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〈140〉「星空の池」のほとりで読書の時間を「喫茶PONY」

「4、5月は店内営業を自粛し、カレーや焼き菓子などのテイクアウト販売を続けていました。お客さんは来てくれたのですが、注文の品を受け取ったらすぐに帰られてしまうので、ちょっと寂しかったですね」

小田急小田原線経堂駅の南口から延びる経堂農大通り商店街。その一角の雑居ビル2階にある「喫茶PONY」の店主・西宮淳平さん(39)は、新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言中の店の様子についてこう振り返る。

2018年7月にオープンして3年目に入ったが、いまだに「毎日のようにこの前を通っているのに、喫茶店があるなんて知らなかった」と言われることもあるそうだ。でも、少し急な階段を上った先にある、アンティーク家具やたくさんの絵本が並ぶ、屋根裏部屋のような空間を知らないのは少しもったいない。

画家としても活動している西宮さんが、「自分がイメージする空間を作ってみたい」と思ったのは、個人宅のリフォームの仕事に携わっていた時のこと。

「自分のお店を作ってみたいという気持ちは前から漠然とあったのですが、リフォームの仕事で得た経験を生かして、頭の中にあるいい空間を形にしてみたくなったんです。そこで何をしたいかを考えてみたら、本とコーヒーとカレーだな、と」

大学時代、独学でのカレー作りに没頭していたので、店で出したいカレーの味は頭の中にイメージできていた。本については、あれこれ考えるまでもなく心地いい空間には本があって当たり前だと思ったという。

〈140〉「星空の池」のほとりで読書の時間を「喫茶PONY」

経堂でこの場所を見つけた後、約3カ月間を内装に費やした。専門的な工事のみ業者に依頼し、妻の恵美さん(39)と2人で床材を張ったり、壁を塗ったりしてこつこつと作り上げていった。そして、一面の壁を残すのみとなった時、自分で絵を描きたくなったという。

「はじめは絵を描くと自分の色が出すぎてしまいそうで嫌だったんですけど、四角い壁を見ているうちに『描いちゃおうかな』と思って。内装も遅れがちだったんですけどね」

西宮さんが選んだ題材は山の中の池。山登りが好きで、印象的だった八ケ岳の七ツ池や白駒の池を思い浮かべながら描いたという。どちらも深い森に囲まれた池。星空が降り注ぐ夜の情景にしたことで、より一層幻想的な雰囲気が感じられる。また、西宮さんの絵のタッチと相まって、この空間全体が絵本の世界に包まれているような気もする。

「山の湖畔にカフェを作れたら最高ですが、運営するのも行くのもなかなか難しいですよね。でも、これなら街でもアウトドア感覚を楽しめるんじゃないかと思って」

〈140〉「星空の池」のほとりで読書の時間を「喫茶PONY」

取材時にこの壁画を撮影していたフォトグラファーの山本倫子さんが、あることに気づいた。壁画の前にある照明が池を照らし、それが水面に輝く月明かりのように見えていたのだ。

「そこに気づいた人は初めてです! 実は池とその周囲で質感の違う絵の具を使い、そう見えるようにしたんです」

この壁画、自粛期間中に変化を遂げていた。森の夜空が店の入り口の上の部分まで広がっていき、馬と騎手がまたたく星空の中を駆け抜けている。

「コロナ禍で、今まで2年かけて作ってきた店のオペレーションなどが振り出しに戻ってしまったような感じがしました。でも、この期間に何も変わらないまま再開というのは悔しいので、意地でも何かを変えたい!と思って絵を描くことに決めました。壁自体はつながっていませんが、奥のテーブル席から見るとメインの壁画とつながって見えるように描いたので、そこに気づいてくれるとうれしいですね」

〈140〉「星空の池」のほとりで読書の時間を「喫茶PONY」

緊急事態宣言の間にもう一つ、新たに始めたことがある。それは貸本だ。多くの書店や図書館が休むなか、子どもたちの手元に本が届くようにしたいと考えたからだ。

「テイクアウト営業をしながら思いついたんですが、皆さん結構借りてくださって。私の好きな本を子どもたちが気に入ってくれたことはもちろん、本を選んでいる間は、お客さんがこの空間に滞在してくれていたのもうれしかったですね」

〈140〉「星空の池」のほとりで読書の時間を「喫茶PONY」

店内での飲食ができるようになった今も、貸本サービスは続けている。現在、店には約1100冊の本があり、そのうち絵本や児童書は約350冊。それ以外はエッセーや短編集、料理や暮らしにまつわる本、雑誌など多彩な品揃(ぞろ)えだ。

「誰かがこのお店に来た時、『手に取りたい本がない』と思われたくなかったので、老若男女どんな方でも、読みたいと思ってもらえる本を置いています。知っている本があったら安心するでしょうし、それが一つの風通しになって、他の本の世界につながっていくんじゃないかと思うんです。そう考えると本棚にある本の可能性ってすごいなと」

コロナ禍以前は、西宮さんが本棚に込めた思い通り、老若男女を問わず、幅広い人たちが訪れていた。親子連れ、会話を楽しむ友人たち、仕事をする男性、読書を楽しむ一人客……。誰かと来ても、どんな過ごし方をしてもいい懐の深さがこの空間にはある。

6月からは店内での営業も再開。客足は戻りつつあるものの、まだ以前と同じというわけではない。それでも、近所の人がいつものように店を訪れ、思い思いの時間を過ごしてくれることの幸せをかみ締めている。

「街の喫茶店としていつもの状態をキープしておくことが、この空間を作った私の責任だと思っています」

〈140〉「星空の池」のほとりで読書の時間を「喫茶PONY」

■大切な一冊

『青い星』(著/谷川晃一)
ある夜、荒野に“ながれ星”が降ってきた。“ながれ星”は、コヨーテや蛇、ワシなどを経て、やがて女の子の手元にたどり着く。年月が流れたある春の夜のこと……。
「偶然本屋で見かけて立ち読みして、とりあえず『タイトルと表紙がいいな』と思って買いました。家で読んでもやっぱりいいなと。その時はぼんやりといいなと思っただけなのですが、何年経ってもずっと印象に残っている絵本なんです。内容はシュールで、時間の流れも日常とは全然違う。ハッピーエンドなのかどうかもわからないし、言葉でもうまく説明できないんだけど、ほんわかと良い印象だけしか残らないってそれはそれですごいと思うんですよね。この本を店で手にとってくれる子どもがいたらうれしいんですけど、今までいないんですよね……」

〈140〉「星空の池」のほとりで読書の時間を「喫茶PONY」

喫茶PONY
東京都世田谷区経堂1ー6-10 木原ビル2F
http://r.goope.jp/pony

(写真・山本倫子)

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    PROFILE

    吉川明子

    兵庫県生まれ。コンピューター・デザイン系出版社や編集プロダクション等を経て2008年からフリーランスのライター・編集者として活動。旅と食べることと本、雑誌、漫画が好き。ライフスタイル全般、人物インタビュー、カルチャー、トレンドなどを中心に取材、撮影、執筆。主な媒体に週刊朝日、アサヒカメラ(「写真好きのための法律&マナー」シリーズ)、婦人公論、BRUTUS、mi-molletなど。
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