コロナ・ノート

4月1日、暮らしが一変。あえて良かったことを数えてみた ライター・大平一枝

新型コロナウイルス感染症が広がる中で、変わっていったライフスタイルや価値観、あるいは見つめ直したことについて、さまざまな立場の方々がつづる、&M、&w、&TRAVELの共同リレー連載「コロナ・ノート」。「東京の台所2」の筆者でもあるライターの大平一枝さんは、世界が重苦しい雰囲気と混乱に包まれている今だからこそ、こう考えているそうです。「悪かったことより、ささやかでも良かったことを数えてみたい」と。

4月1日、暮らしが一変。あえて良かったことを数えてみた ライター・大平一枝
4月1日、暮らしが一変。あえて良かったことを数えてみた ライター・大平一枝

4月1日、暮らしが一変。あえて良かったことを数えてみた ライター・大平一枝

大平一枝(おおだいら・かずえ)

長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)ほか。最新刊は『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)。HP「暮らしの柄」。
<記事のご感想・メッセージはこちらへ>
http://www.kurashi-no-gara.com/

 

唐揚げと私

 阪神淡路大震災、米同時多発テロ、東日本大震災を経て、もうこれほど歴史の教科書に載るような辛(つら)く大きな出来事は私の生きているうちに起きないだろうと思っていた。
 しかし、映画製作業の夫と大学生の娘の3人で呑気(のんき)に暮らすなか、得体(えたい)のしれないウイルスによって、突然暮らしが一変した。本当に突然、“一日”で。

 3月31日まで、締め切りのために半徹夜が4日間続き、食事もままならないどころか、家で仕事をしているのにトイレに立つ間もない。3月30日の都知事の「カラオケやナイトクラブの出入りは控えてほしい」という会見は、仕事をしながらスマホで聴いた。

 4月1日水曜日の朝、排尿の調子が悪く通院。過労による膀胱(ぼうこう)炎だった。
 同日昼、4月に予定していた取材延期の連絡が、立て続けに3社から入った。
 
 毎日、“午前・午後・夜”と3部制で書くものを割り当てていたが、スケジュールに余裕ができたとたん気が楽になり、夕方には仕事部屋の電源を落とし、台所へ。

 手がかかるため平日には絶対やらない唐揚げを、大皿いっぱい作ることにした。ジリジリと弱火でじっくり揚がるのを待ちながら、ネギと甘酢のタレも作る。ふだんは、面倒なので唐揚げに濃いめの下味をつけるだけで、タレは作らない。机上で菓子パンをかじっていた先日までの4日間とは全く違う、別世界の時間が流れていた。

4月1日、暮らしが一変。あえて良かったことを数えてみた ライター・大平一枝

4月1日の唐揚げ

 この日、夫にも大きな変化があった。「俺の仕事はコロナなんて言ってられない」とうそぶき、娘と私がどんなに言っても平然と密室での衣装打ち合わせに出かけた彼が、思いがけず夕方早々に帰ってきた。
 前日、関連のスタジオで俳優が感染したことにより、周囲の意識がガラリと変わったのだ。「できれば打ち合わせは控えたい」と、スタッフにも言われたらしい。

 唐揚げを並べ、大学の春休みが果てしなく続く娘と3人で、本当に久しぶりの夕食を囲んだ。ドリフを見ながら、ゆっくりと夜が更けていった。

 そんな日が1カ月あまり続いている。3人朝から顔を突き合わせているので、家事を持ち回り制にしようと私が提案。娘が分担表を作った。
 「きのうは俺が当番じゃないのに皿を洗ったから今日は休み」「そういうのなしだよ」などと言い合いながら、日々が移ろっていく。

 夫も料理をするが、外食は恋しいし、無性に外で飲んで気分転換をしたい日もある。だが、当番表を作って家の手入れをし、唐揚げがジリジリ揚がるのをじっと待つ日が続くのは、今の私には悪くない。

 明日の生活、明日の命が見えずに苦しんでいる方がいる中、こんなことを書いていていいのか、正直に言えばためらいはある。テレビも新聞もネットも、気が滅入(めい)る現実を伝えるニュースが一日中続いている。でも、だからこそいま、私は暮らしの中で悪かったことより、ささやかでも良かったことを数えてみたい。

4月1日、暮らしが一変。あえて良かったことを数えてみた ライター・大平一枝

映画の現場に行くという夫に、「大切な人を守るのが若者の役目だと思って自分も必死に自粛している。どうか在宅で働く方法を探ってほしい」とつづった娘の手紙。3月31日

消えた不眠

 最大の変化は、数年来悩んでいた不眠症が、4月1日からピタリと治ったことである。一時は睡眠導入剤に頼るほどひどかった。たいした悩みもないのにとにかく朝方まで眠れない。寝てもすぐ目覚める。何をしてもだめで、年齢のせいにして諦めていた。夜が来るのが憂鬱(ゆううつ)だった。

 ところが気づいたら朝までぐっすり眠っていた。本当にピタリと、3本の取材が飛んだあの日から。
 考えられる要因は三つある。

1.外飲みがなくなり、適正な酒量になった
2.PC、携帯から解放された(SNSを見すぎてコロナ情報疲れを実感。スマホを寝室に持ち込むのをやめた)
3.取材が延期になり、締め切りから解放された

 バカバカしいようだが試しに、家で深酒をしてみた。それでもすんなり眠れた。つまり、要因は2と3になる。取材を伴わない執筆仕事は変わらずあるが、それでも時間の隙間ができたことで追い詰められた気持ちからは大きく解放された。
 一度、胃腸を壊し、もしやコロナかとスマホで検索しまくっていたら不安が募り、朝6時までまんじりともしなかった。
 そのとき、私の脳神経はここまで私の心に支配されていたのかと驚愕(きょうがく)した。

 溢(あふ)れる情報、根拠のない不安、もっともっとと欲張り請われるがままに増やし続ける仕事、隙間なく入れる予定、そして寝る直前まで興奮している私の脳。
 こんな大きな出来事がないと、許容量のズレに気づけないとは皮肉だ。闇の到来を憂鬱に思わなくてすむ日々に感謝しながら、しみじみと来し方を振り返った。私の毎日はじつに過剰だった。

4月1日、暮らしが一変。あえて良かったことを数えてみた ライター・大平一枝

出かけられない分、家の中で草花を楽しむことが小さな習慣に

支えるもの

 遅い、足りない、わかっていない。こうすべきだ、ああしたらいい。それぞれが希望のために知恵を絞り、そのたびに賛否が論じられる。誰もが見えない敵に戸惑うばかりで、私はニュースやSNSを見るのが徐々に苦しくなり始めた。

 そんななか、杏さんの『教訓1』という弾き語りが流れた。命を大事にせよ、流されるなというまっすぐな歌詞と歌声に、手を止め思わず聴き入った。心の中を、凜(りん)としたすがすがしい風が吹き抜ける。家で・・、自分ができることを精いっぱいとりくんでいる姿に、胸を打たれた。

 またオンラインの打ち合わせで編集者から、長田弘という詩人の話を聞いた。読み上げられた一節に心が震え、一冊また一冊と買っては今も読み続けている。長田弘は繰り返しただひたすら、ささやかななんでもない日常こそ奇跡であると書いている。

 妻との死別や、福島第一原発事故で故郷の変わり果てる様を知っている彼は、インタビュー番組(※1)で、「悲しいという事実を受け止めることが自分を確かにしてくれることもある。悲しみに持ちこたえられる人間であるということが大事で、悲しみは人を励ます」と語る。

一体、ニュースとよばれる日々の破片が、
わたしたちの歴史というようなものだろうか。
あざやかな毎日こそ、わたしたちの価値だ。
(「世界はうつくしいと」〈※2〉より)

 私は、コロナ前にあった平凡きわまりない一日の尊さを思った。同時に、コロナによって、大切な人のためにすべき行動のやりきれない孤独と切なさを知った。
 音楽、演劇、映画、絵画……。芸術はいま、厳しい状況に追い込まれているが、人の“心”にダイレクトに働きかけ、癒やし、励ますものもまた、金でも政策でもなくアートなんだなあと肌感覚で痛感した。

 杏さんの歌や長田弘の詩のほかにも、この間(かん)、私はたくさんの音や言葉や創造物に励まされ、奮い立たせられた。それらは、日々の中に埋もれがちなたくさんの奇跡に感謝することが明日を変える力になると、信じさせてくれる。

4月1日、暮らしが一変。あえて良かったことを数えてみた ライター・大平一枝

余裕がない以前は、ベストセラーが先で詩集の優先順位は低かった。余韻を楽しむ読書に身を委ねる至福

 休みが続き、学費が気になる娘の大学のホームページに掲げられた「在学生の君たちへ」(※3)という文章に、離れていても鉛筆一本、紙一枚あれば作品は作れる。今を精いっぱい生きよ。自らの命を守れ。愛する人の命を守れ。生きるための想像力をしぼり出せ。これが新学期を迎えた君たち全員に対する第一番目の課題だ、という一文があった。

 私の課題は、平凡で奇跡のように尊い明日のために、いまある幸福を数え、想像力を持ってつづり、大事な人たちや寝る間もなく働いている人たちのために、志を持って家にい続けることだ。
 
 長くなってしまった。コロナを振り返ったら、立ち止まって来し方を考える大きな機会になった。こういう時間が、私にはなかった。


※1『あの人に会いたい』(NHK)
※2『世界はうつくしいと』長田弘著(みすず書房)
※3 多摩美術大学ホームページ『在学生の君たちへ』美術学部長 小泉俊己

「コロナ・ノート」記事一覧

  • 私的記念日、握手が消えた日と初マスク

    私的記念日、握手が消えた日と初マスク

    ジャーナリスト・高松平藏[&TRAVEL]

  • 1日3食作ることで見えてきたもの

    1日3食作ることで見えてきたもの

    ライター・佐久間裕美子[&w]

  • 先行きの見えない世界に生まれた娘に

    先行きの見えない世界に生まれた娘に

    小説家・白岩玄[&M]

  • 僕らの世界から「旅」が消えた日

    僕らの世界から「旅」が消えた日

    リーマントラベラー・東松寛文[&TRAVEL]

  • 「コロナ以前の社会」に恋しくも後戻りをしないために

    「コロナ以前の社会」に恋しくも後戻りをしないために

    アーティスト・カヒミ カリィ[&M]

  • 失われた日常を悲しむのではなく「今ある環境でどう生きるか」

    失われた日常を悲しむのではなく「今ある環境でどう生きるか」

    写真家・三浦咲恵[&M]

  • 1日3食作ることで見えてきたもの ライター・佐久間裕美子

    一覧へ戻る

    RECOMMENDおすすめの記事