東京の台所

<203>妻を助けたのか、苦しめたのか。今も問い続ける86歳

〈住人プロフィール〉
無職・86歳(男性)
戸建て・4DK・JR中央線 西国分寺駅(国分寺市)
入居55年・築年数55年・ひとり暮らし

グルメ番組や食レポは苦手

 築55年の一軒家にひとり暮らし。6年前に妻を亡くしてから、長男の同居の申し出も断り、3食自炊をしている。86歳の彼は、最初に断りを入れた。
「あなたから渡されたアンケートの質問、得意料理は“なし”と書いたよ。なんでも全部おいしいと思っているので。食事に優劣をつけるのが自分の価値観に合わないの」

 こう書くと、理屈っぽい高齢者のようにも見えるが、実際は「おいおいそこまで撮っちゃうのかい」「なんだか恥ずかしいなあ、ま、しょうがないやな」と、台所で撮影する私に、ざっくばらんに話しかけてくる朗らかで気さくな人だ。

 食事については、ふだんから強く感じていることがあるという。
「グルメ番組も見るのは好きじゃない。特別な料理と、そうでないものに分けられる感覚に違和感を覚えるのです。番組で扱われないようななんでもない食事でも、僕は感謝して食べる。食事は快楽や娯楽ではなく、生きるためにいただくものだと思うから」

 貧しい時代を知っている世代だからではない、と彼は言い切る。大分で育った兄や弟はグルメで、うまいまずいと偏食が多く、最近入院した病院でも「こんなものは食えない」と看護師とぶつかることもあったそう。
「生き方や価値観、哲学はみんな違うから、人はそれでいい。僕はそう思うだけ。いまも、食べる前と後に手を合わせ、ありがとうございますと声に出す。それをやらないと食事が終わった気がしないんだよね」

 食べ残しを捨てることは「絶対にない」(住人)。やむなく野菜や果物の皮を捨てたゴミ箱に、「ありがとう」と毎回頭を下げる。

避難時、必ず持っていくもの

 進学のため大分から上京。理系の大学を出て高校教員になった。私立高校を経て、都立の定時制に赴任。夜学の生徒を教える仕事にやりがいを感じ、定年まで定時制で勤め上げる。独身時代、共同トイレ、共同炊事場のアパートで自炊をしていたので、料理は今でも苦がない。

 職場の知り合いの紹介で付き合い始めた、家庭科の非常勤講師の妻とは、30歳で結婚。猫の額ほどの小さなキッチンがついた池袋のアパートひと間で暮らしたが、翌年、第一子妊娠がわかると、大家に「出ていってほしい」と言われた。

「高度経済成長期と言っても、教員の給料は信じられないくらい安かった。おまけに大家のほうが権利が強くてね。しかたなく家を探して、学生時代からなじみのある中央線をたどり、ここに平屋の中古を見つけて買ったんだよ。床はボコボコで古かったけど、ピンときた」

 茶の間のテレビに、モノクロの画像が映る。写真が趣味の彼は、大量のフィルムを自分でスキャンし、USBに落としてあるので、盆暮れなど娘たちが集まったときにいつでも鑑賞ができる。
 広い丘陵の原野に、2軒ぽつんとかわいらしい家が建っている。国分寺のルーツがわかるような、まさに武蔵野の風景そのものだった。

 テレビ画面には、長女、長男、次女、妻が庭で遊ぶ写真、正月や盆の楽しそうな笑顔が並ぶ。まめに撮ってらしたんですね、と言うと、彼は古いドラマのタイトルを口にした。

「『岸辺のアルバム』っていうドラマあったでしょう。多摩川の大洪水を描いているんだけど、そのなかで、実際に家を流された人がテレビのインタビューを受けている映像が流れるんです。“流されたものの中で何が一番悔しいですか”って。ほとんどの人が、アルバムって答えていて俺、びっくりしたの。金でも金庫でもない、家族のアルバムかあって」

 以来、家族の写真をさらにまめに、節々で撮るようになった。現在は前述のように全てデータ化している。
「だから、次になにかあったら俺はこのUSBひとつだけ持って逃げるんだ。便利な時代になったよね。こういう便利なITは、どんどん取り入れていきたいなって思う」

 取材には、遠方から娘2人と、長男の妻が「お父さん大丈夫かしら」と駆けつけていた。長女は、「父は定時制勤務だったのでふだんの夕食は一緒に取れませんでしたが、日曜の朝は必ず鉄板を取り出して、チャーハンや目玉焼き、ハム、スモークチーズなどを焼いてくれました。それが楽しくて、私にとって家族の原点はあの日曜の朝食なんです」と語る。

 じつは取材応募はこの長女から届いた。応募文にはこんな一節があった。
『父は家族をとても大事にしてくれ、家も母や家族の要望で、住みやすいようにこまごまつねに日曜大工で修繕していました』

 頭が柔らかくて家族思い。昭和一桁生まれ。私はこの世代の男性を乱暴にひとくくりにして、考えていやしなかったかと省みた。彼のこんな言葉も印象に残った。

「妻に先立たれて一人で暮らすのを大変ですねって言われるのがいちばん嫌。学生時代から料理も身の回りのこともしてきたし、それを言うなら、家族全員分の料理を一生してきた女性のほうがもっと大変でしょう。自分で食べる分くらい自分でやらなくてどうするって思いますね」
 
 食べたらすぐ片付け、台所とトイレと風呂だけはとくに気をつけて清潔にしている。「水回りが汚いと、遊びに来る子どもたちの家族にも申し訳ないからね」。

 それに、と彼は静かに続けた。
「料理も家事も、自宅で女房の介護をしていた頃のほうがもっとしんどかったから……。今は大変でもなんでもないです」

蟻地獄

 妻は脳こうそくを何度か繰り返していた。最初に倒れたのは60歳で左手に麻痺(まひ)が残った。話せるし、歩ける。
「入院するほどでもないが、家事はあまりできない」という状況が15年続き、料理や買い物や掃除などの家事の多くは、彼が担った。
 
 ある日、妻が言った。
「私の足腰が悪くなったら、お父さんやみんなに迷惑かけて生きるの嫌だから殺して?」
「なに言ってんだい。そんなことしたら俺が捕まっちゃうよ」

 冗談で流したが、その会話が脳の隅にいつまでもはりついていた。
 妻が78歳の7月、また倒れた。硬膜下血腫で、大きな障害が残ると医師に言われた。それまではわずかにシェアできていた家事の一切をできなくなった。
 これからの生活を思うと、なんとも言えない閉塞(へいそく)感、圧迫感に襲われた。
 終わりの見えない蟻(あり)地獄の底のような日々が始まる。
 気づいたら、尿が出なくなっていた。

「ストレスでおしっこが出なくなる尿閉という病気です。でも、自分の生活もあるので、尿道に挿入したカテーテルの袋をぶら下げて、スーパーに買い物に行ったりしました」
 1カ月で妻は退院したものの、3カ月後の22時。就寝前に妻の爪を切っていると、突然ストンと彼女の体が横倒しになり、そのまま意識を失った。

 ただ事ではないとすぐわかった。意識は戻らないかもしれない。おそらく、昔ならこの状態では助からないだろう。だが今の医学なら命は助かる。「殺して」という妻の言葉が脳裏に浮かんだ。
 いや、見殺しなどできるものか。一瞬の逡巡(しゅんじゅん)のあと、救急車を呼んだ。

 以来約1年、意識が戻らぬ妻を見舞うため病院に通いながら自分を責め続けた。
「俺は女房を助けたのだろうか。苦しめただけではないのか。女房はこうしたかっただろうか。ベッドの上でどう思っているのか。もう意思疎通ができないからわからない。その答えは今もわかりません」

 医学によって呼吸だけ続けている妻を見ると、あの晩、救急車を呼んだことが正しかったのかわからなくなる。
「だんだん新聞もテレビも見なくなって。人が楽しそうにしていても、なぜ楽しいかわからないんです。這(は)い上がろうとしても、ズズーっと谷底に落ちるような。まるで蟻地獄にいるよう。今思えば鬱(うつ)ですね」

 危篤の連絡が来たとき最初に思ったことは、「ああ、これで女房は楽になれる」だった。
 
 助けたのか、苦しめたのか。命を1秒でも長くすることが使命の現代医学の意味、自分がしたことの是非を、さまざまな宗教の本を読みながら、今も探し続けている。だから毎日、親鸞と数学の勉強に忙しいんだよ、と最後に笑った。軽々しく「助けたんですよ」と、19年間戦ってきた人に誰が言えよう。

「毎日何してるんですか、ってよく聞かれるけどさ、自分の数学理論もまとめたいし、カメラも親鸞もある。女房が死んでから、何もすることがないっていう日がまだ1日もないんだよね」

 正月は必ず家族全員、実家に集まる。取材後、長女がこっそり教えてくれた。
「だけど父は、帰りに必ず、食べ残しはひとつも置いてくなってめんどくさいんです。料理もタッパーに入れて分けるし、持っていったお土産まで分けて持たされるの」
 USBの写真もまた、みんなで見るんだろうか。

>>台所のフォトギャラリーへ  ※写真をクリックすると、くわしくご覧いただけます。

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    PROFILE

    大平一枝(写真も)

    長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)ほか。最新刊は『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)。HP「暮らしの柄」。
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