MUSIC TALK

「ステージに立ち続けると心に決めて」 シーナ&ロケッツ 鮎川誠さん(後編)

ロックでパワフルでセクシーなシーナさんのボーカル、鮎川誠さんの圧巻のギタープレイ。1970年代から日本のロック界を色あせることなく駆け抜けてきたシーナ&ロケッツだが、2015年、衝撃のニュースが走った。シーナさん急逝。最高のボーカル、最愛の妻を失った鮎川誠さんは、しかし、ステージに立ち続けることを心に決める。(文=中津海麻子、トップ写真=山田秀隆)

前編から続く)

「シーナ&ロケッツ」を結成

――シーナさんと一緒にバンドをやろうと?

うん。どういう音楽をやろうかと、二人の夢が膨らんだね。とにかく、全部自分たちで決めて自分たちでやろう、と。大きな会社やプロダクションに所属し、大勢が寄ってたかって作る音楽じゃなくて、ストリートでインディーズな雰囲気がある音楽。そして当時、パンクロックがイギリスでもアメリカでも大きなムーブメントを起こしていた。考えてみれば僕は久留米時代からそういう音楽をやってきたから、同じやんと。あまり歌詞に重きを置かず、テンポの速いリズムでスピード感と勢いのあるロックが好きやった。だから、「ロック」とシーナの本名の「悦子」を合体して「ロケッツ」でいこう。まだメンバーも決まっとらんかったけど、バンド名が先に決まったんです。

「ステージに立ち続けると心に決めて」 シーナ&ロケッツ 鮎川誠さん(後編)

シーナ&ロケッツ(1979年)

東京で会った人とやってみようかとも思ったんやけど、僕らがやってるのは譜面を書くような音楽じゃない。「ストーンズのサティスファクションっぽいリズムで」みたいにあれだこれだ言うて、お互いに共有したところから、さぁどうする? と。そういうやり方だったから、東京の人らにうまく説明ができんのです。やっぱり福岡の仲間とやろうと、サンハウスのベースとドラムを誘って4人組の「シーナ&ロケッツ」を結成しました。

1978年、東京へ。以前僕らを手伝ってくれた仲間のつながりで、海外から進んだバンドを招聘(しょうへい)するトムス・キャビンの麻田浩さんと知り合い、その年のエルビス・コステロの日本ツアーの前座に抜擢(ばってき)されました。シーナの初ステージはコステロの大阪公演の初日やった。シーナは彼女なりのロックへの憧れの像をそのままポーンとステージに出す。その底力ちゅうか馬力ちゅうか、ビックリしたね。

東京公演のとき、客席に高橋幸宏さんを見つけました。サンハウス時代にサディスティック・ミカ・バンドと何回か一緒になったことがあって、顔見知りやった。「あ、幸宏さんがおる」と苦笑いしながら演奏しました(笑)。公演の後、「君たちの音楽はおもしろい。細野(晴臣)さんにも紹介したいから、みんなで会おうよ」と。本当にすぐに連絡があって、YMOという新しいグループを作ってお披露目のコンサートをするから来ないかと誘ってくれました。

最初に細野さんに会ったとき、「お、細い」と言われたのを覚えています(笑)。クリスマスに開催する業界向けのライブで2、3曲ギターを弾かないかと言われ、喜んで引き受けました。さらに細野さんが自分たちが所属しているアルファレコードで僕らと一緒に作りたいと言うてくれて、移籍することになったんです。

『ユー・メイ・ドリーム』のヒット

――そして、細野さんがプロデュースした伝説のヒット曲『ユー・メイ・ドリーム』が生まれました。

レコーディングでは幸宏さんや坂本龍一さんも集まってくれて、さらに新しい機材を使いながら、浮かんだアイデアを全部ぶち込んだ。音楽家たちがただただ純粋な音を出したいという思いで演奏し、ロックとまだ手探りのテクノが融合して、それまで誰も見たことも聞いたこともない新しい世界が生まれた。それが『ユー・メイ・ドリーム』であり、この曲を収録したアルバム『真空パック』やった。

ただ、僕らはライブは4人だけでやることにこだわっていたんです。コンピューターを使っていろんな音を盛り込んだレコードの再現はできないと細野さんに相談したら、「レコードではレコードでできることをすればいいんじゃない?」と言ってくれて、その通りやなと。ライブやテレビ番組では、レコードとは違う4人だけのシーナ&ロケッツの音楽をやりました。JALのCMソングに採用されたこともあって爆発的にヒットし、あの曲のおかげでいろんな人と出会うことができた。

「ステージに立ち続けると心に決めて」 シーナ&ロケッツ 鮎川誠さん(後編)

1979年11月、アルファレコード移籍後の初の業界向けコンベンション・ライブ

「ステージに立ち続けると心に決めて」 シーナ&ロケッツ 鮎川誠さん(後編)

『ユー・メイ・ドリーム』が有線大賞を受賞(1980年、アルファレコード本社で)

――一昨年、NHKの朝ドラ「半分、青い。」で登場人物たちが劇中で歌い、リアルタイムを知るファンは色あせない曲に涙し、若い世代は新しさを感じ、大きな反響を呼びました。

たくさんの人に曲を聴いてもらうのが僕らの願いやったけど、40年経っても喜んでもらえるなんて、うれしかった。アルバム『真空パック』のタイトルはシーナが考えたんやけど、まさにそういう思いを込めていたんです。僕らからしたらチャック・ベリーのような何十年前の音楽でも、ロックちゅうのはいつもピカピカで、時代がどうのとか大先生の意見とか関係ない。いつも生きとるし、いつも新鮮。実際、40年経った今でも『ユー・メイ・ドリーム』はカッコいいと思います。

――一気にメジャーバンドの仲間入りをしました。取り巻く環境は変わりましたか?

変わった部分もあったけれど、バンドのスタンスは変わらなかったね。最小限のメンバーで、どこでもポンポンとアンプを置いたらすぐ音が出せる。最小限のセットで一番デカい音を出し、終わったらサーっと片付けていなくなる――。それがオレらが目指したバンドやったし、それしか生き延びられんという思いもあった。サンハウスも最後の方はバンドだけで決められないことが増えてしまっていたから、自分らで決めることができて、方向転換したり止まったり、スピード出したり道草食ったり、いつでもそれができるように自由でありたい、と。気の合う仲間と楽しいから集まって、演奏して一日が終わる。それはずっと大切にこだわっとったね。

「ステージに立ち続けると心に決めて」 シーナ&ロケッツ 鮎川誠さん(後編)

フジロックフェスティバル、楽屋前で(2013年)

――それからもシナロケのロックの世界を紡ぎ続けてきましたが、2015年、シーナさんが他界されます。あまりに突然の悲報にファンも言葉を失いました。

うん。無念やったろうね。僕ら病気には無縁で、ロックに夢中で、だからまったく気づかんかったんです。

シーナはいつも僕のギターを見守ってくれた。サンハウスというバンドを好きになってくれて、その中でもオレを選んでくれた。「歌う」と言ってくれたのも、今思えばオレを一番近くで応援するためだったと思うんです。一緒に新しい曲を作り、レコードを作り、本当に楽しかった。NYでレコーディングしたいねと言えばその夢がかない、大好きなウィルコ・ジョンソンとレコードを作り、「この人の詞はロックや」と感動した阿久悠先生に詞を書いてもらい……。二人で話していたことが、二人やったからたくさん実現できた。

オレがギターを弾くのはファンのため、なんてかっこつけて言うたこともあるけど、全然違った。オレはシーナに向けて弾いていた。シーナに褒められることがうれしかったんです。オレよりも5つも年下なんだけど、母親みたいな存在やった。シーナが僕のギターソロに振るとき、「ヘイ!ワオ!」とか言うてくれるその一言一言のおかげで僕のギターがカッコよく聞こえたりする。シーナマジックやった。誰のためにギターを弾くのかわからない。シーナがおらんちゅうことはこういうことなんか——。最初に襲ってきたのはそんな気持ちでした。

でも、シーナと一緒に作った音楽がこのままでは世界からあっという間に消えてしまう。オレはピンピンしとるんやから、まだまだやれる。うまく言えんけど、それが次の目標になりました。シーナはいなくなったけど、残った3人でシーナ&ロケッツでやっていこう、と。

シーナの最後のレコーディングを世に

――2月に初のライフタイムカバーアルバム『LIVE FOR TODAY!』がリリースされました。

僕たちは、ビートルズやストーンズ、ウィルコ・ジョンソンにドクター・フィールグッドといったお手本のバンドから、彼らのやり方を盗み、取り入れてきた。細野さんとアルバム『真空パック』を作ったときには、ジェームス・ブラウンやキンクスのカバーを収録した。敬愛してきた音楽やミュージシャンの曲をカバーするのは、ロックバンドとしての正しい「態度」。僕らもそれを実践してきたんです。

2014年に18枚目のアルバム『ROKKET RIDE』を作ったとき、収録曲のほかに自分らの好きな曲で遊んでみようと、ラモーンズやスクリーミン・ジェイ・ホーキンス、サンハウスが昔作った曲など7曲を録音しました。そのころは僕らはもちろん、シーナも自分の病気に気づいていなくて、発売が決まった頃に体調を崩し発覚した。だから、録音したテイクはそこで立ち消えになっていました。僕は一人で聴いてはシーナの歌いっぷりはスゲエなぁと感心して、でもシーナがいなくなってしまった今は世に出すきっかけもない。自分からアクションを起こす気分にもなれんかったしね。

それが今年、デビュー42周年のお祝いにと、レコード会社がその7曲を出してくれるという話になったのです。ほかにも録音してあった音源があったので、それを「尾ヒレ」にして(笑)、なんとかアルバムの格好がついた。それが『LIVE FOR TODAY!』です。シーナが歌った最後の7曲を通し、ありのままのバンドの姿、僕らが愛してきた音楽の世界を届けられたらと思っています。

「ステージに立ち続けると心に決めて」 シーナ&ロケッツ 鮎川誠さん(後編)

2020年2月に発売した19枚目のアルバム『LIVE FOR TODAY!』

――これからの鮎川さん、そして、シーナ&ロケッツは?

ガキのころに出あって夢中になった音楽のそばにずっとおれてよかったし、好きなことを変わらずにできることがうれしい。シーナにはこれからもそういうオレを見せていきたい。

コステロの前座をやったとき、シーナが「まずは男連中がステージに出て、お客をホットにしてよ。いいところになったら私が出て行くからさ」と言いよった。確かに最初に僕のロックナンバーで盛り上げ、そこでシーナがバーンと登場すると、見栄えもいいし、オレらも楽しかった。ギアが一段上がる感じでね。でも、今はシーナが先にステージに行って温めてくれている気がするんです。最高にホットになったステージでオレらはライブができる。ステージでシーナに会える。それがうれしいから、これからもライブをやっていく。健康第一でね。

    ◇
鮎川誠(あゆかわ・まこと)
1948年、福岡県久留米市生まれ。九州大学農学部卒。「シーナ&ロケッツ」のリーダー、ボーカル・ギタリスト。 福岡を代表するバンド「サンハウス」のリードギタリスト・コンポーザーとして活動後、1978年にシーナ&ロケッツを結成。結成以後一切のブランクがなく、以降42年にわたり第一線で活動し、日本のロックのパイオニアとして疾走し続ける。
2018年にはデビュー40周年を記念して、ビクターとソニーから鮎川誠のプロデュースで最新ベスト盤が連続リリース、デビュー当時を描いたドラマがNHKで放送され大きな話題にも。2019年には日比谷野外音楽堂での35周年記念ライブの模様をノーカットで初DVD化。
2020年2月14日、19枚目のアルバム『LIVE FOR TODAY!』と42周年記念プレミアムBOXセット『LOVE BOX』をリリースし、4月7日(シーナの日)から全国12都市14公演のLIVE FOR TODAY!ツアーを開催する。
シーナ&ロケッツオフィシャルサイト: http://rokkets.com/

【ライブ情報】
「シーナ&ロケッツ LIVE FOR TODAY!ツアー2020」
4月7日(火)下北沢GARDEN シーナの日#6 シーナに捧げるロックンロールの夜
5月2日(土)下北沢 GARDEN 鮎川誠 生誕72歳記念バースディライブ
5月9日(土)広島 クラブクアトロ
5月10日(日)岡山 デスペラード
5月15日(金)神戸 チキンジョージ
5月16日(土)堺 FUZZ
5月17日(日)和歌山 OLDTIME
5月23日(土)高松 オリーブホール
5月24日(日)高知 X-pt.
6月12日(金)大阪 アメリカ村DROP
6月13日(土)大阪 アメリカ村DROP
6月19日(金)京都 磔磔
6月20日(土)名古屋 得三
6月28日(日)久留米 石橋文化センター共同ホール

ニューアルバム「LIVE FOR TODAY!」を引っ提げての全国ツアー、5月2日の鮎川誠生誕72歳を記念した下北沢でのバースデーライブを皮切りに、4年ぶりとなる広島・岡山・和歌山を含む14本のライブを予定している。
詳細はこちら:http://sheena.cc/ticket

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    PROFILE

    中津海麻子

    執筆テーマは「酒とワンコと男と女」。日本酒とワイン、それらにまつわる旅や食、ペット、人物インタビューなどを中心に取材する。JALカード会員誌「AGORA」、同機内誌「SKYWARD」、ワイン専門誌「ワイン王国」、朝日新聞のブックサイト「好書好日」、同ペットサイト「sippo」などに寄稿。「&w」では「MUSIC TALK」を連載中。

    「東京に行くのはカッコ悪いと思っていた」 シーナ&ロケッツ誕生まで(前編)

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