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不安なときは、忘れ去られた画家のまなざしをなぞってみる

不安なときは、忘れ去られた画家のまなざしをなぞってみる

撮影/馬場磨貴

『ヴィルヘルム・ハマスホイ 沈黙の絵画』

2016年に日本で公開された『リリーのすべて』は、20世紀前半に世界ではじめて性別適合手術を受けたデンマーク人の実話をもとにした映画でした。

主人公の風景画家アイナーが住み、アトリエとする古いアパートは、ブルーグレーのペンキを何度も塗り重ねたような壁が陰鬱(いんうつ)だけれど美しく、主人公たちを固定カメラで撮影することで、絵画のような切り取り方をしているのが印象的な一作でした。

気になって調べてみると、20世紀初頭に活躍し、没後忘れ去られたデンマークの作家ハマスホイの室内画にインスパイアされて作られたセットとのことでした。

彼の代表作では、奥行きのある部屋、淡い色で塗られた灰色の世界に、黒い質素なドレス姿の女性が後ろを向いて立っています。表情はわかりませんが、首筋には自然光でしょうか、柔らかい光を受けています。家具や内装からは、古い過去のようであり私たちの住む世界にも近い、普遍性も感じられます。静謐(せいひつ)である一方でどこか不気味にも受け取れるイメージの作家です。

展覧会「ハマスホイとデンマーク絵画」(東京での展示は残念ながら新型コロナウイルスの感染拡大防止のため閉幕)の開催と、時を同じくして発売された『ヴィルヘルム・ハマスホイ 沈黙の絵画』は、そんなハマスホイの魅力を知るのに最適な一冊です。

100年以上前の北欧の部屋を思う

本書は、北欧のフェルメールとも謳(うた)われるヴィルヘルム・ハマスホイの生涯が代表作54点を中心にコンパクトにまとまっています。監修したのは、まだ国内での認知が低かった2008年に17万人の来場があった『ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情』(国立西洋美術館)を企画した、日本でのハマスホイ研究の第一人者である佐藤直樹さん。

この本では、ハマスホイの生きた時代がどのようなものか、彼に影響を与えたホイッスラーや同時代のデンマークの作家たちの作品、そして当時の人々が彼をどのように評価したのかを見通すことができます。

また、彼の絵の大きな特徴である、後ろ向きの妻イーダの姿や、彼が何度も描いた古い部屋についても論考が記載されていて、その内容はあくまでも史実に基づいたものであり、対象と一定の距離感を保っているように思います。それは、ハマスホイの絵画と同じように私たちに想像する余地を残してくれているようです。

緊急事態宣言中、社会人になってからはじめてというぐらいに長い時間を自分の部屋で過ごしていました。しかしながら、家で仕事をすることやテレビから流れてくる不安なニュースのせいなのか、たくさんの時間があるはずなのに本を読むことができませんでした。

そんなときに、この本をめくっては、1世紀以上前のコペンハーゲンに思いをはせました。いまも旧市街ストランゲーゼ30番地に残るアパート。そこで何度も、自らの住む部屋を描いた画家のまなざしをなぞってみると、少しばかり落ち着いた気持ちになりました。

(文・嵯峨山瑛)

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    二子玉川 蔦屋家電、建築・インテリアコンシェルジュ。
    大学建築学科卒業後、大学院修了。専門は都市計画・まちづくり。
    大学院在学中にベルギー・ドイツに留学し建築設計を学ぶ。
    卒業後は、出版社やリノベーション事務所にて、編集・不動産・建築などの多岐の業務に関わる。

    五感に訴える写真と小説。書棚の一等地に置きたい、特別な本

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