東京の台所

<205>育児は「聞いてないよ」と、葛藤の連続

〈住人プロフィール〉
グラフィックデザイナー・44歳(女性)
借家・3DK・世田谷線 山下駅
入居11年・築年数約40年・夫(編集ライター、45歳)、長男(9歳)、長女(6歳)との4人暮らし

重い小麦アレルギーと向き合う

 大家の住宅の門扉から入ったその奥に、彼女の家はある。築40年余の木造一軒家。大家と共有の庭は、小さな子どもが野球をできそうなくらい広い。

「草花を育てるのが好きで家の日当たりの良さはもちろんですが、この広い庭に魅了されました。大家さんも植物が好きで、今も自生しているアロエで一緒に自家製化粧水を作っているところです」
 台所のシンクに向かうと、正面に庭が見える。

 天井からつり下げられたかごには今はラップなどが入っているが少し前までは、小麦粉を使った菓子やパンが入っていた。ここだと小麦アレルギーの長男の目に入らない。9歳の現在は、よくわかっていて自制できるので、高いところにしまう必要はなくなった。

「息子のアレルギーは命に関わるほど症状が強いので、ほぼ外食はしません。食べられるお店を探すのが大変なので。学校は試行錯誤を経て、今は息子だけお弁当を持っていっています」
 穏やかな表情で淡々と語る。乳児の頃は、アトピーで顔の皮膚が荒れる息子を前に、なるべく薬に頼らず食事療法などで頑張っていた。
「でも全然良くならなくて、家で鬱々(うつうつ)としていました。食物アレルギーは解明されていない部分が多いですが、今は薬も使う考え方が主流。徐々にあんまり頑張りすぎないようになりました。子どもと食物の勉強会に行ったり、息子は子どもだけの勉強会に行ったりしています。お菓子の原材料の見方とか、教えてくれるんですよ」

 友達との遊びや旅行など、親の目が届かないことも年々増える。親子でアレルギーと向き合ってきて、たどりついたマイルールは、「食べたことのないものは食べない」というシンプルなものだ。
 
 夫と家事や育児を分担している。ともにアレルギー対応の料理にとりくむことで、食生活が格段にゆたかになり、台所に立つのが億劫(おっくう)でなくなったという。

「夫婦でフリーランスの在宅仕事ですが、前はギリギリまで仕事をして、“さ、ご飯を作ろうか”と重い腰を上げる感じでした。私はたばこも吸っていましたし、夫婦で不摂生だった。今は、羽釜で毎日ご飯を炊いて、日常のなかにあたりまえに料理がある。米粉のパン粉でコロッケやエビフライを揚げるとサックサクでおいしいんですよ。小麦粉のパン粉よりキメが細かいから。あれこれ試したり工夫したりするのは苦じゃないし、楽しいです。息子のおかげですね」

 32歳で結婚。35歳で長男を、38歳で長女を出産した。
 長女はダウン症である。生まれる前からその可能性があると言われていた。現実を受け止めるのに自分の気持ちが追いつかず苦しんでいたとき、いち早く夫は、ダウン症という先天性疾患を理解しようと、いろんな本を読んだり話を聞きに行ったりして勉強し、彼女の背中を押した。

「夫はすごく優しい人です。そりゃあ時にはムカつくこともあるけれど、子育てのパートナーなので、お互いに心身ともに健やかに、もう少し続く子育てを一緒に頑張ろう! オー!という感じです」
 
 こう語れるまでに、どれほどの葛藤があったろう。
「子育ては、“そんなの聞いてないよ”の連続でした。親も遠方で頼れませんし。でも、私たちは自分たちだけで頑張るのはやめようと。近くの友達にたくさん頼ってきました。そこに大きく救われ、なんとかやってこられました」

 長男が救急車で運ばれたり、長女の入退院も頻繁だ。その間、「ちょっと子どもを見てて」「預かって」と、気軽にお願いできる友達がたくさんいる。
 取材している最中も、玄関ではなく庭からパパ友と子どもたちがわらわらとやって来た。
 パパ友が「スーパー行くから」と言う。子どもは我が家のように大人の脇をすり抜けて靴を脱ぎ、部屋に上がる。
「うん、テレビ見させとくね」と住人の彼女。パパ友「午後どうするの」。彼女「外に連れて行ってほしいかも」。パパ友「オッケー、適当に連れてくわ」

 保育園時代からの保護者仲間だという。
 新型コロナウイルスで休校しているので、どの家も、子どもたちをもてあましているようだ。預かったり、預けたり。ご近所同士でゆるく、気負わないつきあいが続いている。結局この日、取材の間だけで、アポ無しで彼女の家に子ども3人、大人ひとりが遊びに来た。

 夫婦で「休日は友達や家族同士で遊ぶようにして、外からの風を意識している」と語る。公園のピクニックや、自宅での持ち寄り宴会も多い。自家製キムチを作るため、庭で白菜を干していた。これもそのうち来客に供されるんだろう。

 長男が生まれた頃は、アレルギーも育児もわからないことだらけだったというが、9年間夫婦で手探りでつかんだ正解がたくさん積み重なって、気負わぬ今がある。

「そういえば僕、カンドーした」

「これほどのアレルギー児童は受け入れたことがない」と小学校入学のときに教師に言われた。ひとりだけ弁当を持参している。

 1年前、親子でドラえもんの映画を見に行き、彼女だけぼろぼろ泣いた。長男に不思議そうな顔で「どこで泣いたの?」と聞かれた。
「感動したんだー」
「えー、カンドーってどういう感じ? 僕、わっかんないなー。いいなって思うことあるけどいつも泣くほどじゃないから」

 以来、テレビですぐ泣く母を見ては「なに、いまカンドーしたの? それ、カンドー?」と、興味津々で聞く。

 ある日の夕食後。洗い物をしていると、長男が言った。
「あ、そういえば僕、カンドーしたことあった」
「え、いついつ?」
「学校でお弁当のふた開けるとき、カンドーして泣きそうになるの。お母ちゃん、いつもありがとね」
 突然のありがとうに驚きながら、彼女は恐る恐る聞き返した。
「うん、ありがとう。……先生に、感謝の気持ちを伝えるように言われたの?」
「ちがうよ。お母ちゃん頑張ってるなーって思ったらいつも泣きそうになるの。今日もだよ。これ、カンドーだよね?」

 人は出産したからといって急に親になれるわけではないと私は思う。あっちにごつん、こっちにごつんと頭をぶつけながら、悩んだり怒ったり落ち込んだり笑ったりしながら、たとえば各駅停車でだんだん本物の母になっていくようなものではないかと。

 彼女は毎日アレルギーに配慮したご飯を作り、夫と、ふたりの子どもにたくさんの愛情を与えているけれど、息子からたくさんのものを与えられてもいる。いや、息子だけではない。娘や夫からも。そうやって一歩ずつ、素敵なお母さんになっている真っ最中なのだ。

 長女がインタビューをできる年齢になったら、いつか聞いてみたい。あなたがお母さんお父さんからもらったカンドーはなに?

>>台所のフォトギャラリーへ  ※写真をクリックすると、くわしくご覧いただけます。

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    PROFILE

    大平一枝

    長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)ほか。最新刊は『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)。HP「暮らしの柄」。
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    番外編<松本の台所 3>蔵元に嫁いで53年。妻、母、嫁、酒店おかみの「苦じゃない日々」

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