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「古典×現代2020」で皮と刀のコラボ 「続けてきたのは目の前のものとの遊び」美術家・鴻池朋子さん

古典美術の名品と、現代美術の人気作家の作品がペアとなった8組が紹介される、国立新美術館の「古典×現代2020―時空を超える日本のアート」展。新型コロナウイルスの影響で開幕が当初の3月から延期されていましたが、6月24日にいよいよ開幕しました。

この展覧会に、縫い合わせた動物の皮に森羅万象を描いた「皮緞帳(かわどんちょう)」(2015年)と名付けられた巨大な作品を出品しているのが、美術家の鴻池朋子さんです。ペアを組んだ古美術は、11〜12世紀(平安時代)から19世紀半ば(江戸時代)の「刀剣」。3月初め、会場におじゃまして、展示作業真っ最中の鴻池さんに、数百年の時を超えた「刀剣」とのコラボレーションや創作活動の核となっているものについてお話を聞きました。

(トップ写真は「刀剣×鴻池朋子」の展示風景 撮影:上野則宏)

――天井からつり下がった「皮緞帳」と振り子、そして刀剣が共存する作品。幅24メートル、高さ6メートルという皮緞帳の大きさと、組み合わせの妙に息をのみました。

鴻池朋子さん(以下、鴻池) この展覧会の企画に携わる方々5、6人がアトリエにみえて、それが全て女性だったので私は少し驚いたのですが、彼女らが「刀剣と一緒にやってもらいたい」とおっしゃいました。聞いた途端「いいね」と言ってしまった(笑)。彼女らの選択に直感的なものを感じたんです。それで、「どの作品と一緒に?」「皮緞帳がいいのでは?」と話がすぐにまとまりました。

ナイフによって切り裂かれた動物の皮は、今はなめされてにおいもなく、こんなにきれいになって美術館の部屋に置かれている。けれど最初はナイフで切られて、ある部位を食べられたり、道具として使用されたり、人間が生きていくために使われてきたものです。私のアイデアというより、そんなみなさんが思っている「切る」というイメージを引き出すことを、インスタレーションでさせてもらった感じですね。

――大きな「皮緞帳」の間を、振り子が行き来するという展示方法にも驚きました。その下でガラスケースに入った刀剣が、ギラリと光り輝くという、不思議な空間です。

鴻池 私がまず思ったのは、何かを切り裂くイメージ。本来は一枚続きである「皮緞帳」を二つにわけて、真ん中にあちら側からこちら側に移動できる通路を作りたいと思ったんですね。そのときたまたまほかの作品で振り子を作っていたので、二つの世界を行き来するものとして、振り子はいいなと思いつきました。

刀剣というのは今は美術品としてケースのなかにはいって、鑑賞されるもの。でもかつては道具として使われていた。刀剣というキラキラ光る物が空間を切っていた時のイメージとか、光がランダムに動く感じとかを、美術館の展示で見せることはないじゃないですか。そのエネルギーをもう一回呼び起こすために、空間を切る振り子が手助けをしてくれると思いました。

今は“使えない道具”である日本刀を、平和な時代のなかで美術品として眺めているけれど、人間の道具として使わざるをえない時代もあったわけですよね。美術品として鑑賞できるようになっても、観客は、手応えのなさみたいなものを感じている気がしていて、そういう観客の欲望を引き出すような役目もできたらいいなと思うようになりましたね。

鴻池朋子さん

鴻池朋子さん

――鴻池さんの作品では、「ナイフ」もよく出てくるモチーフ。今回もナイフをモチーフにした初期のドローイングが展示されますが、これはなぜ?

鴻池 昔、作品をキャンバスに描いていたときは、ナイフは記号。刺すとか、切るとか、触れられないものとか、いろんな言葉のイメージが出てくる便利な記号でした。安易に使っていました。でもそのころから、そんなキレイなキャンバスに描く“絵”だけでは、らちがあかないと感じていたんでしょうね。何もない白い世界なんて現実ではあり得ないですから、白く切り取られたキャンバス絵画のトリックや幻想に最初から気づいていたと思います。“絵”って目をつぶれば消えてしまうイリュージョンですよね。それを描くことに手応えのなさを感じてきたあたりで、皮を使うようになったと思います。

白い紙に描いた過去のナイフの作品と一緒の空間に展示することで、最初は絵でしか描けなかった「言葉」のようなナイフが、目をつぶっても消えないもの、実感の残るものへと変わっていけたらよいなあと思いました。だいたい皮っていう素材は、触感が面白く、日にもすごく焼けるし、湿気で伸びるし、半分生きているような感じが残っていて、スリリングでやっかい。一方で等身大のマテリアルだなという手応えもすごいんですよね。

――観客が「皮緞帳」の前に立ったときのずしんとした圧力は、そんな描き手の手応えと通じているのかもしれません。

鴻池 皮ってふかふかしてるから、鉛筆でギュッと描くと傷をつけたように線が沈む。これはとっても楽しいんです。キレイなキャンバスに描いても、遊んでいるような興奮がない。皮はやっかいなんだけど、やりとりできる相手。最初に皮に描いたときも、日光のあたる部屋に放置して次の日に見たら、パリの劇場でつるされて返ってきたような(笑)、味のある色になっていました。

美術館は経年変化はアウト。それより時間の経過から作品を守るのが仕事ですよね。でも私は、風化していくものは風化していいと思っている。そこに宝物を大事にするという美術館のプラットフォームが、どうフィットしていけるかを模索する時期に来ていると思いますね。本来美術館というものが、変わってはいけない、においを出してはいけない、大声も出してはいけない、という場所だったのではなくて、私たちがそう思い込み、規制してきたところがあります。見る人それぞれが違うものを見ていることに気がつける場所になればいいなと。アーティストが新しいもの提案するんじゃなくて、見る側がどんどん新しい見方をすることで世界が違って見えてくると思います。

「刀剣×鴻池朋子」の展示風景 撮影:上野則宏

「刀剣×鴻池朋子」の展示風景 撮影:上野則宏

――鴻池さんの作品は、何かと見る人が語りたくなる作品だと思います。「神話と遊ぶ人」とか「人間がものをつくることを問い直す作家」など、いろんな枕ことばがありますね。一方、ご自身は創作の核となっているものを何だと感じていますか?

鴻池 芸術……じゃなくて、遊ぶことじゃないかな。目の前にあるものと遊んでいることが、私にとっての小さい時からの芸術で、だから遊べないとつらい。そうそう。皮に描くようになったのも、紙と素直に遊べなくなって、新しい遊び相手を探したら皮と仲良くなったというね。

言葉やコンセプトや利益などというのは、人間社会を形作るための共通言語としては必要だけど、実はみんな、わかりやすい言語以外のものを持っていて、そこで遊んでいる感じがするんですね。むしろ、みんなそれを持っているから生きていけるくらい、大切なものだったりもします。

その人だけが持っている好きなものとか、興奮させられるものとか、そんな大切なものとやりとりできることが、この仕事を私がやっている一番の核といえば核じゃないかな。自分と異質なものとは、摩擦が起こる。遊ぶといっても、そういう相手とのけんかだったりすることもあるし、理解できないものも含めて、やりとりしている感じですね。

刀剣と皮緞帳

皮緞帳の下で刀剣が光る

――2011年の東日本大震災で打ちひしがれ、19年の瀬戸内国際芸術祭では、ハンセン病患者の隔離政策をテーマにした作品を発表した。時代や社会との関わりがある作品のイメージもある鴻池さんですが、ご自身で意識は?

鴻池 たしかに震災は大きなできごとでした。ああいう大きな転換のときに、抑えられない物がパーッと出てきて、今まで普通にやってきたことに違和感を感じるようになってしまった。震災以降、白いキャンバスに描くことに、気分が乗らなくなったのもそのひとつで、今まで使ってきたキャンバスなどの道具と“遊べない”カラダになってしまったんですよね。遊べないということは呼吸ができないのと近い。呼吸と同じように、小さい幸せを見つけながら生き延びてきた感じです。

でも、意識したメッセージというのは……ないんですね。自分もどんどん変わっていくからしょうがない。アーティストは体が動くように、何かわからなくても作る。あとはどのように見るかのほうが重要だと思います。

言葉でアイデアを構築する作家さんもいますが、私の場合は先に手が動いてしまって、何年か経つと、ああ、こういうことだったのかと自分でも納得するパターンです。経験から言って、私の場合は作品タイトルも、制作して3年後くらいにつけるのが一番いい感じです。

言語も一つの画材ですから、言葉による表現も嫌いではないんですよ。でも言葉という画材は、ある任意の意味というものに“限定する役割”が与えられているので、使えば使うほど解放されず閉じていく特徴があって、その呪縛に陶酔するようになるんですね。そこが遊んでいて少しつまらない。「遊び」なら、自分にいつもと違うことが降りかかったら、ルールを改変できる。ここが重要なんですよね。

「刀剣×鴻池朋子」の展示風景 撮影:上野則宏

「刀剣×鴻池朋子」の展示風景 撮影:上野則宏

――アーティゾン美術館(旧ブリヂストン美術館)での大規模な個展も開催中です

鴻池 「みる誕生」というサブタイトルがついた展覧会です。いろんな毛皮や素材をさわったり。新しい素材との出会いも含めて、観客も“遊ぶ”ことができるような仕掛けも盛りこみました。いろんな人が、その人のやり方で、どのように作品を見ていけるかを一緒に探れるような会場になっています。「古典×現代2020」展とともに、見る人にとっても、自分だけの“遊び”を見つける場所になれればいいですね。

(聞き手・文 福光恵)
 
鴻池朋子
1960年秋田県生まれ。大学卒業後、玩具、雑貨、家具の企画デザインに携わり、97年より、アニメーション、絵本、絵画、彫刻、映像、おとぎ話など、様々なメディアを駆使したトータルインスタレーションで作品を発表。季節や天候を巻き込む、サイトスペシフィックな作品も各地で展開し、文化の原型である狩猟採集の再考、芸術の根源的な問い直しを続けている。

■「古典×現代2020―時空を超える日本のアート」
【新会期】2020年6月24日(水)~8月24日(月)
【会場】 国立新美術館 企画展示室2E
【開館時間】10:00~18:00 入場は閉館の30分前まで (当面の間、夜間開館は行いません)
【休館日】毎週火曜日 
【展覧会ホームページ】https://kotengendai.exhibit.jp
※混雑緩和のため、事前予約制です。ミュージアムショップのグッズはオンラインでも販売しています。
会場の展示風景の一部を、フォトギャラリーで紹介します。

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