インタビュー

乳がん経験 副作用の脱毛、友の支えとメイク研究で乗り切った/料理家・栗原友さん

抗がん剤による脱毛も友人のかつらの贈り物やメイクの工夫で乗り切りました――。料理家の栗原友(とも)さん(44)は、昨夏、左胸に乳がんがみつかりました。闘病やひとり娘への思い、抗がん剤治療中の脱毛をどう乗り越えたのかについて、語ってくれました。(聞き手・山内深紗子、トップ写真は北村玲奈撮影)

左胸にゴリッとした感触

がんの受け止め方って、人それぞれです。私の場合、いつもどこか冷静に考えてきたように思います。

昨年5月、ひとり娘(5)と海水浴に出かけたビーチで、ボディーオイルを塗っていると、左胸にゴリッとした塊を感じました。「がんなんだろうな」と直感が働き、帰国後に受診すると、案の定、がんだと告知されました。画像診断の範囲では、リンパ転移の確率は低い。ステージは他の臓器に転移のないⅡ。戸惑う気持ちもありましたが、「『私に限って』という感情とはこのことか」と、淡々と受け止めました。

術前に患部の組織を取って調べる検査で、再発しやすく悪性度も高い「トリプルネガティブ」という種類だと分かりました。

こうしたなかで、自分が人生で何を一番大事にしたいのかを考えました。娘との時間、そして家族や友人とおいしい料理とお酒を囲んで語り合うことでした。不安に支配されないように、打てる手は講じたいと思いました。

乳がん経験 副作用の脱毛、友の支えとメイク研究で乗り切った/料理家・栗原友さん

乳がんの経験を話す栗原友さん(2020年2月、北村玲奈撮影)

そして、左乳房の全摘手術を受けることになりました。一番気に掛かったのは、ひとり娘のことです。帝王切開などで何度か体にメスを入れたこともあったけれど、やはり、女性のシンボルと思われているおっぱいを取り除くことについて抵抗感ゼロではなかったです。

友人に「私、女じゃなくなるのかな?」と不安を漏らすと、「同じ手術を受けた米国の俳優アンジー(アンジェリーナ・ジョリー)を見てみなよ。自前おっぱいじゃなくても、素敵な女性に変わりはないよね」って言ってくれた。勇気づけられました。

娘には、カウンセラーの助言を受けながら、がんになったことをベッドで伝えました。「実はさぁ。ママのおっぱいに、悪者がいるの。手術するけど、治るからね。おっぱいとっちゃうけど、新しいのが来るからね」と。娘は最初は「かわいそう、ママ」って大泣きしていましたが、泣きやんで「分かった」って言った。私は「強い子に育ってくれ」って心の中で娘に言いました。

がんは誰のせいでもない。治らない病気じゃない。分からないことは聞いて。ママの病気について誰かに言いたくなったら保育園の担任の先生に話してね、とも伝えました。

乳がん経験 副作用の脱毛、友の支えとメイク研究で乗り切った/料理家・栗原友さん

栗原友さんと長女の朝ちゃん(2020年2月、北村玲奈撮影)

2回だけ泣いた

夫は魚屋です。深夜に家を出て、夕方就寝する生活。私が入院中は、娘の面倒をみることができない。7月上旬、娘を京都の大親友に預けて入院。京都駅で別れる時は、母子で大泣きしました。がんの負のパワーに引っ張られたくなくて、泣かないと決めていました。でも、この時と抗がん剤治療で脱毛した時の2回だけは泣いてしまいました。

ですが娘は強かった。友人から「しばらくしたらお菓子を食べて笑ってたよ。切り替え早い!」と報告がきました。「強くなった。成長している」とうれしかった。「ふびんな思いをさせて、こんな母でごめん」とは思いませんでした。

乳がん経験 副作用の脱毛、友の支えとメイク研究で乗り切った/料理家・栗原友さん

入院中は京都の大親友に娘を預かってもらった。元気に遊ぶひとり娘朝ちゃん(左)の写真が友さんにメールで送られてきた=京都市、栗原友さん提供

昨年7月、10日ほど入院して手術を受けました。「よろしく」って信頼する主治医と握手して手術は始まり、お陰さまで無事に終わった。術後には、母が、私の好物の麻婆春雨を作ってきてくれて、力が湧きましたね。

退院後すぐ、父の終活の手伝い

退院して、5日目には料理教室や講演の仕事をこなしました。肺がんで闘病中だった父が、いよいよ最期を迎えようとしていた時期でもありました。父に私の元気な姿を見せて、てきぱきと終活も手伝いました。

書棚の整理、最後の衣装選び……。父からはお気に入りのシャツを見せられ、「これに合うパンツ、ベルト、靴、靴下を友がコーディネートして」って父に頼まれて。「母さんは泣くから、このことは秘密で」と言われ、コーディネートした一式を、母には内緒のままたんすにしまいました。私は手術の影響で手があがりにくくて、体調は万全ではなかったけど、気は紛れました。少しは親孝行できたかな。

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入院前日、母はるみさん(右)と弟心平さん(左)と3人で、当時肺がんで闘病中だった父玲児さんお気に入りのレストランで食事をした=東京都内、栗原友さん提供

抗がん剤治療を受ける決心ができなくて

娘が夏休みを通常通り満喫できるようにと、8月は治療をお休みしました。房総半島で海水浴をしたり、長野までドライブして恩師に会いに行ったり、京都の友人に会いに行ったり。友達とお酒とおいしいものを囲んでのおしゃべりを、大いに楽しみました。

でも、その間も、標準治療のメニューにある抗がん剤治療を受ける決心ができずにいました。

副作用の脱毛がどうしても受け入れられなかったのです。脱毛については、経験者のブログをたくさんネットで検索してしまいました。迷うのが嫌だし、民間療法などは一切信じないので、他のことはネット検索しなかったんですけどね。

治療後、髪の毛が生えてこなかった人の投稿もあって、「もしそうなったら、自分らしくいられない」と落ち込みました。

でも抗がん剤治療をすれば、再発リスクが減る。8月中悩んで、結局受けることにしました。人がこだわるところってそれぞれだなと改めて思いました。

乳がん経験 副作用の脱毛、友の支えとメイク研究で乗り切った/料理家・栗原友さん

友人の美容師に脱毛に備えてかっこよくショートカットにしてもらった=東京都内、栗原友さん提供

9月、通院で抗がん剤治療が始まりました。15日目、いつも通りお風呂場で髪を洗いながら抜け毛をチェックしていると、恐れていた通りに髪がごそっと抜けました。さすがにショックで泣いてしまいました。でもすぐに「30秒だけだぞ」と自分に言い聞かせて、その通りに涙はストップさせた。

脱毛で落ち込む私を支えてくれたのは友人たちです。

美容師の友人は「坊主だと毛が抜けた時に掃除が大変。枕にもチクチク刺さるよ」って助言してくれて、かっこいいショートカットにしてくれた。友人たちがカンパしてくれて、地毛だと思える素敵なウィッグ(かつら)をプレゼントしてくれました。そのお陰で、人の視線が気にならなくなり、安心して外出できるようになりました。

乳がん経験 副作用の脱毛、友の支えとメイク研究で乗り切った/料理家・栗原友さん

脱毛が始まり、携帯のカメラで自分で撮影した=東京都内、栗原友さん提供

治療中も副作用が少し楽になるタイミングで、友人と大分の温泉巡りに行きました。保育園のママ友は、どうしても具合が悪い時に、娘の送り迎えをしてくれたり、預かってくれたりしました。

乳がん経験 副作用の脱毛、友の支えとメイク研究で乗り切った/料理家・栗原友さん

昨年夏、抗がん剤治療中に訪れた九州の温泉旅行で、娘の朝ちゃんと記念撮影した=鹿児島県、栗原友さん提供

私自身も、脱毛で眉やまつげがなくなっても自然に見えるメイク方法を研究したり、ドラッグストアに行ってつけまつげを選んだりしました。これからその経験も伝えていきたいなと思っています。

脱毛は悲しかったですが、足の指の毛も、なにもせずしてツルツルなので、手間が省けると前向きに考えました。

娘はそんな私の姿を全部見ていて、私の体調が悪い時は、足をさすってくれたり、お風呂では背中を洗ってくれたりします。悲嘆することなく、自然体でがんに向き合っているように私は感じています。

昨年末、治療は終わりました。副作用で足のしびれなどは残っていますが、今は、寛解状態です。

そして、がんの経験を公表したいと思うようになりました。短命なのかもしれない。だとしたら、一度くらい誰かの役に立つことをしたい。

がんと聞いた時に、相手の戸惑いも分かるけれど、泣いたり、引かれたりするとやはりショックです。がんにつきまとう偏見も含めて、今願うことは、その人に合った選択ができて、その選択を自然に受け入れる社会であって欲しいということです。

そうですね。私の場合は、がん経験を話した時にこう言われたらうれいしいなぁ。「そうだったんだ。お疲れ。1杯おごろうか」って。

    ◇

栗原友(くりはら・とも)
1975年東京都生まれ。料理家。母は料理家の栗原はるみさん(73)、父は元キャスターの故栗原玲児さん(享年85)。弟の心平さん(41)も料理家。37歳で築地の水産会社に飛び込み、魚料理についてつづった&wの連載コラム「クリトモのさかな道」が、『クリトモのさかな道:築地が教えてくれた魚の楽しみ方』(朝日新聞出版)として出版されている。現在、水産会社経営、料理教室やメニュー開発などで活躍中。

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