには描けません。けれど、紙の本ってこんなにすばらしいものなんだよということが伝わったらとてもうれしい。本の入り口になるような、映画の帰りに本屋さんに寄りたくなるような、そんな作品になったらと思います」

“空っぽの正体”を追い求めて。 装幀者の手仕事と矜持に人生を学ぶ 広瀬奈々子さん(映画『つつんで、ひらいて』監督)

[c]2019「つつんで、ひらいて」製作委員会

 読書は、一対一で本と向き合う。
菊地さんは、たった1人の真の読者に向かって装幀をしている。
 広瀬監督は、映画で彼を撮る場面だけ、ほかのスタッフを入れずカメラを担ぎながら様々な問いかけをした。その理由を、「菊地さんとは一対一で、本気で対峙したかったんです」。

 本も映画も、おそらくどんな仕事も。どれだけITが進化しても、“関係性”から紡がれ、創造される。一対一で真剣に言葉と対話し、関係性を築くなかで初めて学びや気づきがあり、本質が見えてくる。なるほど、菊地さんの本づくりを掘り下げていくと、結局どんな仕事にも通じる人生論にたどり着く──。

文:大平一枝 写真(広瀬奈々子監督):林紗記

“空っぽの正体”を追い求めて。 装幀者の手仕事と矜持に人生を学ぶ 広瀬奈々子さん(映画『つつんで、ひらいて』監督)

[c]2019「つつんで、ひらいて」製作委員会

広瀬奈々子(ひろせななこ)
1987年、神奈川県出身。武蔵野美術大学卒業後、2011年より分福に所属。是枝裕和監督のもとで監督助手を務め、『そして父になる』『ゴーイング マイ・ホーム』『海街diary』『海よりもまだ深く』、西川美和監督の『永い言い訳』などに参加。
19年に、秘密を抱えた青年と木工所の男の親子のような関係を描いた『夜明け』でオリジナル脚本・監督デビュー。第23回釜山国際映画祭出品。第19回東京フィルメックスでスペシャル・メンションを受賞。

映画『つつんで、ひらいて』
紙の本をめぐる、冒険。知られざるブックデザインの世界

“空っぽの正体”を追い求めて。 装幀者の手仕事と矜持に人生を学ぶ 広瀬奈々子さん(映画『つつんで、ひらいて』監督)

[c]2019「つつんで、ひらいて」製作委員会

菊地信義。その名前を知らなくても、彼が装幀した本なら、あなたも人生のどこかできっと手に取っているはず。大ベストセラーとなった山口百恵「蒼い時」、俵万智「サラダ記念日」をはじめ吉本隆明、大江健三郎、古井由吉、平野啓一郎ら1万5千冊以上もの本を手掛けた稀代の装幀者。

これは、美しく刺激的な本づくりで多くの読者を魅了し、作家たちに愛されてきた菊地の仕事を通して“本をつくること”を見つめた、おそらく世界初のブックデザイン・ドキュメンタリー。手作業で一冊ずつデザインする指先から、本の印刷、製本に至る工程までを丁寧につづり、ものづくりの原点を探る。

監督・編集・撮影:広瀬奈々子
出演:菊地信義 水戸部功 古井由吉 ほか
音楽:biobiopatata
エンディング曲:鈴木常吉
プロデューサー:北原栄治
アソシエイトプロデューサー:青山エイミー
本編集:石原史香
スタジオミキサー:田中俊
広告美術:菊地信義、水戸部功
製作:バンダイナムコアーツ、AOI Pro.、マジックアワー、エネット、分福
企画・制作:分福
配給・宣伝:マジックアワー
東京・渋谷シアター・イメージフォーラムにて公開中。全国順次公開

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