鎌倉から、ものがたり。

浄明寺エリアに生まれた、パラダイスアレイの新工房「今此処(イマココ)商店」

鎌倉の山側。かくれ里の趣がある浄明寺の住宅街に、昨年末、レンバイ(鎌倉市農協連即売所)で人気のパン屋さん「パラダイスアレイ ブレッドカンパニー」の、新しい工房兼ショップがオープンした。名前は「今此処(イマココ)商店―NOWHERE BREAD―」。

 店主の勝見淳平さん(45)は、その由来を次のように語る。
「どこでもない場所――『NOWHERE』という言葉が気に入って、機会があると使っていたんです。鎌倉の小学校でパン教室を開いたとき、それを『NOW』と『HERE』にわけて読む子がいて、そうすると意味が、どこでもない場所から『いま』『ここ』になる。ひとつの言葉が、真逆の意味になって本質をあらわすことにハッとして、店に使いたいと思ったんです」

 建物は築70年以上といわれる木造の民家。昔ながらの酒屋兼よろず屋さんとして、長年、近隣の暮らしをまかなっていた味わいのある建物だ。壁際に残されたブリキの看板には、鎌倉の電話番号がまだ4桁だったころの名残があり、年季を感じさせる。

 この建物を見つけて、勝見さんに紹介したのが、鎌倉に在住する著述家のイェンス・イェンセンさん(42)だった。その経緯は前回に記した通りだが、そこにはイェンセンさんによる、古い町並みへの愛情と哀惜が込められている。
「日本の古い建物、とりわけ木造の民家が好きで、東京から鎌倉に引っ越したときも、暮らす場所は古い木造家屋と決めていました。古民家といっても、僕が愛着を感じるのは、美術館的な立派な家ではなく、ちょっとボロくて、すきま風が入ってくるような普通の民家。でも、そういう家は不便で古いからという理由で、簡単に壊されてしまう」

 少し前まで自分たちが普通に暮らしていた家を、当の日本人がどんどん消していく。その風潮がイェンセンさんには残念でならない。
「立派だから残す、価値があるから残す、というのではなく、大切にしてきたものだから残そうよ。僕はそういう風に考えたいんですね」

 イェンセンさんが生まれ育ったデンマークでは、長く、暗い冬を過ごすために、インテリアや家具、食器などのデザインが発達したといわれている。

「インテリアだけでなく、冬をどうやって創造的に過ごすか、ということにも、デンマークの人たちは気を配ってきました。そこから手仕事に時間をかける習慣も根付いたのでしょう。父は学校で木工の先生を務めていて、自転車のパンク、雨どいの詰まりなど、家族で何でも直して暮らしていました。僕の故郷は都会から離れた田舎。森や川など自然に囲まれていたので、そういった生活が余計になじみあるものになったと思います」

 手仕事の習慣は、日本の日常にもずっと伝わるものだが、今の時代は「便利」「効率」の前で分が悪い。町並みもしかりで、古い民家がぴかぴかの建物に取って代わられる動きは、古都、鎌倉にも及んでいる。それでもここでは住民たちが、それぞれに哲学を持って、自分たちの暮らすまちを守ろうとがんばっている。その気概は、浄明寺の住宅街にも息づき、イェンセンさんのような外国から来た人ともつながって、次の歩みをはじめているのだ。

 淳平さんの焼くパンは、もともとファンが多かったが、いまでは浄明寺界隈(かいわい)のおばあちゃんたちにもファン層を広げた。店の土間には、そんな来店者がひと息つけるように、テーブルと椅子が置いてある。そこで淳平さんと世間話をしていると、店の前を子どもたちが弾んだ足取りで行き交う姿が、ガラス戸越しに見えた。隣の学童施設「マナビノキ アフタースクール」に参加する子どもたちだ。

 その楽しそうな様子に、「どこに行ってきたの?」と声をかけると、「裏山に行ってきたんだよ」と、元気な返事。やぶを踏みしめ、草木に目印のひもを結んで、山越えの「けもの道」を、みんなでつくっている最中だという。裏山を越えた先は、地形の妙で、イェンセンさん、淳平さんの家族が暮らす大町につながっている。ああ、何だか楽しいなあ。

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    PROFILE

    • 清野由美

      ジャーナリスト。1960年、東京都生まれ。東京女子大学卒。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科修士課程修了。英ケンブリッジ大学客員研究員。英国留学、出版社勤務を経て、92年にフリー。先端を行く各界の人物インタビューとともに、時代の価値観や感覚、ライフスタイルの変化をとらえる記事を「AERA」「朝日新聞」「日経ビジネスオンライン」などに執筆。著書に『新・都市論 TOKYO』『新・ムラ論 TOKYO』(隈研吾と共著・集英社新書)、『ほんものの日本人』(日経BP社)、『観光亡国論』(アレックス・カーと共著・中公新書ラクレ)、&w連載「葉山から、はじまる。」を1冊の本にまとめた『住む場所を選べば、生き方が変わる――葉山からはじまるシフトチェンジ』(講談社)など。

    • 猪俣博史(写真)

      1968年神奈川県横須賀市生まれ。慶応義塾大学商学部卒業。卒業後、カナダを拠点に世界各地を放浪。帰国後、レコード会社、広告制作会社勤務などを経て1999年にフリーに。鎌倉、葉山を拠点に、ライフスタイル系のほか、釣り系媒体なども手がけ、場の空気感をとらえた取材撮影を得意とする。本連載のほか、&travelで「太公望のわくわく 釣ってきました」の執筆と撮影を担当。神奈川県三浦半島の海辺に暮らす。

    浄明寺エリア、イェンス・イェンセンさんの縁でつながる地域の新拠点(2)

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