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いつの間にか、小説の思惑通りに…… 未知の感覚を味わう一冊

いつの間にか、小説の思惑通りに…… 未知の感覚を味わう一冊

撮影/馬場磨貴 (撮影協力/RELIFE STUDIO FUTAKO)

『不安 ペナルティキックを受けるゴールキーパーの……』

2019年のノーベル文学賞はオーストリア人作家のペーター・ハントケが受賞した。このニュースを聞いた時、どこかで聞いたことのある名前だと思ったが、すぐには思い出せなかった。

だが、そのあとでノーベル賞受賞を記念してハントケの著作がいくつか取り上げられた時に、どこでその名前を聞いたのかを思い出した。実はハントケの名前を知ったきっかけは、文学ではなく映画だった。

私が大学生の時、映画を専攻する学科に在籍していた。なので、当たり前と言えば当たり前なのだが映画をけっこう見ていた。その当時好きでよく見ていた監督は、フィンランドのアキ・カウリスマキ、ニューヨークのジム・ジャームッシュ、そしてニュー・ジャーマンシネマの旗手ヴィム・ヴェンダースだった。いわゆる、小津安二郎の影響を強く受けている監督として語られることの多い3人である。

彼らの映画はゴダールほど難解ではないし、かといっていわゆるブロックバスター映画のような大げささもない。つまり映画好きを自称する大学生がいかにも好みそうな雰囲気の映画を作っていた。

そして、ハントケはヴェンダースの映画の脚本をいくつか手掛けていた。有名なところだと「ベルリン・天使の詩」だろう。これはヴェンダースの監督作の中でも「パリ、テキサス」に比肩する傑作である。「ベルリン・天使の詩」も見ていたので、そういう経緯からペーター・ハントケの名前をぼんやりと覚えていたわけだ。

このシーンの意味は、何だろう?

前置きが長くなったが、今回紹介するペーター・ハントケの小説『不安 ペナルティキックを受けるゴールキーパーの……』も、実はヴェンダースによって映画化されている(映画名は「ゴールキーパーの不安」)。

タイトルだけ見るとサッカーの試合を書いた小説を想像するが、実際にはほとんどサッカーのシーンは出てこない。主人公であるブロッホは一応サッカーチームの元ゴールキーパーであるが、書かれているのは彼が街をぶらぶらと歩き、そこで知り合った人とたわいのない会話をしては去っていくという行為の連続だ。出会った人と交わされる会話の内容も、ほとんど物語として意味を持っていない。そもそも物語の筋らしきものがいつまで経っても見えてこない。

ただ、そのような延々と続く移動と会話の最中に、急に殺人が起こる。殺人が起きるなんていうとドラマチックな展開を想像するかもしれないが、やはりそんなものはなく、ブロッホが映画館で知り合った女性の首を理由もなく突然絞めて殺す。そして女性を絞殺したあとも、ブロッホは以前と変わらずに街を徘徊(はいかい)しては出会った人とほとんど意味のない会話を続けていく。

そんな調子だから、読んでいる間じゅう、このシーンは何を意味しているのだろうかと色々と考えた。しかし、考えても意味がなかなかつかめない。そうなると、だんだん意味を求めようとすることをやめるようになり、ただブロッホの放浪の描写を読んでいくだけになっていった。

しかし、小説の最後でブロッホは訪れたサッカー場で隣り合った人にこんなことを言う。

《フォワードやボールから目をそらせて、キーパーに注目するのはたいへんむつかしいものです。》
《普通は、ボールがすでにゴールめがけてキックされてからやっとキーパーに気づくんですがね。》
キーパーに目を注いでいると、なんだかわき見をせずにはおれない気になります。

つまり我々は、サッカーの試合でボールやフォワードにばかり注目してしまうように、小説を読んでいる時も無意識的に物語の筋ばかりを追っかけてしまっている。そして、それから逸脱したもの、つまりここでいうところのゴールキーパーばかりを目にせざるを得ない時に、違和感、もしくは題名にもなっている「不安」を感じてしまうのである。

自分はまさに小説の意図することにはまったわけだが、それはなんだかヴェンダースやジャームッシュやカウリスマキの撮る映画(特に初期の)を見た時に感じた記憶に似ている気がした。つまり、差し出された説明の少ない映像の中から、見た者自らが意味を見いだしていくという行為だ。

物語の筋を追うことで感動したり驚嘆したりするような小説に出会うことも読書をする上での幸運のひとつだが、今まで感じたことのないような感覚や自分の理解の範疇(はんちゅう)を超えた世界に触れることで、本を読むという行為の知らなかった側面を知ることができるのもまた読書の喜びのひとつであろう。

(文・松本泰尭)


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    大学卒業後、広告代理店などメディア業界で働いたのち、本の仕事に憧れて転職。得意分野は海外文学。また大のメジャーリーグ好き。好きな選手はバスター・ポージー。

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