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<139>手作りのくつろぎ空間で漫画ざんまい 「100BOOKCAFE」

新宿駅から約20分の西武新宿線武蔵関駅は、近隣住民以外にはあまりなじみのない駅かもしれない。上石神井駅のすぐ隣の、東京23区で最西端の駅。閑静な住宅街に囲まれ、駅前の商店街にはどこかのんびりとした雰囲気が漂っている。

「100BOOKCAFE」は、駅南口から続く武蔵関駅前通り商店街の端っこにある。店主の渡部(わたなべ)啓太さん(33)のバイクが目印だ。ガラス張りの店内を見ると、真っ先に目に留まるのは、ずらりと並んだ漫画単行本の表紙。取材に訪れた時は、『鬼滅の刃』『左ききのエレン』『Dr.STONE』(集英社)、『BEASTARS』(秋田書店)の単行本が最新刊まで揃(そろ)っていたが、作品は折を見て入れ替えているそうだ。

「今は圧倒的に『鬼滅の刃』が人気で、これを目当てに来られる方も多いので、しばらくはこのままかもしれません。本当は別の漫画も紹介したいのですが……」

この店、たまたま通りかかって営業していたとしたらラッキーと言えるだろう。というのも、店が開いている日が少ないのだ。ちなみに7月は毎週木~土曜の週3日だけ。渡部さんはコールセンターの仕事を兼業しており、休みの日を店の営業に充てているからだ。

「実はまだまだ赤字で、コールセンターの収入で店の維持費をまかなっているような状況なんです」

<139>手作りのくつろぎ空間で漫画ざんまい 「100BOOKCAFE」

工業高校を卒業後、バスの整備士として就職した渡部さん。しばらく働くうちに、「一生この仕事だけで終えるのはどうなのか」と疑問に思うようになり、模索が始まった。飲食店でのアルバイト、音楽関係の専門学校、IT職、ビール醸造所でのビール造り……。

ビール醸造所に勤めて1年が過ぎた頃、バイクで長野への旅に出た。その時泊まったのが、善光寺門前の小さなゲストハウス「1166バックパッカーズ」だった。一人旅だし、安くて寝られればそれでいいと軽い気持ちで予約したこの宿が、渡部さんに運命の出合いをもたらした。

「全員が初対面なのにゲストハウスのラウンジスペースでゆっくり語らったり、夜に飲みに行ったり。『なんだこの空間!?』と、今までに体験したことがない、自分にすごくマッチした感覚がありました。その時、自分もこんな場所を作りたい!と強く思ったんです」

旅を終え、醸造所のオーナーに自分の意思を伝えて数カ月後に退職。その後、約1カ月かけて国内のゲストハウスを泊まり歩いた。

「あの長野を超える体験はなかったのですが、誰もが楽しく、リラックスして過ごせる空間を作りたいという思いは強まりました」

ゲストハウス開業という明確な目標を見つけたものの、宿泊施設を一人で実現するのは、費用面をはじめとしてそう簡単ではない。しかも、1泊数千円という手軽な宿となると、経営的に厳しくなりそうなことが容易に想像できた。

「改めてゲストハウスの何が良かったかを考えると、泊まれることよりもラウンジの空気感だったわけで、まずはそこだけ作ってみることにしたんです。それなら一人で始められそうですし」

<139>手作りのくつろぎ空間で漫画ざんまい 「100BOOKCAFE」

ゲストハウス巡りの後、コールセンターで働き始めた渡部さんは、仕事を続けながら蓄えていた300万円を元手に物件を探し、カフェの開業準備を進めていった。そこに漫画を置こうと思ったのは、自分が好きだというのが第一の理由だが、人が店を訪れるきっかけにしたいという狙いもあった。内装は極力自分でやり、メニューを考え、店名の由来にした100冊の漫画を揃えて2019年10月ようやく開店にこぎつけた。

「大変でしたけど、車を買えるくらいの資金があれば、一緒にやってくれる人がいなくても、仕事を辞めなくても開業できるんだなと思いました」

コールセンターのシフトの関係上、決まった曜日に営業できず、近所の人からすれば、「いつやっているのか、何の店かわからない店」。それでも、少しずつ顔なじみの客が増えていき、漫画も充実させていった。オープン当初は少年、青年漫画が中心だったが、女性向けの漫画や、漫画を読まない人向けの雑誌や書籍も並べるようになった。いずれも渡部さんが読んで「面白い」と思ったものを揃えている。

「みなさんそれぞれの過ごし方があるので、自分からは話しかけないのですが、それでも話しかけられたり、お客さんが本を貸してくださったりすることがありました。閉店間際に残ったお客さんたちが初対面なのに、その場でゲームを始められたりすることもあって、ゲストハウスのラウンジのような空間に近づいているのかなとうれしくなりました」

<139>手作りのくつろぎ空間で漫画ざんまい 「100BOOKCAFE」

ようやく黒字の日も出るようになったこの春、コロナ禍で休業を余儀なくされる。4~5月の休業中はコールセンターで働きつつ、新しい棚を作ったり、壁を塗り替えたり、メニューを見直したりとできることをやってきたという。6月に再開したものの、営業できたのはわずか5日間。7月以降はコールセンターの仕事を調整し、少しでも営業時間を増やすのが目標だ。いずれはイベントを開催して、人が集まる機会を増やす試みもしてみたいと考えている。

「20代の頃はずっと自分のやるべき仕事を探していたのですが、実際に楽しい空間を作ることができ、これで稼げるようになりたいという新たな目標ができました。貯金はなくなりましたが、借金はしてないので、最悪潰れてもマイナスにはなりません。この経験が次の何かにつながるかもしれないし、お客さん同士がつながって新しい広がりができるかもしれない。実際にやってみないと何も始まらないですよね」

自分が長野のゲストハウスで得た感動を、誰かに体感してもらえたら。そう夢見て、渡部さんは時間を見つけては店に手を加え、より居心地のいい空間にとアップデートを重ねている。控えめで物静かな雰囲気の渡部さんだが、ていねいに作り込まれた内装には、言葉にしなくても伝わってくる温かいものが確かに感じられた。

■大切な一冊

『capeta』(著/曽田正人)
幼い時に母を亡くし、父と2人暮らしの平勝平太(通称カペタ)。ある日、父が捨てられた材料から手製のレーシングカートを作り、カペタに与えた。これがカペタの運命を大きく変え、レースの世界に飛び込むことになる。

「これを読んだのは高3の頃。実はそれまであまり漫画を読んでこなかったんですけど、モータースポーツの世界がリアルに描かれていて驚きました。主人公のレースでの勝ち方もご都合主義じゃなくて、実際にありそうだし、カートレースからフォーミュラ参戦までの成長過程もリアル。作者が取材して忠実に描いているからか、作品から熱気を感じました。そんな漫画ははじめてでした。今もたまに読み返すほどです。全部で32巻なのですが、店には数巻しか置いていません。あまり一般ウケしないかなと思って……。でもぜひ読んでみてください!」

<139>手作りのくつろぎ空間で漫画ざんまい 「100BOOKCAFE」

 

100BOOKCAFE
東京都練馬区関町北2-34-4
https://sites.google.com/view/100bookcafe/

(写真・山本倫子)

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    PROFILE

    吉川明子

    兵庫県生まれ。コンピューター・デザイン系出版社や編集プロダクション等を経て2008年からフリーランスのライター・編集者として活動。旅と食べることと本、雑誌、漫画が好き。ライフスタイル全般、人物インタビュー、カルチャー、トレンドなどを中心に取材、撮影、執筆。主な媒体に週刊朝日、アサヒカメラ(「写真好きのための法律&マナー」シリーズ)、婦人公論、BRUTUS、mi-molletなど。
    https://www.instagram.com/a_yoshikawa0227/
    https://note.mu/akikoyoshikawa

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