花のない花屋

お母さんへ 生きていたらどんなおばあちゃんになっていましたか?

全国農業協同組合連合会(全農)では、新型コロナウイルスによる大きな影響を受けた花の生産者を支援する取り組みを行っています。その一環として、連載「花のない花屋」にご協力いただきました。

〈依頼人プロフィール〉
高脇久美子さん(仮名) 43歳 女性
岡山県在住
パート 

    ◇

私が幼い頃から、母は父の借金を返済するため、働き詰めでした。なぜ離婚しないのかと尋ねたこともありますが、「心の優しい人だから見捨てられない」と言っていました。

自営で運送の仕事をしてた父は、知人の保証人になって負債を背負い、持ち家を手放しました。お酒を飲むと気が大きくなるたちで、すぐ奢(おご)りたがる。人が集まってくるのがうれしかったのでしょう。その後も、母の気持ちとは裏腹に、人に騙(だま)され酒に溺(おぼ)れて借金を繰り返し、全てが悪循環となっていきました。

母は婦人服店の店員で、当時の女性としては稼ぎはいい方だったと思います。細身でショートカット、目鼻立ちのはっきりした美人。いつも、赤い口紅を使っていました。バーゲンで買った服をおしゃれに着回していました。父も昔はかっこよくて、ふたりの婚礼写真を写真屋さんから店に飾らせてほしいと言われたそうです。

仲間を集めて飲むのが好きな父とは対照的に、母は「人とつるむのは好かん」と我が道を行くタイプでした。私も似たところがあるなぁと今になって思います。ぱっと見は強そうでさばさばしているけれど、内面は繊細で情が深い。だから父を見捨てることができなかったのでしょう。

気丈な母でしたが、体調不良に精神的不安が重なり、自死を選んでしまいました。私が22歳、妹が17歳の時でした。

私は高校を出て就職し、生活費の名目で母にお金を渡していました。ボーナスの時もまとまった額を渡していたので、正直なところそこまで暮らしがひっ迫していることには気づきませんでした。

お金のこと以上に、どうしてもっと母の話を聞いてあげられなかったのかという思いが年々強くなりました。仕事から帰宅して母が話しかけてきても、「それ、前も聞いたよ」「また今度にしてくれる?」とつい邪険にしてしまった。口にすれば多少なりともストレスを発散できたかもしれないのに、受けとめようともしなかったのです。自分でも3人の子供を育て、母の年齢に近づくにつれ、「ああ、こういうことだったのか」と母の心境がやっとわかるようになりました。お母さん、大好きだったのに、ごめんね。

母に依存していた父は、母を亡くしてからは食事もとれない状態でした。体調を崩して仕事をやめ、ますます酒に溺れていきました。高校生だった妹が弁護士さんを見つけて来て、姉妹で破産手続きをしました。負債は私が背負い、父とは別居。親族の元に身を寄せた父は、母の死から3年後に自死を選びました。

私はその頃から付き合っていた人と結婚し、今は平穏な生活を送っています。それでも、子供を産み育てていく中で、気が付くと願っても願ってもかなわないことを思ってしまいます。お母さんに見せたかったなぁ、お母さんなら何て言うかなぁ、声が聞きたいなぁ、名前を呼んで欲しいなぁ……。

母の死からもうすぐ20年になります。衝撃が大きすぎて亡くなった日のこともはっきり覚えていないのですが、母がいない現実を受け入れ、向き合っていかなければいけないと思っています。何かしたくても、もうかなわないけれど、花が好きだった母に、お花を贈りたいです。生きていれば70歳くらい。どんなおばあちゃんになっていたのでしょうか。

いつも、依頼者さんのエピソードや東さんの生けるお花に心奪われていました。今回は、私が今まで思っていたけど誰にも言えなかったことや気持ちを一方的ですが書いてみました。母は、大ぶりで華やかな花が好きだったと記憶しています。お花を持ってお墓に行き、話ができればと思っています。

お母さんへ 生きていたらどんなおばあちゃんになっていましたか?

《花材》ダリア(品種:純愛の君、朝日てまり、ピーチインシーズン、ブルーピーチ、金魚花火)

花束を作った東さんのコメント

大ぶりで華やかな花がお好きだったというお母さまへ、華やかで個性的な5種類のダリアを花束にしました。大変なご苦労をされた心優しいお母さまのお人柄と、赤い口紅を塗っていた記憶の中のお母さまを表現したいと思い、「純愛の君」という名の真っ赤な大輪のダリアを中心に、「朝日てまり」という赤いダリアと、優しいピンク色の「ブルーピーチ」、オレンジ色の「ピーチインシーズン」、赤と白の滲んだようなグラデーション「金魚花火」でまとめました。ダリアは花のもちもよいので、長く楽しめると思います。お母さまへの思いが天に届きますように……。

お母さんへ 生きていたらどんなおばあちゃんになっていましたか?

お母さんへ 生きていたらどんなおばあちゃんになっていましたか?

お母さんへ 生きていたらどんなおばあちゃんになっていましたか?

お母さんへ 生きていたらどんなおばあちゃんになっていましたか?

(文・深津純子/写真・椎木俊介)

>>これまでの「花のない花屋」をまとめ読み


  •    

    「お花見でもしませんか?」再婚して32年。外出できない彼を元気づける花束を
       

       

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  •    

    「生きる意味をくれてありがとう」元気で明るい母へ
       

       

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  •    

    編集者になるのが夢だった娘へ
       

       

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  •      ◇

    「&w」では、読者のみなさまから「物語」を募集しています。
    こんな人に、こんな花を贈りたい。こんな相手に、こんな思いを届けたい。
    花を贈りたい人とのエピソードと、贈りたい理由をお寄せください。毎週ひとつの物語を選んで、東さんに花束をつくっていただき、花束は物語を贈りたい相手の方にプレゼントします。その物語は花束の写真と一緒に&wで紹介させていただきます。
    詳しくは応募フォームをご覧のうえ、お申し込みください。

    フラワーアーティスト・東信 (あずままこと)

    お母さんへ 生きていたらどんなおばあちゃんになっていましたか?

    1976年生まれ。
    2002年より花屋を営み続け、現在は東京・南青山にてオートクチュールの花屋「JARDINS des FLEURS」を構える。2005年よりフラワーアーティストとして、ニューヨーク、パリ、ドイツ、ブラジル等、国内外で精力的な活動を展開。独自の視点から花や植物の美を表現し続けている。
    近著に作品集「ENCYCLOPEDIA OF FLOWERS Ⅳ 植物図鑑」(青幻舎)など。

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    PROFILE

    椎木 俊介(写真)

    ボタニカル・フォトグラファー

    2002年、東信とともに、銀座にオートクチュールの花屋「JARDINS des FLEURS」を構える。東が植物による造形表現をはじめると時期を同じくして、カメラを手にし、刻々と朽ちゆき、姿かたちを変容させていってしまう生命のありようを写真に留める活動に傾倒していく。日々、植物に触れ、その生死に向き合ってきたからこそ導き出すことのできる、花や植物のみが生来的に有する自然界特有の色彩や生命力、神秘性を鋭く切り取っていく。

    2011年に初の作品集となる東信との共著『2009-2011 Flowers』(青幻舎)を発表以降、常に独特の視点ですべての東の作品を捉え続け、近年は映像制作にも力を入れ、多岐にわたる活動を行っている。


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