花のない花屋

編集者になるのが夢だった娘へ

〈依頼人プロフィール〉
長岡まりさん 65歳 女性
逗子市在住
会社役員

     ◇

私が23歳の時に生まれた初めての子ども、ひろえ。彼女は、はにかむ笑顔がかわいい女の子で、家族や親戚、たくさんの友達から愛されて育ちました。

学生時代から編集者になるのが夢でしたが、就職活動の時期はちょうど氷河期。出版社に入るのはかなりの難関だったため、大学卒業後はまず大手出版社にアルバイトで入り、その後正社員になって大好きな仕事を続けていました。

結婚や出産の可能性を考えながらも、ずっと仕事を続けたいと思っていた娘は、働きやすい環境を求めて何度か転職しました。三つ目の出版社で働いているとき、うつになってしまいました。大好きな仕事とはいえ、どんどん仕事を任され、四六時中締め切りに追われて頭の中はいつも仕事のことだらけ。会社の近くで一人暮らしをしていましたが、端から見ていても「楽しそう」というよりはつらそうな毎日でした。

そのうち娘は寝られなくなってしまったようで、産業医に相談したところ、「しばらく休むように」と診断を受けました。以前にも一度、同じ症状で2カ月休職したことがあり、娘の体調のことを考えて私は退職を勧めました。娘自身も「編集者はフリーでもできる」と考え、悩んだ末、辞表を提出して実家に戻ってきました。

それから娘は、何もできる状態ではなく、一日中部屋に閉じこもって寝ている日々でした。友人たちが次々に結婚や出産を迎え、キャリアを積んで人生を歩んでいる中で、娘は「私には仕事も結婚も何もない。一生懸命努力してきたのに、どうしてこうなってしまったの? 何がいけなかったの?」と自分を責めるようになっていました。

近所の大学病院へ通いましたが、思うような治療を受けられず、大量の薬を処方された不信感もあり、私は必死で他の病院を探しました。新しい病院では、様子を見ながら薬を減らしていましたが、寝られなかった娘は、私の知らないうちに他の病院へ行って薬をもらっていたようです。「何かおかしい」と思ったときには、娘は2週間で飲むような薬を1週間で飲んでしまっていたのがわかりました。

慌てて病院へ相談に行くと入院を勧められたので、思い切って入院に踏み切ると、1カ月くらいでみるみると元気に。そして2カ月で「もう大丈夫」と太鼓判を押され、退院することができました。

それなのに……。ある日、仕事から帰ってくると、娘が廊下に倒れ、すでに冷たくなっていたのです。そこから私の記憶はありません。死因は向精神薬の中毒ということでした。

あの日から私は現実世界を生きているようで、生きていませんでした。母親としてもっとできることはなかったのか……そんなことばかり自分に問い続けました。

もうすぐ娘が亡くなって2年が経ちます。今も心の傷が癒えることはありませんが、そろそろ前を向いて歩き出さなくてはと思い始めていたとき、新しい仕事に就きました。娘の果たせなかった仕事や結婚への夢をかなえようとしている、娘世代の女性たちを支援する仕事です。

そんな中でこの連載に出合い、「娘に花を贈りたい!」と思いました。いつまでも悲しんでいるだけではきっと娘も浮かばれません。新しい一歩を踏み出す今、一つの節目として娘への花束を作っていただけないでしょうか。

娘は個性的なおしゃれが好きで、明るくはっきりとした色の花が好きでした。自分で個性的な色のガーベラを買ってきては、部屋に飾っていたこともあります。明るく、はっきりとした色で元気の出るお花をお願いいたします。

編集者になるのが夢だった娘へ

花束を作った東さんのコメント

娘さんが明るくはっきりした色の花が好きだったとのことなので、思い切ってガーベラの花束にしてみました。

全部で7種類のガーベラを使っています。八重咲きのガーベラは「テラリブラ」。フチがくるっと巻かれている黄色いものは「パスタ」。同じくフチが巻かれていて、内側が黄緑色なのは「パスタ・ベネチア」。小さなオレンジ色は「ピッコリーニ」。花弁が細かいスパイダー咲きのものは「ドラゴンナイト」。内側に向けて挿した小さな緑色のものは「グリーンスパイク」。そして、いわゆるガーベラらしいガーベラは「スリラー」です。

そして、これらのガーベラの花の間にピンクのカーネーションを挿し、ポリシャスとドラセナ、アイビーの3種類のグリーンで全体を囲みました。

新しい一歩を進み始めたお母様の背中を押してくれる花束になりますように。

編集者になるのが夢だった娘へ

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(&編集部/写真・椎木俊介)

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    「&w」では、読者のみなさまから「物語」を募集しています。
    こんな人に、こんな花を贈りたい。こんな相手に、こんな思いを届けたい。
    花を贈りたい人とのエピソードと、贈りたい理由をお寄せください。毎週ひとつの物語を選んで、東さんに花束をつくっていただき、花束は物語を贈りたい相手の方にプレゼントします。その物語は花束の写真と一緒に&wで紹介させていただきます。
    詳しくは応募フォームをご覧のうえ、お申し込みください。

    フラワーアーティスト・東信 (あずままこと)

    編集者になるのが夢だった娘へ

    1976年生まれ。
    2002年より花屋を営み続け、現在は東京・南青山にてオートクチュールの花屋「JARDINS des FLEURS」を構える。2005年よりフラワーアーティストとして、ニューヨーク、パリ、ドイツ、ブラジル等、国内外で精力的な活動を展開。独自の視点から花や植物の美を表現し続けている。
    近著に作品集「ENCYCLOPEDIA OF FLOWERS Ⅳ 植物図鑑」(青幻舎)など。

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    PROFILE

    椎木 俊介(写真)

    ボタニカル・フォトグラファー

    2002年、東信とともに、銀座にオートクチュールの花屋「JARDINS des FLEURS」を構える。東が植物による造形表現をはじめると時期を同じくして、カメラを手にし、刻々と朽ちゆき、姿かたちを変容させていってしまう生命のありようを写真に留める活動に傾倒していく。日々、植物に触れ、その生死に向き合ってきたからこそ導き出すことのできる、花や植物のみが生来的に有する自然界特有の色彩や生命力、神秘性を鋭く切り取っていく。

    2011年に初の作品集となる東信との共著『2009-2011 Flowers』(青幻舎)を発表以降、常に独特の視点ですべての東の作品を捉え続け、近年は映像制作にも力を入れ、多岐にわたる活動を行っている。


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