東京の台所2

〈209〉コーポラティブハウスで彼が初体験したこと三つ

〈住人プロフィール〉
会社員・52歳(男性)
コーポラティブハウス・2LDK・JR山手線 品川駅
入居2年・築年数2年・妻(団体職員・57歳)との2人暮らし
 

「これは希望の暮らしだろうか?」

 10年住んでいるマンションのエレベーターで、隣の住人の女性と乗り合わせた。フロアボタンを押そうとしている彼女に聞かれた。
 「何階ですか?」
 彼は耳を疑う。
 「え? 10年間、お隣さんなのに?と。なんともいえない虚無感がありました。これは自分が求めているコミュニティーだろうか、希望の暮らしだろうかと自問自答した印象深い出来事でした」

 そんな折、妻が不意につぶやいた。
 「ガーデニングができる家に越したいな」。
 そんな理由で住み替えするの?と、最初は思った。
 共働きで、妻の帰宅は22時過ぎになることも多い。それでも、こまめに室内の鉢植えの世話をしている。一緒に歩いていても花の名前もよく知っているなあくらいには思っていたが、そこまで好きだとは気づかなかったからだ。

 引っ越しを考え始めた頃、妻が見つけてきたのがコーポラティブハウスである。
 ほぼ自由設計で、入居者で建設組合を結成し、土地を共同購入。合議で集合住宅を作る。それを機に、彼も自分でも驚くほど家づくりにのめりこんでいった。
 じつは私の住まいもコーポラティブハウスである。最大のメリットは、入居前から住人の顔が見え、コミュニティーを形成できること。デメリットをあげるなら、建設前からのプロジェクトになるので設計期間も含めて入居までに時間がかかることだ。私は2年だった。

 彼らは、なじみのある近隣にプロジェクトができたので早速参加したものの、オリンピックによる資材の高騰や施工業者がなかなか見つからないなど想定外の出来事が重なり、入居までに4年近くかかったという。

「その間にローンを組み直すなど苦労もありました。でも、4年近い付き合いのなかで、お人柄や家族構成もわかる。入居後は、買い物やレストランに行くと顔なじみと会って、やあどうもと挨拶(あいさつ)を交わせる。そういう関係はものすごく安らげます」

 コロナで自粛中は、おすすめのデリバリーなど「信頼できる情報をもらえて」(夫)、助かった。最近は、妻がテラスで育てた花を小さなブーケにして集合玄関に置いた。
 「花の季節は一斉に咲くので、自分たちだけで楽しむのももったいないなと思い、よかったらお持ちくださいと、住人用のSNSでお知らせして置いたのです」(妻)

 ブーケは、ものの30分できれいになくなった。
 コロナで外出を控えていた時期の花束が、ご近所仲間にとってどれほどうれしかったか、容易に想像できる。しばらくするとSNSの掲示板に次々と花の写真が上がった。

 「“こんなふうに飾って家族で楽しんでいます!”とか、“ありがとう”と書き込んでくれて、思い思いにアレンジした写真を貼り付けてくれて。私たちのほうがうれしくなりました」(妻)
 
 見知らぬ人間同士が、大金を託して共同の住まいを作る。私にも覚えがあるが、なにもかもがスムーズにいくわけではない。それでも「ここに住んでよかったです」とふたりは、一点の曇りもない笑顔で言いきる。

 じつは今年2月まで、彼はしばらくの間単身赴任をしていた。時々、週末自宅に戻る。
 ある日曜日の夕刻、出勤のため「ああ、また味気ないアパート暮らしだ」と重い荷物を抱えて家を出ると、玄関近くで遊んでいた小学生の男の子と会った。
 「こんにちは」と声をかけると元気な挨拶が返ってくる。
 と、男の子がニコッと笑いながら言った。「がんばってね」

 「人生で初めて、小さな子どもに励まされました。忘れられないひとことでした」

〈209〉コーポラティブハウスで彼が初体験したこと三つ

既成概念を捨てる

 新居には、ダイニングテーブルがない。台所に備え付けられた奥行きの深いカウンターテーブルのみである。

 「だいぶ悩みました。最初はもちろんテーブルありきで、どれがいいだろうかと探しました。でもよくよく考えたら共働きのふたり暮らし。出勤であわただしい朝に、わざわざテーブルに並べるだろうかと。平日の夜もほとんど別々で時には市販の弁当ということもある。片付けしやすいカウンターでいいんじゃないかという結論になりました」

 ライフスタイルは百人百様。正解もないし、ダイニングテーブルがなくても困らなければそれでいい。コーポラティブハウスの設計は、こうすべきだという既成概念を一度取り払い、家具や間取りのひとつひとつが本当に自分たちの生活に合っているか、検証する作業でもあった。

 台所の収納法も個性的だ。テラスで使うサンダルは、なんと台所の引き出しに収納している。
 「出しっぱなしだと邪魔だけど、すぐ取り出しやすいところにほしい。ランタンなどテラスで使うものをひとまとめにした引き出しにしまえば便利なので」

 彼が好きなジャムパンやアンパンは、朝食時に使う皿の引き出しに一緒にしまってある。これだと朝食の用意がワンオペですむ。
 パン、皿、サンダル、ランタン。一見脈絡のないアイテムの定位置を、動線を軸に柔軟に決める。

 前述のように、家具やインテリアに興味がなかった彼は、コーポラティブハウスづくり4年を経て、すっかり住まいに心を配ることが楽しくなった。
 「ガーデニングもそう。妻が楽しそうなのでつられて、去年はぶどう、いちじく、レモン、みかん、ゆずの苗を自分で買ってきました。レモンは五つできて、レモン割りにして飲みました。今年はぶどう棚を作ったんですよ。自分でも思ってもみなかった趣味です」

 初夏の花が咲き乱れる庭の手入れは楽しく、彼女が言うには「草花の手入れをすると自分が整う気がします。昔は仕事をやめようかなと思うこともあったのですが、今はありません。植物に水を撒(ま)きながら、自分の心にも水を撒いているんですねきっと」(妻)

 彼はこの台所に立ち、季節によって夕日が沈む位置がこうも違うものかと驚いている。
 「それまで夕日が沈むところを、ちゃんと見たことがなかったんですよね」。
 ガーデニング、子どもの励まし、夕日。住まいの形にゴールはない。これからもあっちに手を入れ、こっちを省きながら、たくさんの“初めて”を重ねていくんだろう。

〈209〉コーポラティブハウスで彼が初体験したこと三つ
 

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    • 大平一枝

      長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)ほか。最新刊は『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)。HP「暮らしの柄」。
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    • 本城直季(写真)

      1978年東京生まれ。現実の都市風景をミニチュアのように撮る独特の撮影手法で知られる。写真集『small planet』(リトルモア)で第32回木村伊兵衛写真賞を受賞。ほかに『Treasure Box』(講談社)など。

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