鎌倉から、ものがたり。

家族に、仲間に、支えられて出来た、とっておきのパン 「チコパン×クゲヌマ」

コロナ自粛で気持ちが縮む中でも、日常に喜びを与えてくれるアクションは、いろいろと生まれた。たとえば、アーティストによるオンラインの歌や演奏に、心をなぐさめられた人は多かっただろう。同じく、まちのパン屋さんがつくる焼きたてのパンに、元気をもらった人も、たくさんいたことだろう。

 小田急線「鵠沼海岸」駅の商店街に、4月30日にオープンした「チコパン×クゲヌマ」も、近隣に光を与えた店のひとつだ。

 駅から徒歩1分の好立地にある店は、壁に真鍮(しんちゅう)プレートがあるだけ。そのシンプルなたたずまいに、「ギャラリー?」と思って、ガラス戸の向こうをのぞくと、きつね色をしたパンたちが目に飛び込んでくる。

「私がやりたい形そのままの店です。といっても特別なことは何もなく、キッチンで酵母を育て、その酵母でパンを焼き、お客さまに手渡す。その様子が通りから眺められるお店をつくりたかったんですね」

 オーナーのアライチヨコさんが、真っすぐなまなざしでほほえむ。

 チコパン×クゲヌマは3月下旬まで、同じ鵠沼海岸の商店街にある「シネコヤ」に、2017年からテナント出店をしていた。そのときからすでに多くのファンが付いていたが、「自分の店舗を持つ」という思いは、以前からずっと温めていたものだったという。

 結婚を機にはじまったチヨコさんのパンづくりには、家族の思い出とともに、四半世紀の時間が流れている。

 夫のアライダイスケさんは、父親の駐在先だったパリで生まれ育ち、実家は三食も、お正月の祝い料理もパン、という生粋のパン党だった。おいしいお米に親しんできたチヨコさんは、カルチャーショックを感じながらも、ホームベーカリーを駆使して、一生懸命にパンづくりに取り組んだ。

 国際機関に勤めるダイスケさんは転勤が多く、チヨコさんも内外の赴任先に伴って暮らした。そのひとつ、バングラデシュでパンづくりの取り組みはより深まった。

「停電がしょっちゅうおきる環境で、そうなると、すべてが台無し。貴重な小麦粉をダメにすることが惜しくて、だったら自分の手でこねればいいんだ、と気づいたんです」

 帰国後はパン教室に通い、子育てをする中で、より安心、安全な素材選びに目が向くように。自家製天然酵母と、吟味した材料でつくるパンが子育て仲間の間で評判になり、「定期的にパンを売ってほしい」という要望にこたえるうちに、評判が評判を呼んでいった。

 しかし、パンづくりとは過酷な労働でもある。転勤の多いダイスケさんを支え、家庭を守りながら、チヨコさんは毎朝4時30分に起きて、生地の発酵を確かめる、という日々を続けていた。

 そんなチヨコさんの懸命な姿を、「本当に大変なことをしているな……」と、思いながら見ていたのがダイスケさんだった。発展途上国や日本の地方都市で中小企業の事業支援を行っていたダイスケさんは、2017年、2度目のバングラデシュに単身赴任していたときに、帰国後はサラリーマンを卒業して、次の生き方を探ろうと考えていた。脳裏にあったのは、チヨコさんのパンづくりを“事業支援”することだ。

 今回、店舗をオープンするにあたって、ダイスケさんは「ビジネスプランナー」となり、クラウドファンディングを企画した。建築費は銀行から借り入れる一方で、機材購入の資金を募る。生地の温度管理を自動で行う設備と、業務用のコンベクションオーブンがあれば、朝4時30分に起きて、ワンオペでパンをつくる大変さが緩和される。すると総額は、目標額をはるかに上回る279万4500円を達成。チヨコさんのパンがどれほど、みんなの気持ちをひきつけていたかがわかった。

「少しずつ積み重ねてきた夢が、ようやく本当になりました。私は職人気質で、自分が納得できるかどうかが、何よりも先に来てしまう。ですから、ひとりではお店を持つなんて、とてもできなかったと思います。多くの方に背中を押していただいたおかげですね」

 オープン当初はデリバリーのみとしていたが、世の中の状況を確認しながら、現在は11時から13時までを15分刻みの予約制、13時から15時までを通常営業の時間としている。早い時間に売り切れになることも多いが、それでも、とにかく足を運びたくなるのは、そこに真摯(しんし)なパンづくりを続けるチヨコさんの姿があるからだ。

チコパン×クゲヌマ
神奈川県藤沢市鵠沼海岸3-5-8
https://www.facebook.com/chikopankugenuma/

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    PROFILE

    • 清野由美

      ジャーナリスト。1960年、東京都生まれ。東京女子大学卒。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科修士課程修了。英ケンブリッジ大学客員研究員。英国留学、出版社勤務を経て、92年にフリー。先端を行く各界の人物インタビューとともに、時代の価値観や感覚、ライフスタイルの変化をとらえる記事を「AERA」「朝日新聞」「日経ビジネスオンライン」などに執筆。著書に『新・都市論 TOKYO』『新・ムラ論 TOKYO』(隈研吾と共著・集英社新書)、『ほんものの日本人』(日経BP社)、『観光亡国論』(アレックス・カーと共著・中公新書ラクレ)、&w連載「葉山から、はじまる。」を1冊の本にまとめた『住む場所を選べば、生き方が変わる――葉山からはじまるシフトチェンジ』(講談社)など。

    • 猪俣博史(写真)

      1968年神奈川県横須賀市生まれ。慶応義塾大学商学部卒業。卒業後、カナダを拠点に世界各地を放浪。帰国後、レコード会社、広告制作会社勤務などを経て1999年にフリーに。鎌倉、葉山を拠点に、ライフスタイル系のほか、釣り系媒体なども手がけ、場の空気感をとらえた取材撮影を得意とする。本連載のほか、&travelで「太公望のわくわく 釣ってきました」の執筆と撮影を担当。神奈川県三浦半島の海辺に暮らす。

    ずっと大事にしたい、わたしを自由にしてくれる場所 「N邸 N-Café」

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