上間常正 @モード

ゴッホとナビ派 「子ども」を画題に時代をどう描いたのか?

教えた覚えのないことを、子どもがさっとやってのけるのを見て驚いたことが何度もあった。子どもと接する時間が多かった母親や、女性の知人たちに聞いても、やはりよくあったという。子どもたちは大人のやることや、周りの世界のことを日々じっと鋭く見つめているのだろう。そんなことに驚くのは、われわれ大人が自分の子ども時代のことをちゃんとは憶えていないからだと思う。

子どもたちはどんな様子で観察していて、何を感じていたのか? 東京・丸の内の三菱一号館美術館で開かれている「画家が見たこども展」(6月7日まで)は、その意味でも興味深い。もちろん、画家が子どもを描くことを通して世界や時代をどう見つめ感じていたのかが、絵によってよく理解できる。だが、その分かり方がかなり明け透けに思えてしまって面白かった。

展覧会のサブタイトルには、ゴッホ、ボナール、ヴュイヤール、ドニ、ヴァロットンの5人の画家の名が挙げられている。ゴッホを別とすれば、他の4人は美術史では「ナビ派」と呼ばれていた画家たち。19世紀末から20世紀はじめに活躍した画家たちで、主に明るい色彩と大胆な画面構成によって20世紀の現代美術への一つの大きな架け橋となった。ゴッホは、ゴーギャンと共にこのグループに大きな影響を与えた画家だった。

ピエール・ボナール(1867~1947年)はその代表格で、今回の展覧会はフランスのボナール美術館との共催で開かれた。西洋では伝統的に、子どもは“不完全な大人”とみなされていたが、ルソーの教育論や18世紀から19世紀のロマン主義やリアリズムの時代を経て、大人とは異なる純粋で崇高な存在、または個性をもつ人格としてとらえられるようになったのだという。

ゴッホとナビ派 「子ども」を画題に時代をどう描いたのか?

ピエール・ボナール《並木道(『パリ生活の小景』より)》1899年、リトグラフ・紙、三菱一号館美術館蔵

ナビ派の画家たち、特にボナールは、絵や写真などで多くの子どもたちの姿を描いている。だが子どもたちを中心的な画題というよりも、都市生活の風景の一つとしてとらえているようにも思える。

それはボナールに限ったことではない。展覧会の絵の中の子どもたちは、全体としてどちらかといえば明るいより暗めで、どこか画一的で不気味なうつろさを感じさせる。そしてそれは顔や表情だけではなく、子どもたちが着ている服やアクセサリーからも伝わってきて、ファッションは今回の展覧会の隠し味にもなっている。

子どもファッションといえば、最近はファストファッションまでも含めて多種多様なのだが、こんなことはつい最近の20世紀の終わりごろからのことに過ぎない。ファッションの歴史では、18世紀までは「子ども服」という考え方も全くなかった。19世紀になってからは大人とは違う服の工夫もされるようになったが、それが子どもにとって本当に実用的で着心地がいいかどうかが問題になったわけではなく、大人が抱く子ども像の押しつけでしかなかった。

ゴッホとナビ派 「子ども」を画題に時代をどう描いたのか?

モーリス・ブーテ・ド・モンヴェル《ブレのベルナールとロジェ》1883年、油彩・カンヴァス、オルセー美術館蔵
Photo © Musée d’Orsay, Dist. RMNーGrand Palais / Patrice Schmidt / distributed by AMF

会場で最初に展示されている「ブレのベルナールとロジェ」(モーリス・ブーテ・ド・モンヴェル)は、草原を背景に二人の子どもが画面中央に描かれている。

二人はセーラー服に似た上着を着て、ひざ丈の短ズボンをはいている。ぎこちないポーズは子どもっぽいあどけなさとも受け取れるが、むしろ不自然に強制されたことへの反発を示しているように思える。セーラー服は大英帝国海軍の制服で、イギリスの上流階級にとって、最も権威のある海軍に息子を入隊させることが夢だった。フランスがそれを直輸入したのだが、この服は汚したり傷つけたりしてはいけなかった。そんな服が、子どもにとって心地よかったはずがない。

ウジェーヌ・カリエールの「画家の家族の肖像」では、薄いヴェールがかかったような暗い色調で描かれた少女たちがどこか物憂げで、存在感も薄い。画面では存在感のある両親の思いがこもった表情とは全く違う。

ゴッホとナビ派 「子ども」を画題に時代をどう描いたのか?

ウジェーヌ・カリエール《画家の家族の肖像》1893年、油彩・カンヴァス、オルセー美術館蔵
Photo© RMN-Grand Palais (musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF

アルフレド・ミュラーの版画「紙提灯」に登場する少女たちも、遊びの場面なのにうつむき加減。背を向けたポーズがあいまいで、無個性さを感じさせる。

ゴッホとナビ派 「子ども」を画題に時代をどう描いたのか?

アルフレド・ミュラー《紙提灯》1897年、エッチング、アクアチント・紙、個人蔵( エレーヌ・ケール氏蔵)
© Les Amis d’Alfredo Muller

それと比べると、ゴッホが描いた女の赤ちゃん「マルセル・ルーランの肖像」は、いわゆる子どもらしさとは異なり、大人にはない子どもの生命力のふてぶてしい力強さを感じさせて興味深い。

ゴッホとナビ派 「子ども」を画題に時代をどう描いたのか?

フィンセント・ファン・ゴッホ《マルセル・ルーランの肖像》1888年、油彩・カンヴァス、アムステルダム、ファン・ゴッホ美術館蔵
Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

そんな中では、パリの路上で起きた出来事を描いたフェリックス・ヴァロットンの版画集「息づく街パリ」は、絵の中に傍観者として登場する子どもの姿と二つの丸でしか描かれていない目に、ヴァロットンの冷めた視線が重ねられている。

ゴッホとナビ派 「子ども」を画題に時代をどう描いたのか?

フェリックス・ヴァロットン《『息づく街パリ』口絵》1894年、ジンコグラフィ・紙、三菱一号館美術館蔵

子どもの絵といえば、17世紀のスペインの大画家ベラスケスが描いた晩年の傑作「ラス・メニーナス(宮廷の侍女たち)」(1656年)が思い浮かぶ。この絵の中央にいる王女マルガリータは、フェリペ4世夫妻を描いている場面に侍女たちと一緒にたまたま入ってきたに過ぎず、誰からも注目されていないうつろな表情を浮かべている。この姿には、お抱え画家でしかないベラスケス自身の思いが、鋭く重ねて投影されていた。

ボナールは「日本かぶれのナビ」と呼ばれたように、日本の浮世絵の影響を強く受けていたといわれる。浮世絵に登場する日本人の子どものおおらかで楽しげな姿に大きな衝撃を受けたそうだが、それがなぜなのか、自分自身分からなかったのだと思う。そのため、あえて解釈をせずに、それでも子どもの姿を描かずにはいられなかったのだろう。

ヴァロットンはもっと踏み込んで、大人の世界のおかしさや矛盾を、子どもとしての立場から冷ややかに見つめる姿に重ねて表現しようとした、と言えるのではないだろうか。

いずれにしても、それらの結果として表現された子どもたちの絵には、画家の想像力と技法のレベルが容赦なく表れてしまうのだ。

    ◇

※三菱一号館美術館は、新型コロナウイルス感染症の感染予防・拡散防止のため、2月28日から3月16日まで休館します。

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    PROFILE

    上間常正

    ジャーナリスト、ファッション研究者。1972年、東京大学文学部社会学科卒、朝日新聞社入社。記者生活の後半は学芸部(現・文化くらし報道部)で主にファッションを担当。パリやミラノなどの海外コレクションや東京コレクションのほか、ファッション全般を取材。2007年に朝日新聞社退社、文化学園大学・大学院特任教授(2019年3月まで)としてファッション研究に携わる。現在はフリーの立場で活動を続けている。

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