東京の台所2

〈208〉コロナで彼女の暮らしが変わらなかったわけ

〈住人プロフィール〉
ライター・50歳(女性)
分譲マンション・1LDK・JR山手線 恵比寿駅
入居1年・築年数50年・夫(公務員・51歳)との2人暮らし

     ◇

 北区の分譲ワンルームに夫婦で住みながら、長年“物件探し”を続けてきた。それは10年以上前からで、「ずっとなので、いつから探し始めたのかわからない」とのこと。根っから間取り図を見たり不動産を見学したりするのが好きらしい。私も好きだが、家を持っているのに何年も探し続ける根気には脱帽だ。

 昨春、とうとうほぼ理想通りの物件を見つけ、住み替えた。あれだけ長く時間をかけたのに、決めたのは当日とのこと。
 「過去に理想的な物件を迷っている間に、契約をとられてしまったことがあるので、今回は即決。物件を見たその日に申し込みました」

 決め手は立地と、台所から見える緑の風景である。築50年のリノベマンションの玄関から廊下を進むと、正面リビングの窓一面に、新緑が広がり圧倒された。

 梅、キンモクセイ、クスノキ。借景の木々は、一瞬都心にいることを忘れそうになるほど清々(すがすが)しく生い茂る。
 「都心で、つねに窓から緑が見えるところに絶対住みたいなと長年思っていました」

〈208〉コロナで彼女の暮らしが変わらなかったわけ

マグネットブームと自分流家事システム

 雑誌編集者を経て、フリーライター15年目。衣食住にまつわるテーマが多い。
 大掛かりなリフォームが済んだ物件なので、入居時は、壁のペンキの塗り替えと床、電気配線、造作棚を取り付ける程度で終わった。

 一歩台所に入ると、輪ゴムの定位置からラップ類の収納、台拭きや油汚れの掃除道具まで、じつに目からウロコのアイデアが満載だ。

 たとえばシンクの背面の壁には、横幅150センチほどの鉄板が取り付けられている。
「引っ越す前後から、自分の中でマグネットブームが起きてまして。レシピメモやよく使う料理道具はここに付けられるよう、鉄板を施工してもらいました」

 茶こし、ピーラー、キッチンばさみ、鍋つかみ、じょうご、輪ゴムなどがぶら下がる。

 レンジフードには、料理本を開いた状態で留められる強度のマグネットがふたつ。「料理本をシンクに置くと場所を取るし、ページも開きにくい。頭上に、見開きページをマグネットで挟んで広げたら料理しやすいのでは、と思いつきました」

 ラップは100円ショップで買った磁石を粘着テープで貼り付け、レンジフードの死角にペタリ。使いたいときにすぐ手に取れて、リビングからは見えない。

 新しく作った高い棚には、朝食に使うマグ、コーヒー、ヨーグルトの器が並ぶ。
 「忙しい朝に必ず使うものはしまいこまず、オープン棚に置くとワンアクションで取り出せます。夫も自分で食事をさっと用意できるので便利です」

 よく使うカトラリーは台所ではなく、ダイニングテーブル脇のワゴンに常備。台拭きの置き場所もなんと、頭上のフックに引っ掛け、毎日洗い替える。

 「家事のシステムを少しでも効率よく、便利にするには、と考えるのが好きなんです。夫はそのシステムを運用するのが好きなのでありがたいですね」
 生来、皮膚が弱く、水仕事をすると荒れるので、食器の片付けは夫の担当だ。彼女の考えた配置や動線で、彼がスムーズに作業をこなす。

 公務員の夫も今は、ときどきリモートワークをする。ここ1年ほど彼女の習慣になっている“朝のメモ”によって、彼に小さな変化があった。
 「朝、私は、冷蔵庫の中にある食材と昼食と夕食の献立を考えてメモにして貼ります。献立を考えるのって意外と時間がかかるので、これを朝に済ませておくと一日楽なのです」
 そのメモを見て、夫が仕事の合間に野菜を切ったり、下ごしらえを進めてくれるようになった。

 「彼はもともと料理が好きで、下ごしらえなど手分けをしてやりますが、互いに在宅で仕事をしていると、“今日の昼どうする?”と聞く方も聞かれる方もなんとなく気を使う。メモがあると、聞かなくてもわかるから互いに安心するというか。私が書いたメモに沿って夫が先に下ごしらえを始めていたときはうれしかったですね」

 日々自分流に編み出したシステムを試行錯誤しながら、暮らしの中で楽しんでいる。それらは誰かの真似(まね)ではなく、自分たちが快適ならそれでいい。カトラリーがダイニングにあってもいいし、朝食のマグが高い棚の上でもまったくかまわない。自分流がいちばん、というあたりまえのことを教えてくれる。

〈208〉コロナで彼女の暮らしが変わらなかったわけ

生活が整う快感の行く先

 では、彼女はコロナ禍で変化があったのだろうか。
 「在宅仕事は15年目なので、暮らしの変化はそれほどありません。新卒の会社勤めを経て、独立したときのほうが変化がありました」
 料理もインテリアも好きなうえ、料理雑誌の編集者だったこともあり、同年代の会社員よりは自炊をしたほうだ。それでも、やるのはたまにで「試作も含めてイベントのようなものだった」と振り返る。

 社員時代は、毎日クタクタになって帰宅。週末は昼過ぎに起き、掃除や家事で一日が終わってしまう。

 「フリーランスになると、料理はもっと日常のもので、仕事の合間の家事が意外な息抜きになります。ささっと一輪挿しの花をいれかえたり、夕食のお肉を解凍したり豆を水で戻したり。合間に煮込みを始めることも。収納や家事動線を考えたり、料理の下ごしらえをするのは気分転換で、全然飽きない。そうやって生活が整っていくことが楽しいんですよね。家で仕事をするのっていいなあと実感しています」

 在宅勤務をしたくてもできない人はたくさんいる。だが、「自粛解除になっても、もし在宅でもできそうな職場環境だったら、続けられるといいですよね」と語る。

 「コロナは大変なことがいっぱいあったけれど、在宅ワークでよかったこともたくさんあったはず。無理して前の状態に戻るのはすごくもったいない。負のことだらけでしたが、だからこそプラスだったことも考えたいです」
 
 ジップロックを洗ったらマグネットピンチに挟んでこうやって乾かすんですよと、工夫がつまった台所で、楽しそうに説明する彼女を見て思った。
 働くこと、生活を整えること。どちらも同じくらい大事で、両方のバランスがとれて初めて心は満たされる。

〈208〉コロナで彼女の暮らしが変わらなかったわけ

 

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    • 大平一枝

      長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)ほか。最新刊は『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)。HP「暮らしの柄」。
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    • 本城直季(写真)

      1978年東京生まれ。現実の都市風景をミニチュアのように撮る独特の撮影手法で知られる。写真集『small planet』(リトルモア)で第32回木村伊兵衛写真賞を受賞。ほかに『Treasure Box』(講談社)など。

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